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奥沢奈那

ブログについて

精神科というと、何となく暗くて怖いイメージがあったり、心の内を分析されてしまうのでは?などと誤解されがちですが、アメリカの精神科医療を少しでも身近に感じていただけるよう、日々感じたことを綴ってゆけたらと思います。

奥沢奈那

東京出身。雙葉高校在学中に国際ロータリー青少年交換留学生としてベルギーに留学後、渡米。ニューヨーク州サラローレンスカレッジ卒業。セントジョージ医科大学を卒業後NYマイモニデスメディカルセンターで一般精神科の臨床研修を修了。メリーランド大学で児童精神科専門研修後、同大学精神科助教。米国精神科専門医。

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最近一時帰国した際に、小学、中学、高校を一緒に過ごした親しい友人の砂田麻美さんが初監督を務めた映画、”エンディングノート”を見てきました。

”自分の人生をきちんとデッサンしておかないと、残された家族が困るだろうということで。。”、この映画は、そうおっしゃった砂田知昭さんが、ガンの告知を受けてから”エンディングノート”(遺書よりはフランクで公的な効力を持たない家族への覚書のようなもの)を作成しながら病と向き合ってゆく姿とそれを見守るご家族を、娘の麻美さんが記録したドキュメンタリー映画です。

http://www.ending-note.com/
“高度経済成長期に熱血営業マンとして駆け抜けた「段取り命!」のサラリーマン。ガンという、ふいに訪れた人生の誤算をきっかけに、彼が手がけた最後のプロジェクトは「自らの死の段取り」だった。”

偶然にも私の家族が最近ステージ4のガンの告知を受けたばかりだったので、自分の胸の内を投影してしまいそうで、実はこの映画を見に行くのに少し躊躇しましたが、見終わった後、不思議と心が軽くなるような、希望に満ちた感覚に包まれました。何故そのような気持ちになれたのかは、この映画をご覧になるとお分かりになるかと思いますので、どうぞみなさん、劇場(北海道から沖縄まで全国で上映中です!)に足を運んでみてください。特に、医療に携わる者にとって、患者さんとご家族の生の声をじっくり聴きながら考える大変貴重な機会だと思いますので、ぜひ見ていただきたいです。特に印象的だったのが、砂田家の長男が担当医との家族面談でこう尋ねたことです。“逝ってしまうときっていうのはどういう感じで逝くんですか?”ご家族は当然、このような疑問を抱かれていらっしゃるのだとハッとしました。私も今、医師でなく患者の家族として同じ疑問が一番気にかかっています。

コンサルテーションリエゾン精神医学という領域があり、精神科医が内科、外科、小児科など他の専門へ入院されていらっしゃる患者さんへの精神科的治療のアドバイスをする分野をそう呼んでいます。精神科に依頼されるコンサルトの中には、死についての患者さんやご家族の向き合い方を考えさせられることがたくさんあります。

死の受容についての精神科的研究では、スイス人の精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが発表した以下の五段階が有名ですね。
• 否認:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階
• 怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
• 取引:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階。何かにすがろうという心理状態
• 抑うつ:なにもできなくなる段階
• 受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階
もちろん、すべての患者さんがこのような経過をたどるわけではない、と断ったうえで発表されているのですが、みなさんはどう思われますか?

死について向き合い、段階を踏みながら受け入れてゆく心の作業は重要であるように思います。でも、急な病や事故で、そのような段階を踏むことのできない方もたくさんいらっしゃるのが事実です。それはご家族にとっても同じことです。

人間は、生きている間に自らの死を受け入れることができるのでしょうか??
みなさんどう思われますか?

3件のコメント

  1. 奥澤さんへ、覚えていますか?順天堂大学 医学教育研究室の建部(ケンペ)です。日本で訪ねて来てくれたころは、まだグレネダにいたころでしたかね。その後、どうしているかと気になっていましたが、今は精神科のDrですね。私もそうですが、アメリカの大学・医学部とコースを歩んだ人はそれほど多くはないと思いますから、貴重な存在ですね。これからもがんばってください。話しは変わりますが、ここ数年間で、弟、父、祖母と、この順番で立て続けに無くしました。98歳まで生きた祖母でしたが、認知症で弟や父が先に亡くなったことも知らずにいたので、あの世でおどろいていると思います。「人間は、生きている間に自らの死を受け入れることができるか」 難しい質問ですね。 でも、このような経験をした一方で、まだ幼い自分の子供を3人みていて、自分がもし今死んだらどうなるのかと、本当に時々考えることがあります。いつかは「死ぬ」のですから。結果的には受けいれざるおえないでしょう。3月の日本の地震の影響も、もしかするとあるのかもしれません。それまで、不自由なく過ごした日本人が、自然の力に無力さをみせつけられ、人それぞれに反省する機会があったと思われるできごとでした。自分も家族も含めて、不自由なく生きていることに感謝しました。 考える時間があったからこそでしょうけど、津波で亡くなった人たちは、どうだったのでしょうか。津波にもまれて、溺れる直前に何を考えたのか・・・。家族? 死ぬ運命となったこと・・?それとも、そんな考える暇もなくいた人もいるだろうし。、生きるんだ!と考えた人も多かったと思いますし、状況によって、死を受け入れたり、できなかったりしたでしょうね。 なんだか、まとまりがつかなくなってしまいましたが、一瞬にして多くの人が亡くなった大地震を経験した日本人には、考えさせられるテーマではないでしょうか。 最後に、これからも健康に注意して、頑張ってください。

  2. 建部先生、大変ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。このブログを通して先生と再会できるとは思ってもみませんでしたので、感激しております。先生のおっしゃるように、大地震などの天災、また、近親者の死を経験すると、普段幸い健康に生きていても、いのちは限りあるものだと実感するのですね。いのちの長さに違いはあっても、限りがあるものだということは誰もみな同じなのですね。だからこそ、生きている一日一日に感謝して、大切にしたいです。先生もどうか御身体にお気をつけて、これからもますますのご活躍をお祈り申し上げます。

  3. 病院では子供の終末期のケアに関わることがあります。日本とは、大きく違うのが、”Care withdrawal” というオプションがあることです。医療チームがもう手を尽くしたという結論を出し、家族が合意した場合にすべての医療行為を撤退することができます。人工呼吸器を外すことも可能です。モニターを外し、病室を子供と家族だけにして家族が納得するまでお別れの時間を作ります。

    アメリカ人といっても、移民も多く、宗教も様々で 典型例というパターンをみつけることは難しいですが、Withdrawalはよく見かける展開で、医療者側としても自然な形で参加できるプロセスだとおもいます。

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