(この記事は2013年8月号(vol95)「ロハス・メディカル」 およびロバスト・ヘルスhttp://robust-health.jp/ に掲載されたものです。)
私の住むミネソタ州ロチェスターは冬が長く、夏になると待ってましたとばかりにハーレーにまたがって髪をなびかせる姿を見かけるようになります。日本ではバイク運転時のヘルメット着用が義務化されていますが、米国では必ずしもそうではありません。すべての運転手に着用義務があるのは、19の州とワシントンD.C.だけです。28の州では、17歳以下など一部の運転手には着用義務があります。3州では義務づける法律がありません。
ヘルメット着用は事故時の死亡や重大な後遺症を防ぐことがほぼ明らかです。副作用もなく、その効果に比べて安価なので、とても優れた対策のように思えます。重大なバイク事故を起こすのは若年者が多く、四肢麻痺などの後遺症が本人や家族にもたらす負担や損失を考えると、社会経済的観点からも望ましい対策だといえるでしょう。
それではなぜ米国では、ヘルメット着用がすべての州で義務づけられていないのでしょうか? 最も大きな理由は「自己決定権」です。バイクに乗るか乗らないかは個人の自由で、ヘルメットを着けるかどうかも、個人が決めるべきだと考えます。今日どんな服を着ていくか政府が決められないのと同様に、バイクに乗る時にヘルメットを着けるかべきか政府が決めることはできない。事故によるケガは運転手の身に起こり、他人に害を加えるわけではないので自己責任だ、と考えます。
タバコ規制に関しては、受動喫煙が他人の嫌煙権や健康を侵害すると考えられるので、公共の場で喫煙を禁止する正当性を主張できます。未成年の飲酒は、本人が飲酒の危険性を十分評価できず、健康に害を及ぼす可能性があるという、弱者救済の立場から正当化されます。一方で、成人に対するヘルメット着用義務は主に個人の危険防止が目的であり、それらの主張が成り立ちません。
しかし、本当にヘルメット着用は自己責任でしょうか? ケガをした本人は救急車で搬送され、病院で治療を受けます。高額の治療費は本人の他にも保険、病院、政府のいずれかが負担します。重い後遺症が残れば政府から保障を受けられます。仕事に支障を来たせば、雇用保険が適応されるでしょう。ヘルメット不着用による結果は、社会全体で負担しているとも考えられます。
ヘルメット規制は、自己決定権と社会的利益の軋轢が如実に表れる好例です。この軋轢は、医療の現場でもしばしば見られます。例えば、敗血症にかかった薬物中毒患者が自己決定権の下に治療途中で自主退院したとします。その結果状態が悪化して再入院し、高額な医療を受け、治療費は国の保険を通して税金から負担されます。患者本人にも、本来であれば起こらなかったはずの合併症が起こり得ます。ヘルメット着用であれ医療現場であれ、自己決定権を過度に尊重することで、社会全体のみならず、回りまわってその個人にも不利益をもたらす結果にならないのか、考えさせられます。
びっくりです。もしかしてアメリカは車のシートベルトや飛行機のベルトも着用は個人の自由にまかせているのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。車や飛行機のシートベルトは着用義務があります。しかし、車のシートベルトを義務化するときも一悶着あったようです。公衆衛生は常に個人の権利とのせめぎ合いです。