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UCLAならではの華やかさや、カウンティ病院の抱える影をご紹介できればと思います。

鈴木 ありさ

Interventional Radiologist です。
トレーニング期間を含め、10年以上勤めたBostonのBWHと退職し、LAに移動してきました。

鈴木 ありさのブログ
2011/12/20

もしも、保険会社にNOといわれたら。

たとえば、貴方が癌の手術をすることになりました。おなかを開けての手術ではありませんが、研究レベルの物珍しさのものでもない、ちょっとした病院だったらどこでも可能な手術です。ところが、根治が認められない、あるいは、予後を伸ばす確実性が低いと言うことで、保険会社がNOと言ってきました。貴方が取ることのできる選択肢はどうなるのでしょう。

1.リスクの大きい開腹手術に変更して保険適応の可否の事前申請をしなおす。*しかし、それでも否決される可能性がある。

2.自前で200-500万円ほど支払うことにする。

3.あきらめる。

(4.裏の手としてソーシャルワーカーや代議士を巻き込んだ政治戦略に出る。社会的プレッシャーで病院の持ち出し負担で手術を受ける。それなりの大逆転なコネがないと無理)

 

以前、患者さんが手術台の上に乗った段階で、保険会社から「否決」の電話が入ったことがありました。数名の指導医、保険会社交渉役の事務員などが小一時間電話口で粘ったのですが、否決の意見に変更はありませんでした。

彼と、その家族がとった選択肢は「3.あきらめる。」でした。

 

残念なことに、これは日常茶飯事です。彼が特殊な例ではありません。指導医の大きな仕事のひとつに保険会社から否決された症例を考え直してもらうように電話をかけ、手紙をかく、というものがあります。7割から9割はこれでなんとかなるのですが、値段の高い手術の場合、ばっさり断られてそのまま、と言うことは多々あります。保険が通る、通らないが治療方針決定の大きなキィとなります。残念ながら、この経済大国において命は平等ではないようです。よい保険をもっている、良い保険に加入している余裕がある、特殊な公的保険に入っている人と、そうでない者の差は、あまりにも大きく、癌の手術を否決された患者さんの電話を切ったあと、しばし呆然としたことを思い出します。

5件のコメント

  1. 藤林 保 より:

    悲しい保険制度ですね。医者としてはやりきれないですね。もっと患者さんのためになる保険が作れないのですか。医療費を安く抑えて、寄付もつもり、金持ちから多い目の治療費をもらい、誰でもが医療を受けられる制度が欲しいですね。医者が経済的状況で治療内容を変更するのはやりきれないです。

    • 鈴木 ありさ より:

      そういった寄付から成り立つ病院も多々あります。が、そこに患者さんが行きたいか、その病院でも最先端の医療が受けられるかと言うと、疑問です。

      この国では医療は誰でも受けられます。
      ただし、受けられる医療の質が同じではないのです。

      格差は日本のほうがずっと小さいです。

  2. 浅井 章博 より:

    小児科ではさすがに、そういうことはあまりないですが、たまに遭遇します。小児科は結局 病院が負担したり、難病の場合は財団が助成したり、保険会社も断れないことが多いです。 しかし、最近は、新しい検査(特殊な内視鏡検査や、子供ではFDA認可されていない薬)には厳しい審査が入ります。標準化されてないところからカットしていくつもりでしょう。
    本当に、一体誰のための制度だろうかと疑問に思うことが多いですが、逆に、これがもっとゆるい保険制度で、検査や処方をたくさんした人が儲かるようなシステムになったら、患者さんが薬漬け、検査漬けになることは眼に見えてます。競争型の市場原理が組み込まれた病院経営である以上は、歯止めのきかない状況になるでしょう。となると、こういった形での抑制が必要なんでしょうね。もちろん、アメリカの現場の医者も、殆どの人(少なくとも自分の知っている人達)は、この現行の制度が良いシステムだなんて思っていません。しかし、他にどんな制度があるのでしょうか、、、。

    • 鈴木 ありさ より:

      浅井先生、
      同感です。
      これはひとつのシステムの形であり、良、悪で語られるべきものではないと思います。
      医業も経済の一環であるという大前提を国民が理解し、サービスに対する対価を払うものであるという習慣から成り立つシステムです。

      私には正解がわかりません。

  3. たけべ より:

    アメリカで研究しておりますが、アメリカにいるといかにここが資本主義の国かおもわされるところがあります。要するにお金がある(=資本がある)人こそが、よりよい生活をおくるべき。それがこの国の基本的なスタンスです。寄付などもありますが、それももとはといえば格差から生まれた個人レベルの再分配であって、社会としてはそれを望んでいるわけではありません。寄付によりお金持ちの理想とする社会にすこし近づける姿勢。ただ、それは国と国民の選択であり、おのおのの人々が望んだ結果なのだと理解しています。
    逆に日本ではみなが同じ医療を受けなければならないため、高額で最新の医療は受けられません。どれだけ医療にお金をかけたいと思っても、その自由はないという不平等はあるのかもしれません。
    自分の正解だとおもった医療をおこなう世界のいずれかの国で働くか、自分が政治家と積極的にかかわりをもち、変えていこうとすることでしか、自分がやりたい医療というのはおこなえないのでしょう。
    機会の平等が強い日本の方が、社会として僕には魅力的に思えます。
    そしてこの国で働いているレジデントはきっとその選択を受け入れているのだなあと思います。ただそれも医師が望んだ結果なのだと思います。われわれ一人一人がどういう道を選択しているのか客観的に観察することが非常に重要ではないかと思われます。

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