前回は、ファイザー/ビオンテック社やモデルナ社が開発したmRNAワクチンの開発経緯についてまとめました。
コロナワクチンに関する2021年1月末の話題といえば、もうすぐ米国における3つ目となるジョンソン&ジョンソン(JNJ)社のコロナウィルスワクチンの緊急使用承認(EUA)が検討されることでしょう。少しでも理解を深めていただくために開発経緯とその利点と欠点をまとめました。
最初に結論を述べると、JNJコロナワクチンは以下の点で大きな期待が寄せられています。
- 単回投与で、重症例や入院死亡例を防ぐ効果が報告されている。
- 安定性に優れており、一般的な冷蔵庫での2-7℃低温管理で数ヶ月は保管が可能。
- 単回投与だけでなく、二回接種(いわゆるブースター接種)の臨床試験が第3相まで進んでいる
- 同機序のエボラワクチンは既に中国で承認されている。
- mRNAワクチンに比べて安価で提供できる。
- 安定性に優れており、経口ワクチンや経鼻ワクチンも開発中である。
- B細胞による抗体産生だけでなく、NAITと呼ばれるT細胞経由での免疫応答も誘発できる。
- ワクチン接種後の免疫応答が強い分、抗体価が長期間維持される可能性が高い。
アデノウィルスベクターワクチンはmRNAワクチンより何が優れているのか?
前回の記事で説明したように、ワクチンの目的は新型コロナウィルスのある一部分を人間の体内で製造させ、免疫システムに「記憶」してもらうことで、実際に新型コロナウィルスが進入してきたときにすぐに応答して排除してくれることで感染や重症化を防ぐことにあります。
この新型コロナウィルスの一部分の「設計図」をどのようにパッケージ化して人間の細胞に届けるかの違いで様々なワクチン戦略があります。
mRNAワクチンは、「設計図」を1本鎖のmRNAの形にまとめ、LNPと呼ばれる脂質ナノ粒子を「タクシー(専門用語ではベクター)」に載せて細胞内まで配達します。mRNAなので、デザインはすぐにでき、不必要な炎症反応を刺激せずに直接タンパク製造工場に届けてスパイクタンパクの製造にとりかかれるという迅速性は良かったのですが、安定性が悪いために超低温(-70℃)での保管と複雑な「タクシー」を要する繊細な代物でした。当然コストも高い方で、発展途上国には不向きでした。
これらのmRNAワクチンに見られる安定性の欠点が少ないのがアデノウィルスベクターワクチンと言えます。(大きなくくりでは「ベクターワクチン」に属します)
mRNAワクチンとの違いとしては、
- 「タクシー」をLNPではなく、特殊に改造されたアデノウィルスに置き換えた。
- 改造されたアデノウィルスは、人体内で自己増殖しない。(ただし、抗体による攻撃対象となりえる)
- 「タクシー」の中身は不安定な1本鎖メッセンジャーRNAではなく、安定性に優れる2本鎖のDNAである。(なので細胞核内に一旦取り込まれる)
しかし、今のところ市販されているワクチンでアデノウィルスベクターを採用しているのは動物に接種する「狂犬病ワクチン」だけです。次に実用化に近いところまで行っているアデノウィルスベクターワクチンは、エボラウィルスとMERSに対するワクチンでしょう。
まだまだ広く普及できてはいませんが、その優れた安定性と開発研究の歴史が長いため大量生産のインフラが整っているので、アデノウィルスベクターワクチンは大規模ワクチン事業に向いている可能性があります。
アデノウィルスベクターワクチンの開発研究の歴史
1980年台からAd-5という感冒で見られるタイプのアデノウィルスベクターワクチンは研究されてきました。
当初は特殊な遺伝病を持つ患者のために、病気の原因となるタンパクを設計している遺伝子部分に影響を与える「遺伝子治療」としての利用でした。
しかし、1999年にペンシルベニア大学ジェームズウィルソン博士らのチームが開発したAd-5をベクターとする遺伝子治療を受けた若者が死亡事故を起こしてから、しばらく臨床応用は滞りました。後の分析では、大量に投与しないといけなかったAd-5が派手な免疫応答(サイトカインストームと呼ばれる)を誘発したことが原因ではないかと言われています。それは、遺伝子治療として全身の細胞に届けるために大量のAd-5ベクター投与を必要としていたことも関係があったかもしれません。
