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青柳有紀

ブログについて

アメリカで得られないものが日本にあるように、日本では得られないものがアメリカにはある。感染症、予防医学、公衆衛生学について、ニューイングランドでの日常を織り交ぜつつ、考えたことを記していきたい。

青柳有紀

Clinical Assistant Professor of Medicine(ダートマス大学)。国際機関勤務などを経て、群馬大学医学部医学科卒(学士編入学)。現在、アフリカ中部に位置するルワンダにて、現地の医師および医学生の臨床医学教育に従事。日本国、米国ニューハンプシャー州、およびルワンダ共和国医師。米国内科専門医。米国感染症専門医。米国予防医学専門医。公衆衛生学修士(ダートマス大学)。

「大リーガー医」という言葉を最初に発表されたのは、洛和会音羽病院院長の松村理司先生です(http://www.iryoseido.com/kouenkai/017.html)。それは、端的に言って「優れた臨床能力持った、北米で活躍する医師」と定義することができます。では、北米で活躍する医師をあえて「大リーガー」に例えようとするのは、なぜでしょうか。政策研究大学院大学教授の黒川清先生が、前回紹介したティアニー先生について語った文章が、それを的確に要約しているように思えます。

 

「1995年に彼(野茂)が渡米するまで、日本人にとって『メジャー野球』は身近に感じ、意識される存在ではなかった。野茂からの10年余、多くの日本人が活躍し、日本人の誇りとなり、若者はメジャーにあこがれ、目指す。これが、情報が世界に瞬時につながる『フラット』な『グローバル』時代の本質だ...(中略)...グローバル時代、世界の『高い山』(つまり『メジャー』)を実際に見せ、体験させ、目標を感じ取らせる。これこそが教育の神髄だ。臨床教育も例外でない」

(松村正巳著『ティアニー先生の診断入門』医学書院)

 

つまり、アメリカの臨床の第一線で活動することのメタファーとして「メジャーリーグ」という言葉が用いられ、そこで活躍する「高い山」である、ティアニー先生のような一流の医師たちを「大リーガー医」と形容する構造が、ここに存在していることが理解できます。

 

医療は野球とあまりに違うため、僕はこのメタファーに当初違和感を覚えたのですが、それ以上にこうした思考プロセスに興味を持ちました。確かに、北米における医療を、「世界中の実力のある若者があこがれ、目指す」ようなものとして捉えることは可能です。実際に北米では多くの外国人医師が働いています。世界中から、北米(特にアメリカ)の最先端の医療を学ぼうと若者が集まってきます(自分もその一人です)。より充実した経済的対価を求めてくる者もいます。母国の政治や社会体制を嫌い、自由を求めてアメリカやカナダに来る医師もいます。しかし、僕が興味を持ったのは、「北米の医療をメジャーリーグに例えることが妥当かどうか」ということではなく、「なぜ北米の医療をメジャーリーグに例え、またそこで活躍する医師を『大リーグ医』と形容する必要があったのか、その背景にある意識構造(それは翻って日本の医療への何らかの『懸念』を意味する)とは何なのか」ということでした。

(続く)

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