(この記事は2012年11月9日CBニュースhttp://www.cabrain.net/news/に掲載されたものです。)
先日、MDアンダーソンがんセンターのプレジデントが前例のないプログラムを大々的に立ち上げました。その名もMoon Shot Program。6つのがん領域に対して、今後10年間で莫大な資金と人的・物的資源を集中的に投入し、5年生存率を大幅に改善させ、その成果をもとに、その後数十年で、それらのがんの根治を目指すというものです。1971年に、ニクソン大統領(当時)が「がんとの戦争」を宣言して40年-。米国のがん研究、治療の最前線の様子をお伝えします。
■アポロ計画になぞらえて―プログラムの全貌
奇しくもMDアンダーソンがんセンターのあるヒューストンは、人類が最初に月に降り立った際に地球と交信した場所でもあります。1961年にケネディ大統領(当時)が「私たちは今後10年以内に人を月に送り出し、無事に帰還させる」と宣言し、実際にそれを成し遂げたアポロ計画になぞらえて、このプログラムはMoon Shotと名付けられました。
このプログラムが初めて提案されたのは1年前。対象となる6つのがん領域を選ぶために、各科からさまざまな研究の提案がなされました。わたしも共に働く上司の指導のもと、骨髄異形成症候群に関する研究提案に携わることができました。
最終的に選ばれたがん領域は以下の6つ。
1)急性骨髄性白血病・骨髄異形成症候群
2)慢性リンパ性白血病
3)皮膚悪性黒色腫
4)肺がん
5)前立腺がん
6)乳がん(ホルモン受容体陰性、HER2陰性)・卵巣がん
なぜ、白血病から2つも選ばれたのかだとか、消化器系のがんが1つも選ばれていないのかだとか、いくつかの疑問はあり、選定の過程にさまざまな引力が働いたであろうことは想像に難くありません。
とはいえ、このプログラムが掲げている「向こう10年で大幅に5年生存率を改善させ、最終的に根治を目指す」という目標は、大変大胆で野心的だといえます。
■がんの根治、本当にできる?
ニクソン大統領が「がんとの戦争」を宣言してから40年が経つ今も、米国でがんは心臓疾患に次ぐ第2位の死亡要因です。過去数十年できなかったことが、今から10年で本当に可能なのでしょうか。
なぜ今なのか?これまでと何が違うのか?勝算はどこにあるのか-?多くのメディアや専門家が疑問を投げかけています。
ここ数年で、がん研究は実に飛躍的な向上を遂げているのは確かです。遺伝子情報を読み取る技術が急速に発展し、がん細胞の遺伝子をすべて読むのにかかる時間とお金は、10年前に比べると100分の1以下に減りました。その情報を基に、がんの発生メカニズムの解析、新薬の開発は今までよりもずっと速いスピードで進む可能性があります。加えて、がんに対する免疫的なアプローチや放射線治療もこの5-10年程度で相当な進歩を見せています。新しい技術と得られる情報を集約して、それを実際の診療に素早く反映させることができれば、がん治療は革新的な進歩を見せる可能性がある。だからこそ、「今」なのだとプレジデントは強調しています。
■患者に「根治できる」と言うこと
このMoon Shot ProgramのウェブサイトではCure=根治や、Eliminate=駆逐という言葉がふんだんに使われています。残念ながらその強気な姿勢とは裏腹に、実際現場で働く腫瘍内科医たちは、がん患者さんに対してCure=根治という言葉を使うことに未だに慎重です。「患者さんに過大な期待をさせるべきでない」「がんはコントロールできても根治はなかなか難しい」「根治すると言っておいて後から再発したらどうするんだ」―など、さまざまな「恐怖」が、多くの腫瘍内科医にこの言葉を使うことをためらわせています。
もちろん、再発に対する真の「恐怖」、治療経過に対する「不安」を一番に感じているのは患者さんであり、医師の抱える「恐怖」とは比べものにならないことは間違いないと思いますが。近い将来、より多くのがん患者さんに対して自信をもって「根治」という言葉を使えるようになる日が来れば、このMoon Shot Programは成功したと言えるのかもしれません。
最後に、このプログラムは医療界からだけでなく、ビジネス界・製薬業界からも一定の注目を集めています。投入される資金は10年間で30億ドル(約2400億円)と言われていますから、簡単に計算しても、年間1つのがん領域当たり4000万ドル(約40億円)という巨額の予算です。具体的にどれくらいの金額がどこから、どのように集められるのか、すでにどれくらい集まっているのか、詳細はまだはっきりしませんが、今後順調に資金が集まるかどうかは、最初の数年の成果にかかっているのかもしれません。
大きな注目を集めるMoon Shot Programが今後どのように進んでいくか大変気になりますが、まずは自分の提案したプロジェクトをしっかりやり遂げて、その成果が患者さんに還元されることを願ってやみません。
高橋先生
このリストになぜ前立腺がんが入っているのか、どうもよく分からず腑に落ちないのですが、教えていただけませんか?政治的な問題でしょうか?それとも前立腺がんにかなりの確率で期待できる治療薬があるのでしょうか?
政治的な問題は、憶測の域を超えないのでコメントしないでおきますが。少なくとも、前立腺がんでは結構なブレイクスルーが最近いくつかありました。特に、免疫療法とホルモン療法での新薬がいくつか承認されてかなり期待されています。もともと生存率の悪くない癌種ですが、それでも一部は治療抵抗性ですので、そこの生存率をどれほどこれらの新薬や今後の新薬で改善できるかを目指すのだと思います。
クリスマスで暇になり久しぶりにあめいろぐを覗かせていただきました。
以前、覗いたときも高橋先生の志に感銘を受けておりました。
MDアンダーソンは全米トップだと伺っておりますが、不本意にも左遷され
ヒューストンへ2軍落ちという意味がわからないのですが、1軍はどこにいるんですか。
前立腺はかなりやられていてうまくいっているので政治力があるんだと思います。
ただ、こういうのは製薬企業の方向性がすべてかなと思います。
高橋先生にはぜひがんばってもらって、今後増えるであろう白血病の患者さんの
力になってほしいと思います。
ブログを読んでいて、一点だけ気になるのは日本にも、一流の研究者が少し存在して
おりまして、先生ご存知とは思うのですが、九州大学の中山敬一教授が先生の分野と
かぶるかもしれませんので、世界の頂点を目指してうっかり日本を忘れていたという
笑い話にならないようにお願いいたします。
また、今後がんばってください。
磯部先生
コメントありがとうございます。アンダーソンは、クリニカルパワーハウスとしては確かに、トップクラスかもしれませんが、こと基礎研究となるとかなり遅れをとっています。紹介文には特に意味はありませんが、基礎研究では施設全体でみると一軍ではないかもしれません(と、まだ何も業績のない人間が偉そうに言うなとお叱りをうけそうですが、客観的意見としてお受け取りください)。
特にわたしの血液の分野では、正直、日本の研究のレベルと高さはすごいものがあります。アンダーソンのラボは正直、追いついていってません。。。不勉強で中山先生のことは先程、調べるに至りましたが、いつも日本から出る論文には意識させられております。アメリカ血液学会での日本人研究者のプレゼンスにはものすごいものがありますので、忘れようにも忘れることはできません。いつか日本に帰りたいので、もちろん日本に限らずアメリカ以外の研究にも常にアンテナを張っていくように頑張りたいと思います。ありがとうございます。