(この記事は、2016年8月22日に若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に掲載されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)
以前、ニューヨーク州のロチェスター大学でリサーチフェローをしていた頃、他の研究室の日本人と話をしていて、彼が健康保険に加入していないと聞いて驚いたことがありました。彼の研究室ではフェローは健康保険に入れてもらえず、保険に入りたければ、自分で購入しなければならなかったそうです。給料は同じでも、研究室間で社会保障に格差があることに衝撃を受けました。「アメリカというのは油断も隙もない社会だなぁ」と思ったものです。しかしそのときは、まさか将来の自分が彼と同じような状況に追い込まれるとは、思ってもみませんでした。
私は3年前にカリフォルニアの開業医グループに就職し、そのグループは1年ほど前に地元病院に買収されました。「開業医」から、日本にいた頃と同じ「勤務医」に逆戻りしたわけです。ちょっと話がそれますが、アメリカでは個人開業医という職業は、現在「絶滅危惧種」です。というのも、同じこと(検査、治療)などをやっても、開業医ベースと病院ベースでは、保険会社からの報酬支払いに大きな差があり、病院の方が2~3倍高くなっているからです。開業医よりは病院の一部としてやっていた方が、「増収」というわけです。地域によって開業医数の減少速度に差がありますが、開業医グループが病院に買収されるのはアメリカの全国的なトレンドです。既に心臓専門の個人開業医が「絶滅」したシアトルのような地域もあります。
病院に買収される際、私たちのグループは少しでも有利な条件を引き出すために交渉を重ねました。病院側は、お抱えの心臓専門医グループがよほど欲しかったらしく、交渉は私たちの側に有利に進みました。しかし、病院側がどうしても折れなかった事案があります。それが、「健康保険」です。私たちは、この病院の医師以外の職員(看護師、検査技師など)が非常に良い健康保険を持っていることを知っていました。その内容は素晴らしく、検査でも入院でも、この病院内で行われるものであれば全てタダ!というものです(ちなみに、バッファロー大学で妻がレジデントをしていた頃の保険も同様の素晴らしいものでした)。
当然、私たちもその病院の健康保険に加入させてもらえるよう談判しましたが、病院側は拒絶。コスト抑制のため、病院職員の社会保障面の支出カットに躍起になっており、看護師の組合ともこれを巡って丁々発止とやり合っているところで、病院の負担をこれ以上増やすような要求には応じられないということでした。職員の健康保険の負担が、病院の財政にいかに重くのしかかっていたかが分かりました。
年120万円までの医療費は全額自己負担
というわけで、交渉に失敗した(涙)私たちは、病院側が提示した市販の健康保険に加入することになりました。しかし、その内容を見て皆絶句。内容が信じられないほど悪いのです。私の4人家族の場合、月々の掛け金が1800ドル。1000ドルを病院側が負担してくれることになったのは良いとして、それでも個人負担は月800ドル。掛け金のうちの一部(月々500ドル)は、Health Saving Accountという特殊な銀行口座に入ります。この口座のお金は、医療関係の支出にしか使えませんが、ともかく私の財産の一部となります。ですから、月々の私の持ち出しは正味300ドルほどということになるでしょうか。まあ、ここまではそんなに悪く聞こえないかもしれません。
病気にならなければ、Health Saving Accountのお金も貯まっていきます。でも、その「病気にならなければ」というのが曲者なのです。今の保険で病気になったらどうなるか? 私の場合、最初の12,000ドルまでは自腹を切って医療費を払わなくてはなりません。12,000ドル、120万円ですよ! 保険が効き始めるのは、その12,000ドルを超えた分のみなのです。「えっ、これって保険?」というのが私の感想でした。
この保険は、High deductible health planと呼ばれる商品で、「病気にならなければお得、でも病気になったらちょっと大変かも」という健康に自信がある人向けのプランです。要するに「病気にはなるな」というわけです。保険のオプションは他にもありましたが、いろいろ検討すると、結局グループの全員がこのプランを選んでいました。
しかし、どんなに気をつけていても、人生一寸先は闇。将来のことなど誰にもわからないから保険に入るわけです。日本人の私には、こういう商品が存在すること自体、理解できません。「さすがアメリカ。全ては自己責任。でもちょっと怖いかも」と背筋がゾッとします。
その後、妻が来月から新しい内科クリニックで働くことになりました。妻の契約内容を見てみると、彼女の健康保険が私の保険よりもかなり良いことが発覚!!これはチャンス!というわけで、妻の扶養家族となり、彼女の保険に入れてもらうことを狙いました。しかし、条件をよく見ると、扶養家族の掛け金は決して安くなく、私と子供たちは結局、私の保険に残ることにしました。
「病気になれない」という緊張感から解き放たれたい、今日この頃です……。
齋藤様。米国の医療保険制度につきまして、大変興味深く読ませていただきました。
お忙しいところ恐縮ですが、一転ご教示いただきたいことがございます。
「開業医ベースと病院ベースでは、保険会社からの報酬支払いに大きな差がある」とのお話ですが、CMSが公表しているCPT Code の PC に記載されている金額が支払われるものだと思っていたのですが、どのようなしくみになっているのでしょうか?
アメリカで店じまいする開業医が増えたのは(もしくは病院に買収されるクリニックが増えたのは)、2007年にCMSが開業医クリニックで行われる各種検査の報酬支払いを30%カットしたところから始まっています。私は診療報酬の請求に関してはBilling Departmentに任せっきりなので、詳しいことはよくわかりません。同じ手技でも外来患者と入院患者でCPTコードが違うように、開業医ベースと病院ベースで異なるCPTコードがあるのではないでしょうか?今度、Billing Departmentの人に聞いてみます。
アメリカとイギリスの医療費が高いのは 病床百床当たり医師数、看護職員数が多いからです
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/dl/s0827-9j.pdf