同じ頃に私のもう一人の受け持ち患者で4歳の同じく急性白血病の初発の男の子がいた。採血だけでなく、骨髄穿刺(マルク)や腰椎穿刺(ルンバール)の検査は、ただ肉体的・精神的苦痛であるばかりでなく、検査の最中親から引き離される子どもにとっては、想像を絶する不安と恐怖があったに違いなかった。こども達は、大抵検査の間中泣き続ける。そしてその子は検査が終わったあとも泣き続けた。無理もないことである。丁度その時、K君がタヌキの格好をして処置室に入ってきた。顔にひげを描き、腹巻をして尻尾をつけて踊りながら処置室に入ってきた。その姿を見て、さっきまで泣いていた子どもが急に笑い始めたのだ。その格好と動作がとても可笑しかったのを、私は今でも覚えている。と同時に、K君はその時とても輝いていた。そしてとてつもなくカッコ良く力強かった。自分こそ、その想像を絶する苦痛と恐怖を発病以来何度も味わってきたと言うのに。「なんて健気なんだ」、私は、K君の「優しさ」と「勇気」に、今まで経験したことのない程の感動を覚えた。しばらくして、その子の様子を見るために病棟を訪ねてみたら、K君はさっきのタヌキの格好をしたまま、自分のベッドの周りにこどもたちを集めてがき大将よろしく彼らを励ましていた。「俺は、これまで何回も入院してきたから言うんだけれどよ、どんな検査も慣れれば大したことないよ。点滴も採血の痛いのは、最初針をさす時だけ。その時だけちょっと頑張れば、なんてことないよ。俺なんか、去年病気でキンタマまで取られちゃったけど、今はなんともないんだぜ。」キンタマのないタヌキか、私は流石に笑うに笑えなかった。ただこれ程まで自分を素直にありのまま受け入れるK君を見て、今までになく彼ををいとおしく思った。
K君の家庭は、彼の病気を差し引いても、決して幸福なものとは言えなかった。K君の家族は、母ひとり子ひとりの母子家庭だった。K君のお父さんは、ひとり息子が白血病だとわかった時に絶望のあまり自殺を遂げた、とお母さんは私に話してくれた。K君は、自分のお父さんは交通事故で亡くなったのだと私に語った。K君のお母さんは、仕事を持っていたため週末にしか小児病棟には顔を見せなかったが、K君は少しも寂しそうなそぶりを見せることはなかった。そしてK君は、入院中もよく勉強した。朝の回診のたびに「なにかわからないことがあったら、教えてあげるよ。」と言っても、「これくらい屁のカッパ」と言って全て自分でやり遂げた。私とK君の間は、医者と患者というよりも、とても仲の良い友達の間柄の様だった。私は、K君のことを弟のようにいとおしく思いながら尊敬していたし、K君は私の事をよく慕ってくれた。私とK君は、病院の敷地内をよく一緒に散歩したりした。私にとって、彼と一緒にいる時は、医者と患者の関係から離れて、ひとりの人間として精神的に心休まる安らぎの時であった。しかし私は医者であり、K君は私の患者である。にもかかわらず、K君は私に自分の病気のことを聞かなかったし、私もK君に病気のことは話さなかった。ある看護婦さんは、私達ふたりを見て、「先生とK君、本当の兄弟みたい。」と評してくれた。と同時に、「先生、知っている?K君たらねえ、私たちが準夜勤務の時よく看護婦の詰め所まできて、エッチなことを言って私たちの事をからかうのよ。」とも教えてくれた。要するに、K君はごく普通の早熟な少年だったのだ。その看護婦さんの注文は、兄貴はちゃんと弟の面倒を見ろ、と言う事だったに違いなかった。
約2ヶ月の入院後、順調な経過でK君は退院することになった。当時の医学界の慣習で、私たちの小児病棟でも、白血病の患児には病名を伏せておくのが一般的だった。まるで「タブー」のように、医者も親も看護婦も、患者の前では病名に触れることを極めて神経質に避けていた。K君は、きっと自分の病気の事を何となく知っていたのだろう。あれだけ賢い少年が、自分の病気の事を主治医である私に一言も聞かなかったのは、きっと難しい質問をして新米研修医の私を困らせたくなかったのだろう、と私は勝手に解釈していた。退院前に、病棟の面談室でお母さんには本当の事を伝えた。今回の治療は、比較的順調に経過し寛解導入は得られたが、これで決して白血病が完治した訳ではないこと。これまでの再発の経過から見ても、一年以内にまた再発してくる可能性は決して低くないこと。でも、希望を持って頑張りましょう。私は、K君の主治医をさせて戴いて、いろいろな意味でとても勉強になりました、と。お母さんは、私に何回も「先生、本当にありがとうございました。」と言って私の手を何度も強く握った。退院の時に、患者の母親からお礼の言葉を言われる事はあっても、手をあれほど強く握られたことはそれまでなかった。病棟では、K君が新品の野球帽をかぶって私たちを待っていた。強力な化学療法のあとなので、まだ髪の毛が生えていなかったのだ。K君には、「これで、君の病気も直ったんだから、しっかりお母さんのいうことを聞いて、元気に学校に行くんだよ。」私は、医者として言うべき本当の真実を言わなかった。K君は、「先生も元気でがんばってよね。今回の入院は、とても楽しかったよ」と言って、母親と一緒に笑顔で病棟を去っていった。病棟の看護婦さん達も皆笑顔で、K君を見送った。小児科病棟医として、もっとも嬉しくもあり、そして若干寂しくもあるいつもの瞬間である。