私がニューヨークからカリフォルニアに引っ越してから早いもので一年が経ちました。ニューヨークにいた頃と様変わりしたのは、ヒスパニックの人口が圧倒的に多いことです。スペイン語しか話さない患者さんの割合が高く、スペイン語がわからない私は通訳を介して診療する機会が増えました。ニューヨーク時代は、患者さんが英語をしゃべるかどうか心配する必要がなかったので、一年前はかなりとまどったものでした。
さて、オバマケアの加入手続きが今年三月に閉め切られ、いよいよオバマケアが本格的に始動しました。しかし、私は医療者として恥ずかしながら、つい最近までオバマケアを十分理解していませんでした。オバマケアは「国民皆保険制度」だという噂だったので「アメリカも日本やカナダのようになるのだ」と思っていました。つまり、アメリカの高齢者用の公的保険であるメディケアが、すべての年齢層に拡大するようなものと思っていたのです。しかし、それは大間違いでした。オバマ大統領のやっている国民皆保険は、民間の保険会社が販売している既存の健康保険プラン(Blue Shieldなど)の購入を全国民に義務づけるという法律でしかなかったのです。
それまでは、アメリカ国民は、自分の自由意志で健康保険に加入(購入)するかどうかを決めることができました。カリフォルニアでは40%の人が無保険だったと言われますが、すべての人が貧乏で保険に入れなかったのではありません。良い家に住み、高級車に乗っているような人が、自分の自由意志として、健康保険商品を購入しないという選択があったのです。しかし、オバマケアによって、健康保険プランを購入しないという選択はできなくなりました。アメリカ人は、政府に「ああしろこうしろ」と指図、強要されることを極端に嫌います。それは、ニューハンプシャー州のモットーである『Live free or die(自由を、さもなくば死を!)』にも端的に現されています。オバマケアに共和党が大反対し、議会が紛糾し、去年の10月にはそのおかげで連邦政府が一時的にシャットダウンし、最終的な決定までこれほど長い時間がかかったのも、政府が保険加入を強制するのは国民の選択の自由を奪うもの、つまり「余計なおせっかいだ!」と考えるアメリカ人が大勢いたからです。
しかし、オバマケアの全容が明らかになるにつれ、オバマ民主党を支持していたアメリカ人の中にも失望感が広がっています。まずは、オバマケアの性格が、連邦政府による公的健康保険ではなく、「民間会社の既存の健康保険プランの購入を国民に強制する法律」であったため、決して安くはない民間の健康保険商品を誰もが必ず購入しなくてはならなくなったという事です。これは、特に若い健康な世代の人たちにかなりの経済的負担を強いる事になりました。
もう一つ問題があります。生活保護を受けている人にはメディケイドという公的保険があります。今回、オバマケアの目玉として、メディケイドに加入するほど貧乏ではないが既存の健康保険プランを買えるほどの余裕も無いという人のために、カリフォルニア州政府が保険掛け金を補助する『Coverd California』という半公的健康保険が鳴り物入りで登場しました。これによって多くの人たちが、最小限の経済的負担で医療の恩恵にあずかれるようになるはずでした。しかし、この半公的保険プランは、医療者への報酬が大変低く抑えられているために採算が合わないと感じる医療者が多く、この保険の扱いを拒絶する医療機関が続出しているという問題があります。どういう事かというと、Covered Californiaに加入した人たちは、健康保険は持つことはできたものの、診てくれる医者がいないということです。非常に矛盾した状況ですが、このようなことが現実に起っています。医者探しに奔走する彼らは本当に気の毒で、これが本当に先進国アメリカの姿かと目を疑いたくなるほどです。
オバマケアに私のように甘い幻想を抱いていたアメリカ人はかなりいたようです。オバマケアの実体に失望し、「もうオバマは支持しない」と漏らした患者さんも一人二人ではありません。私には政治の事はよくわかりませんが、私の周りで見る限り、患者、医療者、民主党支持者、共和党支持者など、立場にかかわらず、今回の健康保険改革を喜んでいる人はあまりいません。患者も医者も本質をよく理解していないうちに見切り発車した感のあるオバマケア。ただでさえ複雑なアメリカの健康保険制度がますます複雑になり、私としてはため息が出るばかりです。
