(この記事は、若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/
米国で6月は別れの季節です。大学の卒業シーズンですし、病院の雇用期間も6月締めが多いです。米国に来て10年になりますが、これまでたくさんの友人が日本に帰っていくのを見送ってきました。今年も、シカゴで仲良くなった友人たちが大勢日本に帰っていきます。この時期はいつもつらいものですが、いつか再会する日を楽しみに、しばしの別れを惜しみます。
ここで、別れの言葉というほどのものではありませんが、帰国する友へ伝えたいメッセージがあります。そして、これから渡米する人にも少し耳を傾けてほしいことがあります。それは…
“日本に戻っても、自分の中に起こった化学変化を止めないで”
ということです。特に、米国で2~3年勉強し、修行して日本に帰っていく人たちに聞いてほしいのです。
私を含めて、日本から渡米した人の心情の変化にはある一定のパターンがあります。渡米して最初の1年ほどは、多くの人が米国に失望します。
はるばる米国に引っ越してきたわけですから、色々な期待を持ってきているはずです。日本には無いないものを求めて、いろんな困難を乗り越えて、やっとたどり着いた米国。しかし、現状は期待外れなことが多いのです。まず、社会の基礎的なインフラが日本に比べてしっかりしておらず、生活のセットアップすらままならない。インターネット回線を引くのも、ガスの料金を払うのも、何かとトラブルが多くうまくいきません。ファーストフード店に行けば店員の対応がヒドイ。飯はまずい。日本にいた時は見えなかった米国のネガティブな部分が見えてきます。一方、日本の良いところがことさらに懐かしく思えて、色々なことにがっかりします。
この状態の時は、“アンチ米国”になり、やたらと米国の悪口ばかり言います。よく「なんでこんな国が世界で威張っているんだ?社会に矛盾が溢れてるじゃないか。日本のほうがいい国じゃないか」といったセリフを口にします。
そこからしばらくすると、少しずつ心情に変化が現れます。生活のセットアップが完了し、日本人の友達が増え、コミュニティーに居場所が見つかり、職場でも愚痴を言える同僚が見つかり、日本食にある程度不自由しなくなった頃、米国の良いところが見え始めます。渡米時にやりたかったことができるようになり、少しは頭がさえてきます。自由な職場の雰囲気、お気に入りのビール、日本では出会えなかった個性的な友人たち。
そうなってくると不思議なことに、今度は日本の悪いところが見えてきて、久しぶりに日本に里帰りすると違和感を覚えたりします。例えば、東京の人ごみとか、そっけない人々の対応とか、レストランでのタバコとか(アメリカはほとんどの州で店内禁煙です)…。日本で自分が固持してきたものに疑問を抱くようになり、それがただの食わず嫌いだったり、盲信だったということに気付かされます。米国と日本を、以前よりは公平に比べられるようになるのです。
私はこの心情の変化を、一種の「化学変化」だと思っています。閉じられた環境が外に開かれると、それまでの平衡状態が一旦崩れるのですが、しばらくすると別の新しい平衡状態に落ち着きます。新しい要素を取り込んで、もう少し複雑な平衡を獲得するのです。
私自身もこの「化学変化」を経験しましたが、何の因果か、その後も米国で過ごすことになり、その先の変化を体験することができました。さらにその間、ボストン、ニューヨーク、シカゴという3つの街に住む機会に恵まれました。
米国での生活も6年ほどたった頃、米国に対して、それまでにはなかった印象や思いが芽生えました。違う街に移り住んだ影響もあると思いますが、日本でも、街によって風習や雰囲気が異なるのと同じように、米国も街によって全く違う顔を見せることに気付いたのです。今まで“米国”の特徴としてひとくくりにしていたものが、実はその街の特徴だったこともありました。
こうなると、よくある、「日本vs. 米国」という図式は、あまりにも単純化された対比であり、「米国では…」とか、「日本と比べて…」といったコメントがいかに実情を反映していないものかが分かります。むしろ、「今自分のいる職場では、米国の他の職場とは少し違って…」とか、「シカゴのこの一画は、名古屋の~に似て…」といった対比で考えるようになります。米国での生活が、”訪問者”としての仮の生活ではなく、本当の日常になり始める時期と言えます。さらに米国に住み続けると、この不思議な化学反応はさらに進みます。米国の政治や米国の経済活動に積極的に関わっていきたくなるのです。自分が米国に対してできることがあるのではないか、自分の能力と技術を、この社会のために生かすことはできないか、という思いが湧きます。私の場合は、娘が生まれ、彼女が米国人であり、米国の社会の将来、政治の動向、未来の住環境が直接、娘の今後に影響を与えることが分かっているからかもしれません。ごくまれにですが、日常生活の中のふとした瞬間に”自分にもこの国のために何かできるのではないか”と思いたったりします。そういったことを、外国人に思わせる何かが、この社会にはあるような気がします。
その「何か」こそ、米国が米国たるポイントだと思うのですが、米国には外国人の積極的な関与を受け入れる土壌があるのです。私が所属するプロフェッショナルの集団においても、学会の長になり、オピニオンリーダーになり、米国に多大な貢献をしている移民の医師を多く見かけます。そして、それは特段珍しいことではなく、よく見る光景なのです。外から来た人たちにも、「参画したい」「寄与したい」と思わせる何かが、この社会にはあると思うのです。
この想いは、自分でもとても不思議で、たまに持て余す感情でもあるのですが、一つだけ言えることがあります。それは、自分が日本で育ち、日本語を話し、米国にはない価値観を持っているからこそ、芽生えた気持ちだということです。この米国社会では一般的とは言えないものを私が持っているからこそ、それをこの社会に持ち込みたい、その効果を発揮させてみたい、と思えるようになったのだと思います。
この化学変化は、あるいは特殊なものかもしれません。しかし、異なる2つの文化の中で揺れ動いた人の中では、多かれ少なかれ、これに似た「化学変化」は起こっているはずだと思います。どうか、日本に帰ってからも、自分の中で動き出した価値観の変化を止めないでください。自分のこれからの人生を、日本と米国という場所に縛られたものにしないでほしいのです。世界中から人材が集まってくる場で、自分が培ってきた能力と経験を最大限に発揮できるフィールドに参入していこうという気構えを持って、自分のライフワークを追求してほしいのです。
皆さんと世界のどこかで再会する日を楽しみに。