(この記事は、2013年4月8日に若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に掲載されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)
暖かい日差しが差し込むロビー。メイヨークリニックの平日の午後は、病院であることを忘れるほど穏やかな時間が流れている。格調高い美術館を思わせる大理石の広い階段を下りた先に、グランドピアノが座っている。ビオラを奏でる初老の男性の元に、車椅子の老婦人が近寄る。
小声で何やら会話を交わすと、老婦人がピアノの前に座り、即興のセッションが始まる。周りの人たちは軽い驚きを抑えつつ、2人のセッションに聴き入る。カンファレンスに向かう私は足を止め、時間を気にしながらもその場から離れられない─。
いつも誰かが、そのグランドピアノを弾いている。奏者がミュージシャンであることはあまりない。多くは患者やその家族、メイヨーで働く医師や病院ボランティアなどだ。いつ誰が演奏すると決まっているわけではない。その時、その場にいる人が、弾きたい曲を弾く。心が癒される、もしくは元気が出る曲が選ばれることが多いように思う。
グランドピアノは実は一つではない。他の棟のロビーなど2つの場所にも置かれているのを知っている。総数はもっと多いはずだ。メインロビーのそれほどではないが、他のピアノも時折誰かに弾かれ、美しい音を響かせている。
私は、聴衆があまりいないところで弾かれているピアノを聴くのが好きだ。その演奏は、ともすると殺風景で暗い場所になりがちな病院にちょっとした彩りを加えてくれる。
化学療法を受けに外来を訪れた人、見舞いに来た人、セカンドオピニオンを求めて遠くからやってきた人。その多くが不安を抱えている。待ち時間はとても長いように感じられ、思わしくない結果に苛立ちも募る。
ロビーに響く音楽、聴き入る人々、拍手、笑顔。病院に来た人にとって予想外の光景は、心を温かくし、一種の“治療”効果をもたらすのではないだろうか。
臨床や研究にいそしむ医師、忙しく働く従業員にとっても、そこは気が休まる空間だ。足早にロビーを通りすぎようとしていたのに、音楽が聞こえてくると、少し歩調を緩め、時に足を止め、耳を傾ける。ピアノが弾ける人にとっては、自慢の腕を披露できる嬉しい機会でもあるだろう。
初老の紳士と老婦人のセッションが終わると、聴いていた人々から盛大な拍手が送られる。2人は少しはにかみながらも、得意げに会釈して応える。こんなとき私はもしピアノが弾けたなら、と思ったりもする。そして思い出したように、足早にカンファレンスへと向かう。