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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

アメリカも年末で世間はすっかりホリデーモード。10月のハロウィン、11月のサンクスギビング、12月のクリスマスとこの時期は月末ごとに賑わいがピークを迎えて不思議な気持ちになります。そんなホリデーシーズンに欠かせないのがショッピング。11月のブラックフライデイに始まり12月もクリスマスセールで、何か買わないとこちらが損と思わされるくらい、人々のショッピング熱を感じます。そんな購買意欲をそそる手段の一つにギフトカードもよく見かけます。$300の商品を買ったら$50分のギフトカードというような具合です。人間がお金に弱いのは仕方がないことです。

 

一方で、先日はサッカー選手のプロ意識の話しを少し触れました。徹底的に自分を磨く姿勢、誰よりも自分に厳しく簡単にぶれない姿勢。しかし、実際はこんな人はほんの一握りです。人々の健康意識にそのプロ意識は当てはめられるでしょうか。私は自分自身の健康意識を考えると医師としてとても人の健康指導なんてできたものではないなと思ってしまいますが、それでも現実には酒、喫煙、ドラッグ、肥満の問題等々こちらがどうにかしたくても行き詰まりを感じる患者はたくさんいます。彼らの意識をどう変えたらいいのでしょうか。

 

そんなお金と健康をテーマにした研究を最近よく目にする気がします(私自身のバイアスのせいもあるとは思いますが)。最初に面白いと思ったのは大学院生時代に学んだConditional Cash Transferの話し。これは子供を学校に行かせる、健康診断に行かせる等の条件付きで貧しい人にお金を与えるというもの。たった数ドルの少額でも行動変容に効果があるということで世界各国で同じような取り組みがされてきています。その他、最近読んだものでは薬物依存者を対象に少額のお金を提供したら肝炎ワクチン接種率が改善したというもの。公衆衛生学の分野でも、お金を『インセンティブ』として与えて人々の健康に関する行動変容を促す取り組みはよく議論されています。一度学会で著名な経済学者から聞いた言葉は『額は大きくなくてよい。ほんの少しでもいいから金銭的インセンティブを与えてやることが人々の行動様式を変える。』というものでした。

 

では、母乳に対して商品引換券はどうでしょう。WHOでも生後半年間exclusive breastfeedingすること、つまり母乳だけを与えることが推奨されていますが、母乳だけ与えているという証明書を母親が提出したら半年の期間中に合計£100もの商品引換券を小分けにして配布する取り組みが実験的にイギリスで行われているとのこと。働きながら女性が子育てすることがより一般的になった現在、確かにexclusive breastfeedingはとても難しいことでしょう。とは言え、人間は望ましいとされる行動をとるためにどこまでお金が必要なのでしょう。この金銭的メリットがなくなった後の行動はどうなるのでしょう。研究期間のお金は研究費から研究対象者にお金は渡されるでしょうが、これを国として実施することになったら政府が金銭的負担をする、つまり税金が使われることになるわけですが、社会としてこのような取り組みにどこまで寛容であるべきでしょうか。

 

ということでこのような研究に対し様々な切り口で疑問/議論があがるのは容易に想像がつくのですが、個人的な思いは「それで一体これに取り組む現場で頑張る人達はどこに行った?」というものです。これらの研究や取り組みではお金という介入と行動変容という結果の因果関係を証明するものですが、ここに介入者としての人間の姿は描かれてきません。医療の質が注目され、医療をサービスとして捉え、医療従事者をそのサービス提供者の立場として評価する事は増えてきていると思いますが、「お金」に比べると「人間」は単純に測れるものではありません。結果として、様々な環境でこのような行動が鍵になる健康問題に取り組んでいる医療従事者の「顔」はなかなか研究対象としてあがってきません。どのように患者に接し、どのように彼らをいい方向に導いていくか、それは単純に「AだからB」という因果関係の構図ではないはずです。

 

先日、エボラ感染症で奮闘する西アフリカからの現場のニュースを読んでいて以下のようなものがありました。『宇宙服』のようなかっこうをしてコミュニティに残された死者を運び出しにやって来る医療従事者をみて、『また我々を虐殺してよくわからない儀式をして自分達をだしにしてお金を稼ぐ輩が来た。』と感じていた地元住民の声を受けて、救急車で死者や患者を迎えに行く時には事情をしっかり説明する人を合わせて送り込み、かつ家族には亡くなった患者を見ることを許可するようにし、医療施設では医療スタッフが防護服を着る場所に窓を設けてどのような人が『宇宙服』を着ているのか地元住民にも分かるようにした、というもの。結果として医療従事者と住民との信頼関係が構築されたということでした。

 

全く別の本を読んでいて、通常のファイナンスでは投資家の満足度は純粋に金銭的な利益に基づくものだが、最近流行りのクラウドファディング等困っている人々をサポートする目的のファイナンスでは投資家の満足度はたとえ金銭的な利益が目減りしたとしても誰かの役に立っているという満足のために満足度は補足される、とありました。一方で、そのようなかたちでお金を借りた人はその人とのつながりを保つためにお金をしっかり返そうとします。お金を中心に物事を考える投資の世界でも人の顔が見える事の意義は明らかなようです。

 

私も大きな医療の枠組みのなかでは所詮は末端で患者と向き合う一つのコマにしか過ぎないでしょう。ただ、歯車の一つとしての自分を悲観するのではなく、むしろ臨床医としての教育を受けた以上喜んでコマとしての責任を受け入れ、果たそうとするべきなのだろうと思います。機械ではなく顔のある人間としての意義。なかなか表に出てこない部分こそに現場で悪戦苦闘し汗を流す医療従事者のプライドがあるべきだろうと思います。持ち場持ち場で顔の見える医療を提供している全ての方に敬意を払い、自分もお金以上のインパクトを現場で残せるよう臨床医としての覚悟を決めて、今年最後の自省の文章を終えようと思います。来年もどうぞよろしくお願いします。

 

“The best way to find yourself is to lose yourself in the service of others.”

Mohandas Gandhi

 

 

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