齋藤先生、お久しぶりです。オバマケアに対してかなり厳しいご意見ですね。私はどちらかというとオバマケアを評価しているので、随分見方が違います。私のような意見をあまり聞く機会がないかもしれませんね。最近のニュースメディアの調査でも、オバマケアが始まってオバマさんの支持率が上がったということなので、オバマケアに対する評価は上がってきているのではないでしょうか(たしかにMarket Place が始まった段階では評価が低かったみたいです)。3月31日のMarket Place を通して保険に加入する締め切り日には、各州のMarket Placeに希望者が殺到して、締め切りを2週間延長したくらいですから。そもそもオバマさんが導入しようとした制度はもっとシンプルだったのです。保険のない人が保険に入れるようにPublic health insurance を導入しようとしただけなのですが、共和党と保険会社の反対で、つぶれてしまったのです。そしてその後の妥協の産物が今の形になったのです。これまで医療界は、保険会社の一人儲けだったのを、保険会社にもっとお金を負担させて、収入の少ない人にも加入できるように、Market Place というウェブサイトを設立して安い掛け金でプライベートな保険に入れるようにしたのです(カリフォルニア州ではCovered Californiaと呼ばれています)。収入に応じて、毎月の掛け金の要らない保険もあるくらいですから、高い民間保険を強要しているわけではりません。現に、私のスタッフの一人は収入が少なくて、クリニックの保険では毎月の保険料が払えない状態だったのですが、Market Place で掛け金の安い保険に入れたので非常によろこんでいます。ただ、民間保険会社は、オバマケアに対してきっちりと、仕返しもしています。収入の低い人には掛け金を低くするが、お金の余裕のある人の掛け金は上げるという具合です。また、カリフォルニア州では、シグナなどの保険会社大手数社が個人向けの保険は扱わないと言って、個人保険から撤退したくらいです。これは無責任な話です。今まで散々儲けておいて、今後個人向けの保険は儲からないからと、被保険者を見捨てるというのは。その結果個人保険に入れない人が続出し、個人で保険を持ちたい人は、カリフォルニアの場合、Covered California を通じて入るようになったのです。私のクリニックでも、Blue Cross の個人保険を扱っていますが、今まで保険を持つことができなかった人も加入できて喜んでいる人が大勢います。もっとも医療機関にとってのReimbursement は低いですけどね。それもオバマさんのせいではなくて、保険会社のせいですよ。大方の賛否は、今まで収入が少なく、保険が買えなかった人や、収入の割りに高い保険料を払っていた人はオバマケアを歓迎し、オバマケアで保険料の上がった人は非難している、という図式じゃないでしょうか。
金先生!コメントありがとうございました。先生のご意見、大変参考になります。私に自費診療でかかっていた無保険の患者さんたちも、最初はCovered California(以下CC)に加入できたと喜んでいました。しかし、私の医院ではCCを扱わない事になり、患者さんは、保険に加入しながらも、相変わらず自費で私の診療を受けに来ます。この場合、保険料を払うだけ、患者負担が増えたと言えます。近所の病院はCCを扱っていますが、その病院のERのドクターはほとんどCCのプロバイダーではありません。病院がCCを扱うからと安心してERにかかると、後から(病院側からでなく)ドクター側からとんでもなく高額な請求書がくる可能性があります。また、CCのグレードによっては、一回のco-payが95ドルくらいかかるものもあり、とてもまともな保険とは思えません。何よりもCCを扱う医者を捜すのが大変で、最近の新聞によればカリフォルニア州ではたったの5%の医師しかCCを取り扱っていないそうです。今まで持てなかった保険を持てた事で患者さんはハッピーだったと思いますが、実際にそれを使う段になって初めて、この保険の持つ問題に気付くという感じです。
地域差、個人差があるようで面白いですね。ミネソタではMNSureというウェブサイトが比較的うまく機能しましたが、オバマケアへの評価は人によって違う印象です。金先生の言うとおり、多くの人は施策全体をどうこうというより、「自分の保険料が上がったか」「自分が得したか損したか」で判断している印象です。特に、元々保険を持っていた人の中には、雇用主が医療保険の提供をやめてMarketplaceに移行したケースがあり、その場合は特に不満が強いようです。元々無保険で今回新たに保険を手に入れられた人も、健康だった人は「余計な負担が増えた」と感じ、病気をたくさん抱えていた人は「やっと(最低限かもしれないが)まともな保険に入れた」と思っているのではないでしょうか。このような社会保障制度は冨の再配分が主な目的なので、結局は誰かが得して誰かが損する図式にしかならないので、個別の例から全体を判断するのは難しいかもしれませんね。
