複数の報道機関が尼崎事件で顔写真を誤掲載して記憶に新しいですが、この手のミスは過去にも少なからず起こっています。今年だけでも、2月には岩手の落雪事故で報道番組が被災者の写真を、大分県日出町の女児不明事件で新聞各社が親子の写真を誤掲載しています。これらのミスを完全になくすことは可能でしょうか?
答えは恐らくノー、でしょう。飛行機の墜落事故のリスクがゼロにはならないように、そのリスクもまたゼロにはなりえません。ものごとを少し単純化して考えてみます。例えば一人の記者が写真を間違える可能性を1000分の1とします。1000回誰かの写真を必要とする取材をしたら、1回はミスをすると仮定してみます。
普段は非常に几帳面で、細かいミスも滅多にしない優秀な記者。取材のファイルは見事に整頓されており、5年前に書いた記事を参照したいときには数秒もかけずその関連情報を引っ張ってくることができる。将来が有望視され、出世コースのど真ん中にいるエース記者。そんな彼(彼女)でも、前日に徹夜で記事を仕上げたとか、ここ一週間主要事件の取材で一日平均3時間しか寝ていないとか、ここ一カ月彼女(彼氏)と上手くいかないとか、風邪を引いて症状が長引いているとか、なんだか調子が上がらないときもあります。そんな滅多にない時期を狙って、1000分の1はやってくるのです-
普段は最低2人には必ず裏を取るようにしている。親戚で一人、友人で一人。二人が間違いないと言ってくれれば、その写真はゴーだ。しかしどうも今回は勝手が違う。親戚に連絡がつかない。締め切りは3時間後だ。友人があまり協力的でない。どうやらあまり報道機関と関わりたくないらしい。どうしよう。他紙の記者に教えてもらって、他の友人を教えてもらった。忙しい人らしい。なんとかその人に連絡がついた。直接会いに行ってみる。写真を確認してもらったが、「多分そうだと思う」なんていう曖昧な返事だ。しかしそもそも15年前の写真だ、誰に聞いたって記憶はそんなに定かではないだろう。締め切り30分前だ。多分大丈夫なはず。もう仕方ない。やるべきことはやったし、心身共に限界だ。まあ大丈夫だろう。今まで999回上手くいってきたのだから…(結果として間違った写真を提出。)
もしくはこんなことが起こるかもしれません-
全ての確認は完璧で、あとは写真に記事をつけてアップロードすればいいだけだ。問題は同時に進行させている残り二つの記事だ。仕事をたくさん抱えてしまってもうクタクタだ。まあこれも優秀さゆえにできることだけど。一つは書き終わったからシステムに入れておこう。あと一つは今書き終えないと。なんだか写真も多くて面倒だ。よし30分で書き終わったぞ。さすが俺(私)って優秀。これも一緒にシステムに入れて、よし。クリック、クリックで送信終了。一気に3つも書き上げたぞ。やっと久々に休める。家に帰って晩酌してゆっくり寝よう…(最後に書いた記事用の写真の一つを、最初の記事と一緒に間違って送信。)
1000分の1のミスは、即座に誤掲載にはなりません。デスクのチェックが入るからです。そこでデスクが写真のチェックを怠る確率を100分の1としてみます-
取材をしている記者本人は滅多に間違いはしない。普段はダブルチェックするようにしているが、彼(彼女)はいつも一生懸命やっているし、まあ今回も大丈夫だろう。なにより締め切りも過ぎてしまったし、今出さないと掲載に間に合わない…
1/1000 x 1/100 = 1/100,000。したがって、10万分の1の確率で「記者やデスクの優秀さの如何を問わず」写真が誤掲載されることになります。一日に大手メディアがニュース用に1000枚の顔写真を使用しているとすると、1000/100,000 = 100。すなわち、100日に1回の確率で写真の誤掲載が起こることになります。
ここでは、数字の正確さは保証していません。伝えたいのは、「起こってはいけないこと」はある一定の確率で「必ず起こる」という事実です。この事実を認識すれば、その次に「それではどうしたらその確率を減らすことができるのか」という話ができます。
さて、この構造ってどこかで見たことがありませんか?そう、「患者の取り違え」です。どちらも同様に、「あってはならない」ことが起こります。そしてそれは確率的には必然といえる事象です。「あってはならない」ことを「ありえない」と考えている限り、「それが起こる確率を減らす」議論はできません。「あってはならないことはありえないので、起こったらその時考える」より「あってはならないことが起こったら困るので、それが起こらないよう考えて、策を練っておく」方がいいと思いませんか?これは原発の問題を含め、色々なところで同様に適応できる概念です。
そしてこの構造はマスメディアにおいても例外ではありません。次に、どうしたらメディアの誤掲載を減らすことができるのか考えていきます。