またしても行ってきました、ウガンダ。4月の一ヶ月、現在のレジデント研修の選択の枠を利用して、保健系NGOの手伝いという名目での滞在でした。
今回お手伝いさせてもらったNGOはもともとボストン在住の医師が立ち上げたもので、主に東アフリカで保健活動をしてきたのですが、現在はウガンダでコミュニティーヘルス系のプロジェクトを行っているとのことで、偶然の出会いから直接彼に頼み込んで研修として認めてもらい、ウガンダ再々訪につなげたのでした。
ウガンダではピラミッド状に公的保健システムが構築されています(とはいえ机上の話しですが)。各県のトップに県病院が位置し、提供できる医療サービスが限定されていくに伴い、その下をヘルスセンターIV、ヘルスセンターIII、ヘルスセンターIIが構成していきます。そして一番底辺にはヘルスセンターIと続きそうですが、実際はそのような物理的な施設ではなく、Village Health Team(VHT)という保健/医療系のトレーニングを受けた村人達の存在があります。
皆さんがこの保健ピラミッドを作るとして、どこか一つの層しか作れないとしたらまずはどこを作るでしょうか。もしくは、どの層が最も置き去りになりやすいでしょうか。おそらく、トップにあたる県病院をまずは作りたいのではないでしょうか。そして、最底辺にあるVHTが最後に取り残されるのではないでしょうか。ウガンダの現状も想像に難くなく、そのようなものです。以前は盛り上がっていた(盛り上がりかけていた?)最底辺のVHTは、現在ではほとんどの地域でうまく機能していません。今回訪問した地域は例外にあたります。NGOがこのVHTシステムを再活性化すべく活動をしているからです。
私の滞在の主な目的は、新たなVHTのトレーニングと、すでにトレーニングされたVHTのフォローアップでした。トレーニングは丸一週間。舗装された道路などもってのほかの田舎の田舎まで、トラックにテントや食料等をたっぷり積んで移動し、私含めたNGOのスタッフ達(私と1人のアメリカ人医学生以外は全員ウガンダ人)はキャンプ生活です。ただでさえ生活環境が過酷なウガンダでキャンプまでするとは思いませんでしたが、不自由もそのうち何とも思わなくなるのが人間の性質だと改めて思わされます。さて、アフリカにおける開発上の問題点として人口密度の低さがあげられているようですが、それは保健分野でも同様です。NGOのオフィスまで村人を呼び寄せてトレーニングをしようにも彼らはそもそも移動手段もないため来れません。バイクタクシーはありますが、とても彼らが往復で連日払えるような額ではありません。未舗装の道を片道15−20キロ程度と思いますが、そんな距離も彼らにとっては大きな障害です。そのため、NGOが自ら彼らの村まで出向いてとレーンングをする必要があります。今回は40名弱の村人が同地域から選ばれ、軽症の下痢、肺炎やマラリアといった疾患の治療法、搬送が必要な危険な徴候の見方、母子保健、HIV等の性感染症、水/衛生、コミュニティーの巡回方法/記録方法等、朝から晩まで勉強漬けの毎日を過ごしました。晴れてトレーニングが終わると、県の保健課トップのサインが入ったVHTトレーニング修了証を渡され、ほんの数日前までは医療/保健に関して素人だった彼らもコミュニティーでの保健活動に携わっていくことになります。
保健省の盛り下がりかけたVHT活動を肩代わりするようなかたちで続けてきたこのNGO、これまで1000人近くのVHTをトレーニングしてきたようです。フォローアップですでにトレーニングされたVHTに会いにコミュニティーに入っていくと、彼らがどんな役割を果たしているかよく理解できます。各世帯を訪問し、食事やトイレの前後での手洗い励行や簡易手洗い用具の設置、普段利用する水の確認(例: 深井戸は最適だが、溜池は飲料水としては適さない等)、衛生上問題のないぼっとん便所の設置といった生活により近いレベルの指導から、子どもの予防接種の確認、妊婦への定期的な病院受診の推奨といったものまで、活動は多岐に渡ります。彼らは彼ら自身の行動変容/生活改善を通して、コミュニティーでの模範的存在にもなりえます。彼らが集めた各世帯情報は近くのコミュニティーセンターに報告され、医療従事者達はこれらの情報を活用して地域の保健状況の把握、有効な保健活動の展開へとつなげることもできます。医療従事者の充足率が50%をようやく上回る程度とまだまだ人手不足のウガンダのような国で、村人が村人を支える理想的なシステムと言えると思います。