反田先生、コメントありがとうございます。金先生もおっしゃってましたが、オバマケアでハッピーな人もいらっしゃるのですね。私の周りではあまり良い評判を聞かないものですから、目からウロコ状態でした。
はじめまして。ハーバード大学で医療政策の研究をしております津川と申します。私も金先生、反田先生と同じ考えで、リベラルなアメリカ社会は総じてオバマケアを歓迎していると思います。少なくともアメリカの医療システムにとっては大きな前進だと考えていると思います。問題は金先生がおっしゃるように民間健康保険会社がオバマ陣営にいた医療経済学者たちよりも「一枚上手」であったということです。他社との競争が難しくなったため、医療機関のネットワークを狭めることで、貧困者を遠のけて、健康で金持ちな人だけを自分のプランに引き込もうとしている結果(risk selection)が、患者さんのアクセス低下を引き起こしているのだと考えられます。オバマ陣営もこのunintended consequence(民間保険会社の”Gaming”)には気づいていますので、近い将来に改善されることを期待しています。1965年のメディケア・メディケイド導入のときもそうでしたが、こういった大幅な改革ではすぐには思い通りの結果は出ず、10年単位での試行錯誤と調整を経て、はじめて他の国が持っているような皆保険制度になるのだと思いますので、オバマケアの評価自体はもう少し長い目で見ることが必要なのではないかと思います。
津川先生、コメントありがとうございました。そうですね、オバマケアの今後の進化に期待したいと思います!
齋藤先生、はじめまして。ボストンで日本人のための福祉事務所を運営しております渡邊と申します。マサチューセッツ州は既に皆保険があったため、オバマケアはすんなりと受け入れられました。オバマケアになって「支払いが下がった」と喜んでおられる方も沢山いらっしゃいます。今まではメディケイドは永住権を持って5年しないと入れませんでしたが、5年がなくなったことも多くの移民には朗報です。
私はLAに99年から2005年までおり、南カリフォルニア大学のSW修士に通っていたときにUCLA病院の医療財政問題のプロジェクトにかかわりました。当時でもCA州の大きな病院の財政は破綻寸前で、海外からキャッシュを持ってくる患者さんの誘致に熱心でした。健康保険も費用の安いHMOが職場からの保険の主流になっており、高額な治療は保険会社から承認がおりないという問題と無保険の患者さんの費用の問題がありました。それに対して小さい医院や個人開業者はHMO保険は患者さんのための治療ができないからPPOの患者さんしか取らないという方向転換をしておられました。今はそれがCovered Californiaに適応されているということでしょうか。
その後2005年に東海岸に引っ越しましたが、HMOの質がCA州のときのPPOのようにカバーがよく感動しましたが、だんだんその保険会社からの介入の波がこちらにも3年ほど前から流れてきているように思います。今は高額な治療への保険会社の介入が顕著になり、医療費抑制のための「予防中心の治療」ということで治療費を抑えることで報酬が医療者に入るシステムへと変わりつつあります。
こうして皆様のお話を読ませて頂いて広い米国の各地のオバマケアへの反応を知ることができ、また医療者の方々からのお話も聞かせていただけてたいへん興味深いです。有難うございます。今後ともよろしくお願いたします。渡邊
渡邊様、そうですか。さすが、ロムニー知事のいたマサチューセッツ州は違いますね。カリフォルニア州は、まだまだ混乱している感じです。医者仲間で話をしていて「Covered Californiaを取る事にした」という人がいると、「おおっ!」っていう感じです(感覚的な表現で申し訳ありません)。患者さんたちはCovered Californiaを取り扱う医療機関を探すのに血眼になっており、最近、妻の内科医院がCovered Californiaを取る事に決めましたが、患者が殺到して、毎日、新規患者の嵐だそうです。今後、この新しい保険プランが成熟し、医療者にとっても納得のいくものになれば、もう少し使い勝手の良い保険になる事でしょう。