コメントより
米国でも日本でもそこを意図的にすっ飛ばして(なぜなら説明できないから)、命のリレーとか、愛の贈り物といったイメージだけで「臓器提供=いいもの」という世論を作っているよう思えます。日本は遅れているのではなくて、そういう「すっ飛ばし」のようなものに感づいている市民が実は多い。ある意味、「よくわからないものに対しては沈黙せざるをえない」というまともな行動だとおもうのです。
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こういった反応は、脳死問題を綴った本などで、とても頻回に見られるので、一般的な意見だと受け取ります。ですから、一般的な意見に対する反論として以下を読んで下さい。せっかくコメントいただいた方を個人的に言及しているわけではないのであしからず。さらに、この場においては、子供の移植と大人の移植を同じような範疇で語らせて頂きます。本来なら、分けて考えるべきところですが、今回はひとくくりにして申し上げます。
「すっとばし」については、半分だけ賛成します。私もブログで言及していますが、アメリカでは実際に市民レベルで脳死についてディスカッションがあったとは思えません。有名大学の教授が反対論陣を張ったこともありますが、キリスト教の影響があったのでしょうか、日本のように大きな抵抗にあったようには思えません。ですから、脳死の議論を”スキップ”した、といわれれば、そうだと言えます。
しかし、”すっ飛ばしのようなものに感づいて、沈黙せざるを得ない”が、人として正しい行為だとは思いません。5年ぐらいなら、それもありでしょう。”よくわからないから、自分の身を守るために沈黙する”という行為は、”よくわからないから、もう少し情報を集めてから行動する”とセットになった時にしか、成熟した市民の行動として認められません。
1997年以来、15年です。15年。この15年間に一体何人の移植を待っていた子供たちがなくなっていったと思いますか?
見方を変えてみます。もし、自分が、自分の子供が、自分の家族が、重病にかかったとします。ちょっとネットで調べたところ、”移植が唯一の有効な治療法である”ということがわかる。アメリカやヨーロッパ、中国やシンガポールでは、同じ病気の人が移植で助かり、すぐに死なずにすんでいる。明らかな生存率の改善がみられる。 さらにいうと、一部の日本人も、募金を募って海外に渡り移植を受けている。この点に関しては、明らかに日本は遅れている。これは断言できます。そうでなければ、大変な苦労の末に募金を募って、相当なリスクと負担を背負って、渡航移植するはずがないでしょう。
納得できますか? なぜ、同じ医療技術水準を持っているのに、日本にいるというだけで、自分だけが早く死ななければいけないのでしょう? 移植があれば助かるはずの子供の未来をあきらめなければいけないのでしょうか? ”なんだかよくわからないから、黙っていよう”が、もたらしているものが、見えていますか?
私が言いたかったことは、”脳死問題を自分の身において考えるように、移植で助かる命についても自分の身において考えて欲しい” ということです。そのために、「命のリレーとか、愛の贈り物といったイメージだけで「臓器提供=いいもの」という世論」 を、もっとしっかりしたものにしたいのです。イメージではなく、日々、移植医療の現場に居るものとして、生の声を届けたい。公平な情報を届けたかったのは脳死についてではなく、移植医療の効能についてです。脳死問題は、それだけを扱っては議論が進まないということは、15年間で明らかになりました。脳死判定にまつわる問題点はまだまだあります。多くの人が不信感を抱いていることはわかっています。しかし、その問題点/不信感は、実際はとるに足らないものだと説得したいのです。脳死の是非を問うよりも、これからの日本人が答えなければいけない問は、「移植医療を諦めていいのか?」ということ。結局ははっきり定まらないだろう死の定義について抽象的な議論を掘り下げることがどれだけ有意義でしょうか? 平和なのんびりとした日常ではそれもいいでしょう。 しかし、もう少し想像力を働かして、自分以外の人のことを考えてみて下さい。誰か他の人に迫っている死病と、それに対する有効的な治療法である移植について行動を開始することが、成熟した市民の取るべき道だと思いますが、いかがでしょうか。
始めまして、昭和50年名大卒、現在掛川市立総合病院で消化器内科の医師をしております。
後輩が、真摯に医療を考え、社会に提言しているのを見ると嬉しく思います。
肝臓の再生や移植医療には、大変関心を持っております。
二十年近く前になりますが、肝移植を受けた受け持ち患者もいます。(PBCとB型劇症肝炎)。
またBMT後の肝臓病変、VBDSか微小血管病変か免疫抑制剤などの薬剤の過小もしくは過多などの鑑別診断のため、血小板数千の患者の肝臓生検査も何例か頼まれました。
肝病変に対し、新しい治療も試み、良い結果を得た事もあります。
懐かしい思い出です。
さて米国では多くのコホート研究でコーヒーの効能が示されてきておりますが、
私は、本来ゼロカロリーの緑茶はもっとよいだろうと思い、多少RCTやコホートなどで関わっております。
本年1月のThe American College of Physiciansの倫理指針にparsinimonious medicine が提言されて以来、NEJMなどを含め熱い議論が交わされていると聞いております。
オバマ大統領の登場以来、少しずつ医療を取り巻く状況は変わってきていますか?
浅井君は医療現場にいて、そのような討論を交わした事はありますか?
いろいろ教えてください。
コメントありがとうございます。母校の大先輩に読んでもらえたと思うと、大変励みになります。
オバマ大統領が当選してしばらく経ちますが、Health care reformがやっと始まりました。しかしながら、小児科分野のみにいるので、直接的な変化はあまり感じていません。もともと小児科についてはMedicaidと州の補助がありまして、何らかの形でサポートがされていました。オバマ改革と言うよりは、景気の低迷そのものが病院経営と、研究所の予算に影響を与えております。具体的に言うと、リタイアする予定だった年長のドクターたちが経済的にリタイアできなくなり、その分ポストと人件費が圧迫され、若いドクターたちにポジションが回ってこないという現象が続いています。日々の診療については大きな影響はありませんが、こういったところに長期的な問題を抱えています。
また、引き続きブログを書いて行きたいと思いますので、またコメントして下さい。
すいませんでした
裏覚えだったので、スペルが間違えていたようです。
Should Doctors Be ‘Parsimonious’ About Health Care?
ですね。
小児医療の現場からの貴重なコメントありがとうございます。
やはり米国でも、経済が下部構造として土台にあり、
その上に医療(経営)が成立しているのでしょうか?
選挙の結果で状況はがらりと変化する可能性はありますか?
翻ってわが国を見ると
債務超過の上、経済も疲弊しています。
医療も、今のままでは
その渦に飲みこまれて沈んでしまうと
危機感を持っております。
ノースウェスタン大の小児消化器・肝臓移植科では
PSCで移植待ちの患者さんも診ていますか?
米国は懐の深い国です。
将来日本に帰るのであれば
日本のために、そこから何かを掴んできてください。
経済と医療の関係を上部下部、という構造で観ているかどうかはわかりませんが、病院や大学の運営をを経営として観ていることは事実です。 選挙の結果で、中産階級の保険制度が影響を受けることは間違い無いと思いますが、当選するまでは両候補共にあまり断定的なことを言わないので、今の段階では様々な推測が立てたれているだけで、見通しは不透明です。
小児科ではPSCで移植になることはとても稀です。現時点では高いPELD scoreで待っている患者さんはいません。潰瘍性大腸炎の併発でそちらのコントロールが難しいケースが多いです。
いつもコメントありがとうございます。 移植については日本にインプットできることがあるかもしれません。そのためにも、より深く経験を積みたいと主ます。