“民族という幻想”
に気がついたのは、高校生ぐらいの時だったでしょうか。 それとも、中学生の時にアメリカにホームステイして、日系3世のアメリカ人の家族にお世話になった体験からでしょうか。
“民族”
昔からあるようで 意外と新しい概念であったり、言語によって使っている意味が違ったり、日本語から英語にする時もNationなのか、Cultural Groupなのかといろいろと問題の多い言葉です。で、いつもどうしても素通りできなくて考え込むのです。このキーワードに、なぜ日本を離れアメリカで仕事をし生活をしているのかが隠れているような気がするのです。
アメリカに来る前は、その理由を ”小児科として、臨床と研究の両方をしたい。日本では、特に小児科は臨床が忙しく、ハイレベルな研究をするには臨床を諦めなければいけない。アメリカなら両立が可能だというので目指す” と周囲に言っていました(特に家族の説得に)。 今思えば、何と的外れなロジックでしょうか。 日本のハイレベルな研究が、臨床に近いところでも行われていることすら知りませんでした。 恥ずかしい話ですが、若気の至りということで。 なぜ正直に ”世界中から人が集まって、医学を引っ張っているアメリカに行ってみたいという好奇心だ!”と言わなかったんでしょうね。まあ、それは含羞だったのでしょう。
アメリカに来て9年が経ちますが、ことここにいたっては、”アメリカに来た理由”よりも、 ”アメリカに残り、日本に帰らない理由”を考えたほうが状況に合うと思います。
昨年、岩田健太郎先生のBlogをみつけました。1,2度あったことのある方で、一世代前にNYで内科の研修をして卒業し、その後世界のあちこちで経験を積まれ、今は神戸大学の医学部で教授をされています。それが、また、ものすごい生産力なんです。本を執筆されたり、臨床の現場でしっかりと患者を見て、教育をして、国の政策にも提言してと、まさに超人です。
そのお姿を見ていて思うことがありました。”もし日本語で仕事ができたら、(彼ほどとはいかないけど)もっと生産力が上がるんじゃないか?”と。
実際、2010年の春に東京の病院で一ヶ月実習したときは、日々の業務がいろいろと楽でした。2つの会話を同時にこなしたり、耳から入ってくる情報をちゃんと処理しながら、別の作業を手でしながら、目は別の文章を追うことができました。多分、作業効率だけ見ると2-3倍です。 まあ、日本の医者は雑務も多いので別にそれが速くできたからっていいわけではないのですが、日本語の労働環境における処理効率の高さに我ながら驚きました。
シカゴに来て専門医課程になって、診る疾患の難度が上がり、上司からの評価が厳しくなり、人間関係の緊密さが濃くなり、第2言語での活動に限界がちらついてきました。 レジデントの時は、自分は20人のレジデントのうちの1人で、上司との緊密度も低く、それなりに何とかなっていたことが、今は同じレベルのFellowは僕を入れて2名。 比較対照のその彼がとても優秀で、人格もとても良いときてるので、とてもかないません。まあ、競争しているわけではないのですが、彼のように仕事ができたらなぁ・・・と思うことが多々ありました。日本語だったらできるのにって思ってしまうわけです。カルテの文章も、色々と勉強していくのですが、彼と比べるとやっぱりかっこよくないのです。そんなフェロー1年目を悶々としながら過ごして、先出の岩田先生のことをおもったりして、自分も日本語だったらもっといいOutputが出せるはずなのに、って思う時期がありました。
じゃあ、日本に帰れば?ってなるわけですが、どうしてもそうはいかない。ということは、自分の中に何かこだわりがあるはずなのです。その一つが、この”民族”というキーワードに込められているのではないかと思っています。
日本とアメリカの、根本的な違い。 というか、アメリカという国が20世紀を通じて強く、21世紀もまだまだっていう勢いがある理由。 世界の中でもユニークである点。
それは、その国の中に住む国民の構成民族の多様性。僕はそう思います。