アメリカで研究をしていると、日本の研究への評価の高さに気がつきます。研究に使う試薬や生体サンプルは、とても高価です。限られた研究費の中でやりくりするには、無駄をなくさなければいけません。高価な試薬を購入する際には、そのメーカーの信頼性がとても大事な要素になります。そんな中で、日本のメーカーがアメリカ、ヨーロッパのメーカーと競争できるほどの信頼を獲得している現状は、日本の研究レベルがいかに高く評価されているかをよく反映しています。
近年は、中国の研究者の数が圧倒的に多くなり、それに連れて発表される論文の数もおびただしいものになっています。しかし、研究の信頼性という点においては、日本と中国はまだ歴然とした差があります。実際、まだ中国のメーカーが世界市場を相手に輸出するという状況にはなっていません。これは、サイエンスに参加してきた歴史の差が、それぞれのブランド形成に影響しているのであって、それぞれの国の研究者の質を言っているのではありません。さらにいえば、アジアの国でサイエンスの分野においてブランドを確立した観があるのは日本だけだと思います。これは、日本にいる時は感じられなかった、外から見た日本の姿です。
こういった場面に出会う時、日本出身の者として、素直に祖国を誇りに思います。そして、今までこういった信頼をサイエンスの分野で積み上げてきた先輩たちに、心から尊敬の気持ちが湧いてきます。そして、その業績に恥じないような研究をしたいとおもうばかりです。
それにしても”故郷は遠くにあって想うもの”とは、よく言ったものです。日本の研究の現場には、数々の困難があり、現状は厳しいと言うことは想像に難くありません。最近は、日本からの指導的人材の流出もありました。予算も年々厳しくなっているようです。遠くからみているといいところが際立って見えて、近づくにつれて悪いところが見えてくるのは、主観を持ってものを見るときの宿命でしょうか。今後の日本の研究のアウトプットに注目しています。
しかし こうやって、両側から日本を見ることができてはじめて、長い年月、先人たちが積み重ねてきた歴史を感じることができます。こういう瞬間は、故郷を離れた者にとって、心休まるひとときです。