しかし、感染症に対するワクチンとなると、少量で済むので研究は感染症分野へと舵を切ります。さらに感染症対策に向いていた点としては、アデノウィルスベクターワクチンはB細胞による抗体産生だけでなく、T細胞による防御も刺激することが分かりました。
抗体産生だけだと、血中に漂っているウィルスや細菌を攻撃するのは良いのですが、病原体が一旦宿主の細胞内に入ってしまうと効果が乏しくなってしまうのです。
なので、細胞内感染した病原体ごと退治できるT細胞免疫が大事になります。2000年初頭にはHIV, マラリア、結核に対するワクチンの候補として脚光を浴びます。
このあたりの詳細な機序は長年よくわかっていなかったのですが、2020年にScience誌に掲載された研究報告では、アデノウィルスベクターは、MAIT細胞(Mucosal-associated Invariant T cell)と呼ばれるシステムを介して他のCD8 T細胞を誘導している(下図)ことが示されています。
しかし、2000年以降の研究の道は順風満帆ではありませんでした。2007年にはメルク社が実施したAd-5ベクターのHIVワクチンの臨床試験が効果不十分として中止になっています。2009年にAd-5を改良したHIVワクチンで再度臨床研究が試みられる、安全性は確認できたのですが、またもや効果が示されませんでした。
この辺りの開発技術を成熟させていったのが、元サノフィ社の研究者らが立ち上げたCanSinoという中国の製薬企業であり、2014年に同社はエボラウィルスワクチンをアウトブレイク中の西アフリカで使用して効果を示すことができました。2017年にこのエボラウィルスワクチンは中国内で認可を得ていますし、今回のCOVID-19パンデミックが始まってから早々にワクチン製造に取り組んでいたCanSino社のアデノウィルスベクターワクチンは2020年3月にはヒトへの臨床試験を開始し、同年7月には第2相試験の結果をランセット誌に報告するというスピード感を見せました。
人類にとって珍しく、効果的なアデノウィルスベクターを探す旅
「タクシー」がアデノウィルスである以上、過去にそのタイプのアデノウィルスに感染暴露して抗体産生している人は、その「タクシー」を攻撃して排除してしまい、ワクチンが無効化されるかもしれません。過去の例は一般的な風邪を引き起こすタイプのAd-5を採用していたのが、失敗の原因のひとつかもしれません。
なので、Ad-5に代わって、なるべく感冒や咽頭炎(のどの風邪)では出会わないタイプのアデノウィルスが模索されました。
Ad-26は自然界に存在するアデノウィルスベクターとしては期待されており、JNJ社に吸収合併されたオランダのCrucell社が経験豊富でした。しかし、Ad-26タイプの他の感染症ワクチンは、ブースターとして他のワクチンも接種しているため、Ad-26ワクチン単回での効果はまだ未知数でした。ロシアが承認したスプートニクVというコロナワクチンも、1回目はAd-26ベクターワクチンを接種してから、2回目はAd-5ベクターのワクチンを接種しています。また、エボラウィルスワクチン研究の一貫で集まったデータでは、サハラ砂漠以南と東南アジアの患者の中で半数近い人がAd-26に対して既に微量の抗体を有していることも分かっています。この辺りの潜在的な抵抗性は、投与量を増やすことで克服できるとして検討されています。今回のJNJ社はこちらのAd26というタイプのアデノウィルスを採用しました。
いくつかの研究チームは他の動物種に答えを探しました。
ペンシルベニア大学のウィルソン博士らのチームは2000年よりチンパンジーの糞から人間のAd-5に近いアデノウィルスを回収しようと研究していました。その後、英オックスフォード大学のジェンナー研究所もこの分野に参入して2012年にはChAdOx-1(チンパンジーの頭文字Ch+アデノウィルスの頭文字Ad+オックスフォード大学の頭文字Oxを組み合わせた命名) を開発してHIV、マラリア、結核、MERSに対するワクチンを研究開発していました。2016年に製造部門の子会社として誕生したのが、Vaccitechです。2018年のMERSに対するワクチンの臨床試験では、25名という小規模ながら1年後も持続する抗体産生が確認されています。
