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床には、血液の染まったガーゼやテープの屑、シリンジや器具のパッケージが無数に散乱していた。救急部の看護士たちがそれらを片付け、床をモップで掃除しているあいだ、僕らは男性の切開された左胸部を縫合していた。
誰もが無言で、それぞれの仕事に没頭していた。沈黙と、鮮血の匂いが混じった空気の中で、揺らぎかけた感情の均衡を保つために、そうする必要があった。僕らは男性の体に付着した血餅を拭い、看護士が男性をシミ一つない白いシーツで覆った。しばらくして、男性の妻が到着した。
救急部の処置室のドアが開き、その人が看護士に連れられて入口に立った。僕らは、それを男性の横たわるストレッチャーのすぐ脇で見ていた。しかし、彼女は、処置室のドアからなかなか前に足を進めることができずにいた。彼女は怯えていた。少し先のカーテンの向こうには彼女が愛した人の身体があった。それは少し前までは温かな血液に満ち、彼の両腕は彼女を包むために存在していた。彼女は、カーテンの向こうにまるで得体の知れない恐怖の塊があるかのように、左手を少し前に伸ばしながら、覗きこむようにして、ゆっくりと歩きだした。彼女の足取りがあまりにもゆっくりしたものだったので、僕にはそれが途方もなく長い時間に感じられた。
ストレッチャーまであと数歩のところで、突然、彼女は両足の力を失い、その場に崩れ落ちた。彼女の白いスカートと長い髪が揺れた。付き添っていた看護士が彼女を支えた。彼女の視線は、力なくカーテンの向こう側を捉えているようだった。僕の頬を涙が伝い、もう僕はそれをどうすることもできなかった。
それからのことはあまり覚えていない。血だらけの白衣を換えるために処置室を出ると事務のKさんとすれ違った。「先生...大丈夫ですか?」と彼が訊ねたので、僕は「大丈夫、、、です」と答えた。彼の目に、僕が魂の抜け殻のように映ったことはわかっていたし、実際にその通りだった。更衣室がある研修棟につながる渡り廊下で空を見上げると、満月が見たこともないほど近くにあった。
<了>