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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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(この記事は、2015年11月2日に若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に掲載されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)

医療は基本的にローカルなもの。それは正しいと思う。ほとんどの医療は、その人が住んでいる地域の中で完結する。一方で、やはり地域を跨がなくてはいけない場合も往々にしてある。アメリカのように一つの国の中で全く異なるシステムが複数あると、特に社会的弱者に対して弊害が出てくる。

例えば、『ミネソタとシカゴのはざまで』に書いた、HIV腎症の20歳代の彼女。低所得者を対象とする公的保険のメディケイドは州の管轄なので、基本的には州内で提供される医療しかカバーしない。引っ越して州を移ったら、新たな居住地でメディケイドを申請する必要があるが、申請から認可まで2~3か月はかかる。認可されるまでの医療費は全て自己負担になってしまうため、医療機関にかかることは難しい。彼女のように週3回透析が必要な人にとっては、州をまたいで移動することも大きなリスクになる。

また例えば、『出稼ぎ労働者たちの診療』にもあるように、他の州に移動する季節労働者たち。冬の間は生活費や光熱費が安い南の地域で過ごし、夏に北方にやってきて仕事をする。ちなみに、移動手段は彼らの雇い主が提供するか、仲間内で車を持っている人の車に多数乗り合ってやってくる。経済的には合理的な生き方だし、農業など季節性の大きい仕事には必要な働き手だ。しかし、彼らをうまくカバーする医療保険システムは、残念ながら今のところ存在しない。
上記の通りメディケイドは他の州での医療費をカバーしないし、民間医療保険を買ったとしても(ほとんど買える人はいないが)、「ネットワークの問題」が立ちはだかる。というのも、ほとんどの医療保険では、自己負担割合が低いネットワークが設定され、ネットワーク外の医師や医療機関では自己負担割合が高くなるからだ。

民間保険にも「ネットワークの問題」が
米国の民間医療保険には、保険プランごとに、ネットワークと呼ばれる提携医療機関群が指定されている。そして、ネットワークに加盟している医師に掛かれば、免責額(保険が適用される前に自分で支払わなければいけない金額)が年間500ドル、自己負担が1割で済むが、ネットワーク外の医師に掛かれば免責額は年間3000ドルで自己負担は3割、といった設定がなされている。

こうなると、ネットワーク外の医師に掛かろうなんて気は起こらない。そして、安い保険プランになればなるほど、ネットワーク内の医師や医療機関の所在地は自分が住んでいる地域とその周辺に限られ、ネットワーク外の自己負担も増えていく。従って、収入が高くない季節労働者たちが、他の州など遠い地域で医療を受けることはほぼ不可能だ。

季節労働者も、そういったシステムをきちんと学んで、メディケイドの移行申請など前もって必要な準備をすればいいのではないか? お金がないのだから、移動せずに地元で暮らしていればいいのではないか? こう思う人もいるかもしれない。社会保障に頼っているのだから、自由な移動が制限されるのも、倫理的に許容されるのかもしれない。しかし残念ながら、彼らの実際の生活は想像以上に大変だ。

医療以外にも“選択肢”のない生活

多くの場合、携帯電話はプリペイド式。お金がないので、結構頻繁に電話が使えなくなる。そうすると、役所や医療機関にも連絡が取れない。車を持っているのは比較的裕福な人だけだし、あってもガソリン代が高くつくので、そうは使えない。となると移動はバスが主だが、ある程度の都市部でも30分か1時間に1本しかないので利便性は非常に悪い。電車なんて、大都市にしか整備されていない。もちろんインターネットやパソコンは自宅にはないので、必要な情報を集めるのもままならない。

仕事をしたいと思っても、移動手段がないと遠くには通えない。仕事のありそうな場所の近くに引っ越そうと思っても、定期的な収入がないとアパートが借りられない。生活保護下や、定期的な収入がない状態で借りられるアパートは、そういった人が集まる地域に限られている。うまくアパートを借りられても、家主とのトラブル(そういうアパートには、悪い家主もいる)で急に退去させられることもある。すると、いきなりホームレスだ。もしそうなったら、また別の場所に移動しなくてはいけない。実際、季節労働者には定住場所を持たない時期がしばしばあり、友人の家を転々とすることもある。

大変な時期は、今日の食事にも事欠く。どこで何を食べるか、何が食べられるかを考えなければならない。無料で提供される食事にありつくために、バスでの移動が必要になるかもしれない。移動時間を活用して何かができるわけでもない。日々の生活以外のことを考えたり、先を見越した動きをしている暇は、なかなかない。

季節労働者には、生活の多くの部分で様々な制約がある。家を失うなど事情によっては、移動を余儀なくされることもある。そして、夏の期間だけでも、確実に仕事がもらえる季節労働は生活の糧だ。彼らとしても、好き好んで州をまたいで移動しているわけではない。さらに、彼らにとって医療は、多くの健康な人と同じで、二の次でしかない。二の次だから、いざ本当に困ったときまで時間や労力を使うことはない。そして、その行動様式を変えることは、食事や移動手段など、それに優先する全ての要素に介入しない限りは、恐らく現実的ではない。

医療を受けられる地域が限定されるようなシステムは、生活のために移動を余儀なくされる社会的弱者に対して、かなり手厳しい。米国の医療システムが、弱者に厳しいと言われる理由の一端である。いつ、どこで健康に困っても、全国どこでも医療が受けられる日本のシステムは、患者にとって非常に優しく、分かりやすい。

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