(研修医時代の日記から)
その日は確か雨が降っていて、当直隊に引き継がれた夕方の救急部にははじめから重苦しい空気が漂っていた。いくつか軽症の救急搬送があった以外、外来もそれほど混雑しておらず、僕らは比較的余裕をもって仕事をしていた。それなのに僕らが交わした言葉はいつもより少なくて、そのことが今になって振り返ってみてもどこか不可解に感じられる。
電話が鳴り、オートバイにて走行中、交差点で乗用車と接触して転倒した30代男性の救急搬送が伝えられた。男性は胸部の痛みを訴えながらも自分で歩いて救急車に乗ったという。交通外傷のケースはいつも緊張を強いられるが、この時点で電話を受けた僕らには少し安堵が広がっていた。
救急車のサイレンが、夕暮れに降り続く雨を伝っていつもより遠くから響いていた。それがすぐ近くに聞こえたところでエントランスに出ると、もう既に救急隊が慌てた様子で男性の載ったストレッチャーを運び込もうとしていた。
「元気だったんですけど搬送途中で急に反応が悪くなって...」。
この時、男性はまだ呼びかけに対して頷くことはできた。血圧や脈拍を測るとそれらは明らかに救急隊が搬送時に測定したものより悪化していた。心電図モニターが装着され、急いで両腕に輸液用のラインが確保された。やがて男性の意識は混濁しはじめ、眼球は上転し、まもなく急激に血圧が低下した。鼠径動脈はもはや触知せず、直ちに心臓マッサージとバッグマスクによる喚気が開始された。この頃には全病棟にコードブルー(緊急を伝える館内放送)が伝えられ、病院に残っていたほぼすべての医師が救急部に集まりつつあった。男性は挿管され、静脈のラインからはエピネフリンやアトロピンといった薬剤とともに大量の輸液が投与された。循環に改善の兆しは認められず、外科が到着するやいなや開胸セットが運び込まれた。そして、瞬く間に男性の左胸壁がメスによって切り裂かれた。創が胸腔に達すると大量の血液が噴き出した。
心臓マッサージを担当していた僕は右手に大型の鋏を手渡され、外科のT先生に言われるがまま、それを使って男性の肋骨を切断していった。男性の左側胸部が開胸器によって押し広げられると、事故の衝撃によって折れた背部の肋骨が左心室に突き刺さっている状態だった。脳への血流を確保することを目的に大動脈がクランプされ、グローブを着けた手で心臓を前胸腔に押しつけるように心臓マッサージが続けられた。ストレッチャーも、床も、白衣も、すべてが血の海だった。