Skip to main content
宮田(野城)加菜

ブログについて

日本の医療、在米邦人の方々の医療に少しでもお役に立てるよう、情報を発信していきたいです。

宮田(野城)加菜

東京医科歯科大学医学部を卒業後、腎臓内科研修を開始。在沖縄米国海軍病院を経て2011年夏よりアメリカ、ニューヨークにて内科研修後、ロサンゼルスにて腎臓内科専門研修を行い、指導医となりました。

★おすすめ

またアメリカの事だから、大げさに報道しているものと思っていました。昨年のハリケーン、アイリーンの際も、ニューヨーク市においては予想されていたほどのひどい被害は出ませんでした。沖縄海軍で働いていた時は、同じ台風に対して、米軍基地内は非常事態で基地内のお店も病院もER以外全て閉まる一方で、基地外の日本の病院は通常通り、日本のスーパーも同様に営業していました。自然災害は、甘く見るよりは多少大げさに備えた方がいいだろうと思いながらも、まあ今回も大したことのないハリケーンだろうなと考えていました。それが、まさかこんなダメージをもたらすことになるとは!

3日後にハリケーンが来ると分かった金曜日から、私たち内科レジデントはいつ呼ばれてもいいようにと常にポケベルを身につけるよう伝えられました。テレビのニュース番組では、大型でゆっくりと進むサンディーの進路予報が繰り返し報道され、またニューヨーク市長の記者会見では月曜火曜は外に出ないようにと市民に勧告していました。日曜日夕方7時に全ての地下鉄・バスが止まり、市をあげて翌日のハリケーン到来に備えることになりました。

月曜日朝、暴風雨の中病院へ。その日私は内科外来の予定でしたが、予定外来は全てキャンセルとなりましたので、午前中は診察室で待ちぼうけ、午後からハリケーンの被害に備えてのミーティングとなりました。電車が止まって来られない病院スタッフも多く、病院の夕食の配膳係が足りないということで、私はボランティアで配膳係を半ば楽しみながらやっていました。大惨事の始まりは、その日の夜の事です。夜9時前、14丁目の電気供給タンクが爆発し、25万人以上が住むマンハッタン39丁目以南は全て停電となりました。翌朝には復旧しているだろうと楽観的に考えた私は、とりあえず寝ることにしました。翌日起きてみると、電気だけでなく水道も完全に止まっていました。ラジオもテレビもつかず、携帯電話も通じない。アパート17階の部屋で孤立した私は、とりあえず真っ暗な階段を下り、目の前にある病院に向かいました。病院前のバス停留所のポールは見事に半分で折れ、昨晩の暴風雨の強さを物語っていました。自家発電で普段の半分ほど明かりがついた病院に着くと、集まったレジデント同士情報交換をし、病棟で働いている仲間を少し手伝いながら、私はとりあえず懐中電灯、ライター、ロウソク、水など必需品を買いに出かけました。大きなお店は閉まっていましたが、小さな家族経営のお店はロウソクの火でもって営業しており、とても助かりました。私と同様に外来ローテーション中のレジデントの中には、病棟事務や患者搬送係など足りないコメディカルの仕事を頼まれた人もいたようです。

翌日、ハリケーン一過の快晴とともに、私のERローテーションが始まりました。浸水やバックアップの自家発電が働かなかったなどで、ニューヨーク大学病院、ダウンタウン病院、ベレビュー病院、VA病院など近隣の大病院は全て閉鎖しており、私の病院は、マンハッタンの南半分、57丁目以南唯一の病院となっていました。ERの光景は、ひどいものでした。患者が溢れ、ストレッチャーで廊下で寝ているおばあさんや、寒いドアがひっきりなしに開く待合室で毛布に包まるおじいさん。「具合悪い」と看護師さんを呼んだ患者さんは、次の瞬間心肺停止となり心肺蘇生が始まりました。透析クリニックが閉鎖し4日間透析をしていなかった末期腎不全の患者さんで、カリウムが9と非常に危険な状態になっていました。外来がキャンセルされて薬がなくなる、アパートの真っ暗な階段を降りようとして転倒し骨折する、このようなことは容易に想像できるものです。私が予期していなかったのは、社会的入院を必要とする患者さんたち。在宅酸素がなくなった肺気腫の患者さん、洪水のため避難した避難所で夜間CPAPの機械が使えないと言われた睡眠時無呼吸症候群の患者さん。高血糖で救急車を呼び、アパートの25階から救急隊に背負われて1階まで下り、救急車で運ばれ、ERで治療を受けて血糖も正常値化して帰宅できると思った際に、とても25階の自宅まで階段を登れないという老夫人。また、ニューヨークには、24時間週7日のヘルパーをつけている寝たきり高齢者が大勢一人暮らしをされていますが、そのヘルパーさんが、子供の学校が休校となり日中子供達の世話をしなくてはならないからその高齢者の面倒が見きれないと言って、ERに患者さんを置いていく。「冷蔵庫がつかないけれど、インスリンはどこに保管すればいいの?」「電気がなくて暗くて寒い」という主訴にあっけに取られることも。そんな中、ハリケーンとは関係なく、普段通りに具合の悪い患者さんも紛れて来院されています。12時間、休みなしに働き続けても、まだまだ診察を待つ患者さんが大勢残っていました。入院を受ける病棟チームにも多忙が続きます。内科病棟はすぐにいっぱいになりました。外来ローテーションの内科レジデントたちで新たにチームが編成され、他科の病棟を借りながら内科入院を受けてくれました。酸素につないでおくだけ、など病状が安定した社会的入院は、なんと外科チームが引き受けることになりました。外科は予定手術が全てキャンセルされて緊急入院だけとなったため、病院中で外科病棟だけがベッドが余っていたのです。病院長や各科部長の的確な指示のおかげで、統制の取れた組織ができていたと思います。そして金曜の夜、奇跡の復電。病院の当直室にシャワーを借りに来ていた私は、電気のついた瞬間、知らない他科レジデントの女の子と抱き合って喜びました。5日間、電気なしで皆よく頑張りました。

ハリケーンから3週間が経過した今も、近隣病院のERが閉鎖しているため、私の病院には毎日大勢の患者さんが来院されています。通常は落ち着いているはずの平日午前でも、120人以上の患者さんがER内にいるという状況です。皆、普段以上のシフトを組んで働いておりましたが、ついに今日から、閉鎖中のニューヨーク大学のERレジデントやアテンディングが毎日数人ずつ私の病院のERで働いてくれることになりました。大きな助けになるだろうと、期待しています。

今回の経験を機に、私も災害対策をきちんとすることにしました。携帯電話の充電、懐中電灯、かつラジオとして使用できる万能手回し発電機を購入。ロウソク、ライター、マッチなどとともに災害袋を準備。災害時はまずお風呂に水を張って、トイレや洗い物に水を使えるようにしようと思います。「備えあれば憂いなし」災害は突然やってきますから、やはり準備は事前に行うべきですね。そして、自然災害は決して甘く見てはいけません。さて、明日もER頑張ろう!

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。


バックナンバー