ミドルメディア(ブログ)によって、原始的な医師としての機能を果たすことが出来ないだろうか? これが、僕にとってのこのプロジェクトの命題です。
心に引っかかっている友人の言葉があります。NYで友だちになった銀行マンでよく呑んだりゴルフしたりした友人です。
飲み会の間にふと漏らした彼の愚痴 。
“このまえ、クリニックに行ってさ、今度の旅行のために高山病予防の薬をもらおうと思って受診したんだけど、ちょっと質問されて、ちょっと診察して、一枚処方箋書いて100ドルしたよ。 100ドルだよー! 高いよー!”
そのときは、こちらもお酒が入っていい気分になっていたこともあり、
“その一枚にいろんな考慮と責任が入っているんだよ! 弁護士さんとかは、書類作成の時間給で請求するよ!? 副作用とかでなにか起こったときのこととかも含めてその値段なんだよ。”
っていきおいで言いくるめましたが、彼も納得はいってなかったようです。
しかし、その時感じた 反感とも違和感とも言える感情は、その後もチクチクと心に残りました。何故か?
それは、今にして思えば ”そもそも医師という仕事は、高い安いというものさしで計られるものだったのか?” という 根本的な命題につながるものだったからです。
それまで、もちろん、皆保険制度、医師の給料、医療費の増減といった次元では経済学的に安い医療、高い医療を考察することは多々ありました。 しかし、身近の友人のレベルで患者としての立場から、直接 ”〇〇先生の診療は得られたものに比べて高かった” と聞いたのは恐らく始めてだったのではないでしょうか。 違和感といったものがそこにはあったと思います。
それと対照的な出来事に最近遭遇しました。
医療支援活動として地震後の南三陸町でボランティア活動をしたときのことです。もちろんこちらはボランティアですので無償です。実際に提供した医療内容というものはたいしたものではありませんでした。風邪や鼻炎の診察をして薬を出しただけです。しかし、被災地の人々からの感謝と言ったら大変なものでした。
実際の診療から得られた具体的なもの(薬や、診療時間そのもの)に対してではなく、医師が身近にいるという存在感から得られる安心感に対しておおきな感謝が捧げられていました。
冒頭に述べたこととは、180度反対の体験でした。
これらの体験をきっかけに色々と本を読ませてもらいました。 そしてたどり着いたのは、一つの主張です。
“そもそも、医師の仕事は、高い、安いというものさしで計られるべきものではない。医療を商品として扱い、医師と患者を、商品を介在とした生産者と消費者の関係にしてはいけない。”
次回はこの主張に基づいて話を展開したいと思います。
どこからかたどり着きました。頑張っていらっしゃるようで何よりです!応援しています!
初めまして。僕もどこからかたどり着きました。ちょっと違うかもしれませんが、こういうことでしょうか?
http://no-ichi.jugem.jp/?eid=1131
緒方洪庵の医戒です。お医者様にこんなのは釈迦に説法ですね!失礼しました。
応援しています!頑張ってください!
今村くん
お互い、どこかでつながっていけるように、継続して行きましょう!
いけがみさん
コメントありがとうございます! 緒方洪庵の精神は日本の医師が忘れてはいけないものです。ご紹介ありがとうございました。このサイトの名前も最初”適塾ネット”にしようとしたんですが、マニアックすぎてやめになりました。でも自分の気分は洪庵先生を追いかけるつもりです。
どもー、お元気そうで何よりです。
この保険会社に医療が牛耳られた国で医者やってくのも大変だよね。
これからも頑張って☆
ガンバっている家族がいるという事に元気づけられます。
遅ればせながら、サイト開設おめでとう!!
医療にはかかわっておりませんが、楽しみにしています!
これからの益々のご活躍期待しております。