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鈴木ありさ

ブログについて

UCLAならではの華やかさや、カウンティ病院の抱える影をご紹介できればと思います。

鈴木ありさ

Interventional Radiologist です。 トレーニング期間を含め、10年以上勤めたBostonのBWHと退職し、LAに移動してきました。

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また、3・11を迎えました。

私は縁あって震災直後にアメリカより希望するボランティアの医療者を、被災地に5週間、計40名近く派遣するお手伝いをしました。あめいろぐのメンバーにも、関わっていただいた方が何名もおられます。個人的な紹介メールが転送に転送を重ね、あっというまに100名規模の参加希望者が連絡をくださいました。一人ひとりにお目にかかってお礼を申し上げるべきでしたが、未だにそれもかなわずにおります。3年前、寝袋を背負って被災地に向かってくださった第一陣をはじめとして、、地元の友人、アメリカ人同僚からの寄付などで集めた資材を背負って飛んで下さった方々、心配する家族を説得して出発してくださった方、詳細なレポートを仲間にシェアしてくれた方、行政に働きかけをしてくださった方、その後災害医療のエキスパートとしても道を歩き出した方、それぞれが自分の出来る限りのことを必死で行った数週間でした。

発生3日以内にER医を3名を現着させたことを始めとし、後半に行くにしたがって公衆衛生の専門家を多く手配しました。定点で医療活動していた我々には、最初の72時間、一週間目、二週間目、と経時的に変化してゆく被災地のニーズが見て取れました。ボランティアグループのメンバーが一様に気がついたのは、震災直後に必要なのは人と物資。幸い、日本にはロジスティックス(物資の供給)ラインを復旧する力が強いため、最低限の医療物資の補給は比較的早い時期にできたようです。医療者の補給も善意にて成り立ちました。そうして活動状況を週送りにレポートしていくうちに気がついたのは、医療という素材を活かし、配置するディレクターの存在が必要だということです。それは、公衆衛生に基づいた政治力です。

災害医療には、急性期には急性期の、慢性期には慢性期の医療が必要です。最終的には、医療活動はすべて公衆衛生に集約されます。我々医療者も公衆衛生の前では単なるプロバイダーというひとつの駒に過ぎません。そのことを強く感じたコーディネーター経験でした。それをハーバードの公衆衛生の教授に言うと、「まあ、でも、結局は現場の先生たちがいないと、机上の空論になるんですよ。公衆衛生って」と遠慮がちに返されました。

どうして医学生の時にもっと公衆衛生に真剣にならなかったのか。本当に悔やまれます。私が二年生の時に公衆衛生の先生が居眠りばかりをしている学生たちに向かって、ため息混じりに言っておられたことを最近とみに思い出します。「まあね、学生さんの時は面白くないだろうけど、卒業するとみんな講座に帰ってきて教えてくれって頼むんだよー。でも、本当はみんな学生の時に教えているんだよ」と。先生、あの時はそんなことあるもんか、と思ってすみませんでした。先生の仰るとおりです。医療の世界を動かしているのは公衆衛生でした。

40の手習いをするならば、スペイン語よりも、中国語よりも公衆衛生と決めております。すっかり頭の硬くなった私には高い敷居ですが。これを読んでいる学生さん、アメリカにくるならば、英語の勉強の次に公衆衛生の勉強を真剣にやってください。きっと役に立ちます。強い臨床医には必要な知識です。学生のうちはそのリソースが身近にあり、時間もあります。頭も柔らかいでしょう。どうか、医学には身体学だけではなく公衆衛生も不可欠であることを心に置き、公衆衛生を学んでください。そこから、日本のそして世界の未来の医療が生まれます。

 

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