ただ、全ての物事に言えるように、このVHT活動も決して完璧ではありません。その一つが、このVHT活動はボランティアベースで行われている、というものです。人間は自分達の生活が厳しいなか、どこまで自己犠牲できるものなのでしょうか。もしくは、地域の保健/医療システムという全体目標のため、保健に関わる人達という個人レベルにどこまで強制力を持たせることができるでしょうか。先日読んだイギリスのNGOの文書に、ウガンダの医療従事者の意識調査に関するものがありました。その中には、 “A Passion for the Patients: that’s why I became a health worker”というコメントとともに、“Lovely words of Thank You don’t feed a family!”という彼らの本音も載せられていました。
実際、数年も前にトレーニングされたVHTからは、「次はいつ再トレーニングをしてくれるんだ(=トレーニングを受ける側は、トレーニングに際して食事や飲み物が提供され、交通費や報酬が支給されるのがウガンダの通例です)」とか「どんなにコミュニティーで仕事をしてもただ働きだ」という声も聞こえてきます。この滞在期間に、トレーニングを受けた直後でやる気満々の村人の姿と、フォローアップを通して出会ったトレーニングを受けて数年後の村人の姿と、同時並行で目の当たりにすると、このVHT活動も決して安泰ではないことがわかります。本来はそのような村人よりずっと裕福なはずの私の友人のウガンダ人医師が「おれはピーナッツを買える程度の給料のために医者をやってるわけじゃない」と言って国を渡った事実は、ウガンダの保健/医療現場の偽りのない一面です。私自身、無償ボランティアで、もしくは薄給で、医師としてのモラルや責任感だけで医師として一生を全うできるのかと問われれば、おそらく答えはNoになるのだと思います。『医療従事者の価値観』と前回の文章では題しましたが、そんな価値観/モラルが大事なのも真実であり、スタッフの給与や医療活動のための予算といったお金が大事なのもこれまた真実。どこの国でも保健政策に頭を悩ます現状はあるのでしょうが、今回の滞在でも直接的にこの問題を投げつけられた気分でした。
もう一つ気になった点は、コミュニティーからみた医療への距離感/不信感でした。例えば、ある村にVHTのフォローアップに出かけた時のこと、「熱が出たからヘルスセンターに行ったのだが、マラリアの薬は在庫切れでもらうのは薬ではなく処方箋のみ。だったら最初からプライベートの薬局に行って薬を買ったほうがいいのでは?交通費がもったいないから。コミュニティーにはこんな状況でそれでも医療施設受診を勧めるべきか?」とか「足をひねったのか、痛かったからプライベートのクリニックに行ったら、気付いたら勝手に点滴を打たれてその分を請求された。足痛の治療は点滴なのか?」といった声が聞かれました。本来コミュニティーと医療施設をつなげる役割を担うはずのVHTが医療施設への不信感を持っていたら元も子もありません。
コミュニティーのために働くにはあまりにもモチベーションを上げにくい/保ちにくい医療従事者をとりまく環境、一方で、VHTを含めコミュニティーに広がる現状の保健システムや医療従事者に対する懐疑的な思い。どちらの立場も現状は決して望ましいものではありませんが、今までの病院や医療従事者からみたコミュニティーへの視点に加え、今回NGOとの仕事を通して見えたコミュニティーから見た保健/医療への視点、さらにはウガンダの財政的な面も含めた様々な障害も踏まえると、人々が実際に生活しているコミュニティーにもう一歩・二歩、医療が歩み寄っていくようなシステムが一番効率的なように思います。ありきたりな考えですが・・・。そこにポテンシャルはある。それをどう継続していくか、というところにもっぱら私の妄想(?)が働き続ける今日この頃です。
先日、ボストンに戻ってきて世銀総裁のJim Yong Kimの講演を聞きに行ってきました。『Health、Education、Social ProtectionはExpenseではなくInvestmentなんだ!』という彼のコメントは決して真新しい考えではないですが、ウガンダの中央政府からしたらExpenseに映っているはずの現状の保健をどうInvestmentにみせるか、私の妄想がそんな問題解決の一端につながる方向性を見せていけたらとつくづく思っています。気付いたら2年目研修医生活も終わりかけ。より複雑でコアな部分が見えにくいだけの事であって、きっと今いるボストンでの医師としての日々にもきっとヒントがあるのだろうと思いつつ、医学に、その他雑多なもの諸々に(まとめ過ぎですが)、引き続きいろいろと勉強していけたらと思います。
“If you are working on something exciting that you really care about, you don’t have to be pushed. The vision pulls you.” – Steve Jobs