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青柳有紀

ブログについて

アメリカで得られないものが日本にあるように、日本では得られないものがアメリカにはある。感染症、予防医学、公衆衛生学について、ニューイングランドでの日常を織り交ぜつつ、考えたことを記していきたい。

青柳有紀

Clinical Assistant Professor of Medicine(ダートマス大学)。国際機関勤務などを経て、群馬大学医学部医学科卒(学士編入学)。現在、アフリカ中部に位置するルワンダにて、現地の医師および医学生の臨床医学教育に従事。日本国、米国ニューハンプシャー州、およびルワンダ共和国医師。米国内科専門医。米国感染症専門医。米国予防医学専門医。公衆衛生学修士(ダートマス大学)。

「大リーグ医」はなぜ日本で育たないのでしょうか?

「大リーグ医」にあって、日本人医師にないものは(具体的に)何でしょうか?

結局のところ、私たちは「メジャー」に何を投影しているのでしょうか?

 

私たちが投影するもの。それこそが、おそらく私たちに足りないと、私たち自身が意識しているものに他なりません。つまり、「大リーガー医」や「メジャー」といったメタファーや、それらについての言説は、「彼ら」や「アメリカの医療」について語っているようでいて、実は私たち自身のことについて語っているのです。

 

私は、このことについて考えることが、いくつかの点で私たちに有益な視点を提供してくれるはずだと考えています。少し前まで、北米、特にアメリカの医学教育は「すばらしいもの」として半ば一方的に賞賛される傾向にありました。『ハーバードの医師づくり—最高の医療はこうして生まれる』(田中まゆみ著、医学書院)は、そうした傾向を代表するような本でした。それに対して、異議を唱える方たちが現れました。神戸大学医学部教授の岩田健太郎先生が書かれた『悪魔の味方—米国医療の現場から』(克誠堂出版)は、そうした文脈で捉えることができるものです。この本からは「ハーバードの医師づくりは、すなわち米国の医学教育と同義ではない」という強いメッセージが感じられます。「アメリカの医学教育は素晴らしく、日本はこんなに遅れている」という従来の思考の枠組みから一歩でて、現実のアメリカの別の側面を描いたという点で興味深いものでした。

しかしながら、いずれの視点も、日本の医学教育の将来を具体的によりよい方向に変えていくには十分なものではないと私は考えています。なぜなら、『悪魔の味方』はアンチテーゼではあっても、何らかのヴィジョンを提供するものではないからです(岩田先生は、そもそも私がここで言う「ヴィジョン」を提供する意図はなかったと思います)。

私たちが日本でどのような医学教育を行い、またどのような医師を作り出すべきかという答えは、(北米の医学教育が完璧なモデルでないと認識しつつも)「メジャー」や「大リーガー医」に、自分たちにはないものを投影する私たち自身の中にあるように思えます。人は、自分にないものを意識することから成長します。それは具体的な目的へのヴィジョンを与えてくれるきっかけだからです。私たちが、日本の医学教育において私たちに足りないと考えているもの。私たちが「大リーガー医」に投影するものを明確に言語化することこそ、かつて存在したようなアメリカ礼賛型の議論や、それに対するアンチテーゼを乗り越えて、私たちが何を目指すべきかという具体的なヴィジョンを与えてくれるものだと考えます(そして、それこそが「米国で働く日本人医師からの情報発信」を目的としたこのサイトを通じて、私が逆説的に訴えたいことでもあります)。

(続く)

 

3件のコメント

  1. それは日本人医師の閉鎖性ではないでしょうか。カルテを見せない、他人の評価を非難とうけとめる、治療実績を公正評価しない、誰のための医療かを時として言い訳する。そんな気がします。

  2. なるほどと思うポイントですね。 日本で研修をしてきた人ならではの考察を楽しみにしています。 

    ただ、藤林さんのコメントを見て思いついたのですが、”私たちが日本でどのような医学教育を行い、またどのような医師を作り出すべきかという答え” は 医療を受ける側からみた場合の”いい医師”と、”われわれ”がおもう”いい医師”とが 一致するかどうかも考慮に入るべきだと思います。

    禅問答をするつもりはないのですが、もう少し飛躍してみてもいいでしょうか? 
    免疫の研究をしてる時にいつも話題になりますが、 ”自我” と ”他者” の区別は、マクロでもミクロでも曖昧になります。 青柳さんの話の本質が、内なるもの と 外部 の関係である以上、いったい主体は、誰 (何)なのかということが大切な要素となる気がします。

    • 浅井先生:「どのような医師を作りだすべきか」という議論に、患者さんの視点を反映させるのはとても重要なことだと思います。僕が医学生として群大で臨床実習をしていた時にちょうどOSCEが導入されて、模擬患者さんを診察する機会があったのですが、病気の説明の仕方など、自分では気づかないことを指摘していただいて参考になったことを思い出しました。実際に医師になってしまうと、患者さんからのフィードバックを得る機会は日本ではあまりないようですが、どうなんでしょう。今の病院は、ランダムに選ばれた外来患者さんからのかなり詳細なフィードバック(アンケート形式)が得られるようになっていて、勉強になります(6ヶ月ごとの査定で結果が伝えられる)。

      「主体」についてですが、浅井先生のご指摘されていることを自分が上手く理解できているか自信がありません。非常に興味深い議論に発展しそうなので、もう少し説明していただけないでしょうか。よろしくお願いします。

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