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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

読売新聞の第一報を見たわけでも、紙面を直接見ているわけでもないので、限られた情報による意見であることをご了承ください。また、事象を後方視的に見ているため、医療でもよくあるところの「後から見れば何でも簡単に見える」ピットフォールに陥っている可能性があることもご考慮ください。

信頼できる医療(医学)情報の提供のあり方には少なからず興味を持っていたので、今回の誤報を受け多少なりとも考えるところがありました。生存の本質に関わる分野の中で、医療は提供者側(医師)と受給者側(患者)の情報格差が最も大きい分野だと思っています。それを縮めるべく、医療の分野ではインフォームド・コンセントや患者主体の医療といった概念が発達し、様々な取り組みがなされていますが、情報格差は医療の本質とも言える部分なので、それが緩和されこそすれ、完全に埋まることは今後もないでしょう。

そのため、情報を伝える主体、すなわち提供者と受給者を橋渡しする主体が大変重要になります。私の意見では、医師を中心とする医療(医学)提供者がより効率的かつ効果的な情報発信を担うことが重要だと考えていますが、それを媒介する主体、すなわちメディアの役割が消失するわけではありません。インターネットの普及により、提供者から受給者へ直接メッセージを発信することが容易になったものの、受給者が溢れる情報を効率よく取捨選択するのには相当なリテラシーが必要です。またそのリテラシーを最初から持っていれば、受給者本人が一次情報にあたることも可能です。したがって、やはり情報をまとめて効果的に発信するメディアが医療(医学)の分野では重要なのです。

今回の報道を見て、率直に疑問に思った点が数か所あります。1)ヒトへの臨床応用なのだから、IRB(倫理委員会)の認証が必要だが、その事実が確認されていない、2)学会発表を予定していたとされているが、会費さえ払えば誰でもポスター発表できる会合だった、3)論文が発表予定だったとされているが、その事実がない、4)そもそも「本当か?」とは思わなかったのか。

私が尊敬する、山中教授が所属する京都大学のiCeMSで働く仙石慎太郎氏 https://twitter.com/ssengoku は、第一報後にその内容に疑義を呈しています。以下ツイッターのコピペです。”@ssengoku ClinicalTrials.govにはそれらしき治験が見当たりませんでしたが、そもそもの真偽のほどはいかがでしょうか。” iPS細胞研究に造詣の深い氏であることを差し引いても、批判的吟味(Critical thinking)の素養がある科学者であれば、このような反応をすることは想像に難くありません。毎日論文を読みながら「これ本当か?ちょっと怪しいんじゃないの?」と難癖つけるのが当たり前の作業になっているからです。

上記の1から3は、一度でも論文を書いたことがあれば誰でも分かる基本です。4は、確かに少しセンスが必要かもしれません。肩書を大学に確認しなかったことや、共著者に裏を取らなかったことが問題視されていますが、これらはメディアのプロトコール尊守の問題です。私には、問題の根本原因はそこではないように思えます。

誰かが「これってSwiss Cheese Modelと考えていいの?」と面白いコメントをしていたので、少しこの側面から考えてみたいともいます。スイスチーズモデルでは、ものごとは何重にもあるミスを防ぐバリアがあり、それぞれのバリアには小さな穴が(スイスチーズのように)いくつも空いていると考えます。一つ二つの穴を抜けても次のバリアがあるので、普段は致命的なミスが未然に防げますが、何らかのきっかけで全てのバリアの穴が一直線に揃ったとき、ミスがあらわになります。

医療の分野でこのモデルは多用されます。最後の部分を医療事故や医療ミスと考えてもらえれば、そんなに難しい話ではありません。間違った足に手術をするミスが発生するときには、その事例は何重もの安全機構の穴を通ってきています。医療の分野においてこのモデルが使われる理由は、ミスをした個人を特定して責めるのを避け、「なぜこの事故が起きたのか?」「同じ事例を防ぐためにはどうしたらいいか?」を明らかにするためです。医療ミスの多くは「できの悪い個人」が原因ではなく、「ミスを発生させうるシステム」が原因であることが多いからです。

それでは今回の誤報事例において、何が「穴」で、なぜその穴を通ってきてしまったのでしょうか。正しい分析のやり方では可能性のある要因をくまなく挙げ、時間をかけて検証する必要がありますが、ここでは私見を述べさせていただきます。

まず一つに、安全機構として働くはずの科学部の存在です。上にも挙げた通り、科学的素地のある人ならすぐに気付くはずの「?」がいくつもあります。科学性の高い事実には、裏付けを取る方法はいくつもあります。それが科学のプロトコールだからです。それを確認できる人材がいなかったのか、それともそのような手続きを踏む規定や文化がなかったのか、いずれにしろ非常に残念です。

もう一つは、正確性を疎かにする文化の存在です。これは医療にも言えることですが、ミス事例の背景には「安全性を軽視する動機や文化」が関与していることが多いです。医療の世界には「医療は不確実だからミスは起こっても仕方ない」という文化が根付いており、忙しすぎる医療現場もそれに拍車をかけています。日本の報道の世界では、速報性とニュース性(奇抜性)を重視するあまり、安全性(正確性)への観点が疎かになっている事例が数多くみられます。それがプロトコールの非尊守につながり、スイスチーズの穴を広げる原因となっている可能性が高いです。

さらにその背景には、新聞という媒体の凋落が原因の一端としてあるでしょう。インターネットメディアにより質の高い情報をえることのできるリテラシーの高い層は、すでに日本の新聞から情報を取得することが少なくなってきています。財政的基盤が揺らいでいる新聞社は、新聞からしか情報を得ることのできない読者層に好まれる記事を書く必要性に迫られています。それが負のスパイラルとなって、質の低下をさらに加速させているように思えます。

今回の事例は、残念ながら報道機関の構造的問題です。記事を書いた記者でも、それを承認したデスクや編集長でも、ゴーサインを出した医療班のトップの責任でもありません。ましてや嘘をついたネタ提供の本人の責任では全くありません。当の新聞社は事実関係を徹底的に調査するとしていますが、記事作成に関わった関係者を処罰するだけに終わらないか、本質的な問題の解決を図れるかどうか疑問です。そしてこれは当の新聞社だけの問題ではありません。

日本ではポスドクの研究者は職をなかなかえられないと聞きます。これを機に、新聞各社は彼らを積極的に採用してみてはどうでしょうか?それと共に、恐らく新聞社にはパラダイムシフトが必要です。速報性はすでに新聞社の得意領域ではなくなりました。ツイッターを始めとするインターネットで、当事者が情報を拡散できるからです。また、すでに情報が溢れる社会では、奇抜性の高いニュースはどこにでも転がっています。

矛盾するようですが、私は大手新聞社の価値は今後高まっていくと思っています。しかしそのためには、現状維持ではいけません。取材力、記事作成能力、情報集約力、情報発信力、それらにおいて圧倒的な優位に立つ新聞社の能力を、誰でも情報発信できる現代社会において最大限に発揮するためにはどうしたらいいか。私にとって、その答えは自明なもののように思えます。

1件のコメント

  1. 非常に的確な指摘だと思いました。是非、読売新聞に送るべし。
    寒そうだけど、頑張ってね〜。

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