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最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田 篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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2013/05/13

度重なる訴訟が米国医療にもたらすもの―米国で医療従事者になってみた(14)

(この記事は2013年2月8日CBニュース http://www.cabrain.net/news/ に掲載されたものです。)

“Better safe than sorry.”-。米国で研修医になってから、幾度となく耳にした言葉です。直訳だと「後悔するよりは安全にした方がいい」となりますが、日本のことわざだと、「転ばぬ先の杖」「備えあれば憂いなし」などに当たるでしょうか。治療で常に最悪の事態を想定し、それに備えて前もって準備をしたり、見落としがないように入念にチェックを重ねたりする時などに使うこの言葉ですが、訴訟社会の米国では、さまざまな意味合いで読み替えることができます。

度重なる訴訟は、米国医療にどんな影響を与えているのか。考察したいと思います。

■誰にとっての「安全」?

「後悔するよりは安全にした方がいい」という考え方自体は悪いことではなく、むしろ望まれるべきことです。しかし米国の医療現場で働くうちに、「患者の安全ために」ではなく、「自分の安全ために」最善を尽くす、という意味で言っているのではないか、と思うことが増えてきました。

例えば、入院患者の発熱ですぐには原因が特定できないが、経過観察でよいかもしれない時。細菌感染だと後で困るし、原因菌もよく分からないから、念のため広域の抗生物質を使っておこう、また感染症科にも相談しておこう、という判断。

はたまた、入院患者が腰痛を訴えた時、機能性の腰痛と思われるが、何か見逃すといけないから、念のためMRIを撮っておこう、という判断。

個々の判断は必ずしも見当違いなわけではないのですが、少しずつ「念のため」が積み重なり、本来なら不要であろう検査や治療が増えているように思います。

これが恐らく「防衛医療( Defensive Medicine)」の実態です。実際の現場において、医師個人は必ずしも無駄な医療をしているという認識はないかもしれません。個々の事例のリスクとベネフィットを勘案した結果、その場で最適の判断を下していると多くは考えていると思います。しかし、その「リスク」の中に患者のリスクだけでなく、自分が訴えられるかもしれないリスクが混ざっていることが、判断が防衛的になる原因です。

「自分が最適な医療をしていないかもしれない」と思うことは、大きなストレスです。従って、例え不要な検査や治療を行ったとしても、「自分は最適な判断を下している」と考えるようになるのは、ある意味で精神的な自己防衛機序かもしれません。自分自身の医学的判断が防衛的であることに気付きにくい、そこにこの問題の難しさがあるのではないかと感じています。

■訴訟件数がケタ違いの米国

米国が医療訴訟社会であることは目新しい話ではありません。米国全体で2009年時点で訴訟が結審し、医師になんらかの支払いが生じた医療訴訟の数が1万772件と報告されています(U.S. data from the National Practitioner Data Bank, 2009)。

医療訴訟で医師の過失が認められるのは30%に満たないと言われているので、医療訴訟の総数のうち、医師を対象とするものだけでも数万件に上ることになります。

一方で、日本では2010年の最高裁のデータで医療訴訟数が794件、認容率が20.2%となっています。まさに米国の医療訴訟は桁違いに多いことが分かります。

ここ数年の日本での医療訴訟件数の減少と同調するように、米国でも医療訴訟は減少傾向にあります。前述のデータでも2000年時点で医師に支払いがあった医療訴訟の数は1万5447件でした。実にここ10年で約3分の2になったことが分かります。

専門科によっては年間1000万円を超えることもある医師の賠償責任保険料の危機的な高騰に対して、多くの州で医療訴訟によって認められる最大補償額を制限する法律が施行されたことが、訴訟数減少の一因として挙げられます。また勝訴率が低い割に、訴訟準備や証拠集めにお金がかかるため、弁護士が勝ち目の低いケースを断ることが増えたとも言われています。その背景には、医療側の意識の向上やカルテ記載の改善、病院の訴訟対策の充実なども理由にあるでしょう。

■訴訟は医療をどう変える?

防衛医療は医療費の増加にはあまり寄与していないと言われていますが、実際にどの程度正確に評価できているかは議論の余地があります。しかしわたしはそれよりも、日常の診療姿勢と医師・患者関係に与える影響の方が深刻ではないかと考えています。

実際に、一旦訴訟に巻き込まれると、勝ち負けに関わらず、医師の診療スタイルががらりと変わることがあります。色々な質問を受け、弁護士と何度も相談し、法廷に足を運び、多くのお金と時間と精神力を費やすため、「二度とこんなことはごめんだ」と考えるのはある意味当然だと思います。元々非常に的確な判断をすると評判だった知り合いの勤務医も、訴訟に巻き込まれた後はかなり慎重な判断をするようになりました。 

訴訟リスクを勘案し、自分が本来なら最適だとは考えない判断を下すのは、プライドの高い医師には苦痛です。職場でのストレスが大きくなり、仕事に対する姿勢も後ろ向きになりえます。訴訟がトラウマになってしまうと、患者に対しても防衛的になり、良好な医師患者関係を構築しにくくなるでしょう。 

「ごめんなさいとは決して言うな」と米国では教えられるといいますが、確かに以前は訴訟社会の副作用として、そのような風潮があったのかもしれません。ある病院ではかつてオリエンテーションで「患者との間に問題が起こったら、何も話してはいけない。すみやかに名札の裏にある病院の弁護士に電話すること」と教えていたとも聞いたことがあります。しかしながら、今では真摯な対応と情報の公開は、訴訟の最大の予防になることが明らかになり、私は何か間違いが起こったら速やかに謝り、事実を全て説明するように教えられました。ただ残念ながら、そのような対策をとっても米国の訴訟率は未だ高く、多くの医師が訴訟リスクを気にしながら診療しているのが現実です。

医療訴訟は患者側からのチェック機構として働き、質の悪い医療を減らす効果があるという議論もありますが、その過剰は総じて悪影響の方が大きいと個人的には思います。もともと悪意をもって診療を行う医師はごく少数です。苦労して医師免許を取ったのですから、普通なら誰もそれを棒に振りたいとは思いません。もちろん、悪意ある医師を排除する仕組みは必要ですが、善良な医師が結果責任を負わせられる社会的構造は、回りまわって国民の首を絞めているように思えてなりません。

3件のコメント

  1. 塩田絹子 より:

    I totally agree with your observation!

  2. 齋藤 雄司 より:

    ほんとうにその通りですね。私も患者さんとのコミュニケーションが何よりも大切だと思います。

  3. Jun Takagi より:

    こういうことを知りたくてサイトを探してました。知りたいことが最小限に明解にまとめれられており、さすがと思いました。
    日本の医師で現在アメリカに住んでおりますが、日本に比べれば刑事訴訟にならないため、まだマシかとは思いますが、医療費、保険料の高騰など保険会社と弁護士達の奔走により、どんどん悪化の一途を辿っていますね。

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