今回のSARS-Cov2に対するワクチン開発では、英オックスフォード大学ジェンナー研究所のセーラギルバート教授らのチームが8年間の研究の集大成を用いて、英アストラゼネカ社と提携しており、2020年12月には英国内で世界初の緊急使用承認まで至っています。
他にも臨床研究まで進んだものは改良版のAd5を使用しており、その優れた安定性と扱い慣れた経験から、常温保存で経口や経鼻投与のものまで開発されています。
アデノウィルスベクターの種類 | 製薬企業 | 特徴 |
Ad-5 | CanSino Biologics | 2020年3月に世界で初めてヒトでの臨床試験を開始できた。 |
ChAdOx-1 (チンパンジーアデノウィルス) | オックスフォード大学+英アストラゼネカ+Vaccitech | 2020年12月に英国で緊急使用承認済。2回投与。 |
Ad-26 | ジョンソン&ジョンソン+ハーバード大学医学部 |
単回投与。2021年2月に米国で緊急使用承認検討予定。
同社はAd-26を使用してHIV、 RSウィルス、ジカウィルス、エボラウィルスワクチンも開発している。
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経口Ad-5 |
Vaxart
Stabilitech
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経鼻Ad-5 | Altimmune | |
ゴリラアデノウィルス | ReiThera(旧:Okairos) | |
第2世代Ad-5 | ImmunityNBio | ブースター投与に耐えうるようにAd-5を改良。 |
これは余談ですが、人体のアデノウィルスに対する免疫応答を考慮することがいかに重要であるかが英国での経験からわかります。
オックスフォード大学とアストラゼネカ社(2回接種タイプ)が英国内で臨床試験を実施した結果では、初回に半量を接種してから2回目に全量接種した方が抗体産生が高かったという現象(有効率90%)を報告しています。これは、プロトコル通りに2回とも全量接種をした群の有効率62%を大きく上回っています。たまたま治験プロトコールのミスで半量投与された患者がたくさん出てしまったので仕方がなくデータが集まったようですが、もしかしたら初回を半量にしたことで「タクシー」そのものに対する抗体産生が抑えられ、2回目接種が効果的であったのではないかと推測されています。
mRNAワクチンのCOVID19予防効果が95% 近いのに、JNJワクチンの有効率は67%(正確には、米国で72%, 中南米で66%、南アフリカで57%) という報告でガッカリしている人もいるかもしれません。しかしこれはmRNAワクチンの「タクシー」であるLNPには抗体を産生しないが、「タクシー」がアデノウィルスだと抗体を産生、もしくは過去のアデノウィルス暴露歴によって既に邪魔する抗体が存在している可能性もあります。実際に有効性は大陸地域ごとに異なっていることは観察されています。注目点が重症例や死亡例を減らすことであれば、JNJワクチンは十分に効果を発揮していることが報告されています。
報道されている変異種に対して追加接種が必要になった場合の安全性と効果を調べるために、既に2020年11月からJNJ社はENSEMBLE-2試験というブースター接種の第3相試験を開始しており、世界中で3万人の参加者を募る予定です。
話題の変異種に対するこれらのワクチンの有効率の影響などは刻一刻と変化していますので、別の機会にまとめたいと思います。
まとめ
- 単回投与で、重症例や入院死亡例を防ぐ効果が報告されている。
- 安定性に優れており、一般的な冷蔵庫での2-7℃低温管理で数ヶ月は保管が可能。
- 単回投与だけでなく、二回接種(いわゆるブースター接種)の臨床試験が第3相まで進んでいる
- 同機序のエボラワクチンは既に2017年中国で承認されている。
- mRNAワクチンに比べて安価で提供できる。
- 安定性に優れており、経口ワクチンや経鼻ワクチンも開発中である。
- B細胞による抗体産生だけでなく、NAITと呼ばれるT細胞経由での免疫応答も誘発できる
- ワクチン接種後の免疫応答が強い分、抗体価が長期間維持される可能性がある。