「将来、大きくなったなら何になる?」というのは、こどもの頃に尋ねられるよくある質問ですが、みなさんのお子さんは、どうお答えになりますか。私が保育所の頃に描いたアルバムの表紙には、虫眼鏡をもった探偵の絵があります。当時の私の夢は「名探偵」でした。不思議なのが、どうして保育所当時の私が「名探偵」という単語を知っていたのかということです。今は「名探偵コ◯ン」のアニメがあるせいか、幼い子でも探偵という単語を知っていますが、当時はまだ昭和50年代半ば。私自身、どうして探偵に興味をもったのか思い出せないのです。ただ、推理を働かせ、物事の真相を追求するという「探偵」は、現在の職業である「医師」と共通するものがあると感じています。しかし、私の家系には探偵も医師もおらず、なぜ私が「論理的に謎を解き明かして行く職業」に、幼い頃から興味を持ち始めたのか、脳神経学を専門にしようとしているにも関わらず、今も謎です。
臨床留学をする人の中には、私のように年齢が30代後半から40代に手が届く方は珍しくありません。家族がいる方も多いでしょう。「自分と家族の将来像」を決定していく過程は人生を大きく左右します。日本に帰る場合はどこにいつ帰るのか、日本の家族の現況は、という郷愁の念は、臨床留学者であれば必ずみな経験するところです。
こどもたちの成長を見守ることは、自分たちの人生の追体験でもあります。先日、妻が6歳の長男が自転車にひとりで乗れるようになったと嬉しそうに報告してくれました。その瞬間、幼かった私が自転車を練習していた頃をふっと思い出しました。妻も同じ思いだったに違いありません。実家の近くで、私の自転車の後ろを父や母がしっかり支えてくれていた情景。さっそく故郷の父母に電話をしたところ、私も自転車に乗れるようになったのは6歳だったようです。4歳の次男に「将来、何になりたい」と聞くと、「車をなおす人」。私の父が車の整備工でした。次男はまだ幼いため、自分の祖父の職業も知らず、将来なりたい職業も日々変わりますが、「家族の縁」を感じた瞬間でした。
未来のこどもの医療に貢献すると自分を奮い立たせてアメリカまで来ましたが、忙しいハワイ大学小児科レジデント生活もあと約4ヶ月のみとなりました。現在応募している小児神経フェローのマッチング発表は3月20日です。無事にマッチすれば、郷愁の念と反して、さらに日本から離れ、アメリカ本土に異動することになります。さて7月からはどこに行くのやら。マッチした先が、私と妻とこどもたちに与えられた道なのでしょう。
ハワイの青い空が日本に、アメリカ本土に、そしてこどもたちの未来に必ずつながる。そう信じて、最後の4ヶ月間、今日もカピオラニ小児病院に向かう。