一昨年あたりから読み始めたちきりんさんのブログ、鋭くユニークな視点に溢れ、歯切れのよい文章にいつも感嘆しながら、楽しませてもらっています。(読んだことのない人は、一度読んでみることをお勧めしますよ!)
でも今回の記事、「医療を基幹産業にする、という発想」はちょっと残念。以前の医療系エントリ(例えばこちら)にはあまり違和感を覚えなかった(というかむしろ納得させられることが多かった)のですが、今回の記事を読むと、あれ?という感じです。
大きな違和感の原因は、Chikirinさんが北原茂実先生のおっしゃっていることを「うのみにしている」からじゃないかなと思います。先生の発想は面白いですし、斬新だとも思うのですが、(エントリを見る限り)ちょっと話の筋に色々と無理があるように思います。
<主張その1:医療を産業として認知せよ>
この主張にはそんなに大きな違和感は抱きませんでした。しかし、パブリックセクターへの支出(保険料など)を「コスト」と捉え、プライベートセクターへの支出(代替医療など)を「産業」と捉える考え方は、ある程度的を得ているとも言えますよね。保険料は「社会契約」の元に「社会資本」を形作るのに対し、代替医療は「自由意思」に基づく「市場」を形成しますから、その扱いは違って当然とも言えます。医療が有望な産業であることには賛成しますが、一般市場との根本的な違いをふまえて制度設計を吟味しないと、「医療も産業だ」→「効率化が必要だ」→「市場メカニズムの導入を」→「株式会社化だ」、「自由競争だ」、「自然淘汰だ」という典型的な単純思考方法に陥ってしまいます。そして残念ながらこの市場至上主義方針(以下「シジョウ2.0」と呼びます)は、米国の医療産業に代表されるように、コストの上昇に寄与するものの、患者への価値を生み出さない(産業全体として生産性が低い)結果に陥る可能性が高いです。ここで言う「価値」とは「命」もしくは「健康な生活」のことで、市場で使う「お金」ではありません。(一般的には)「命」が市場で「お金」を介して売買されない以上、「シジョウ2.0」が医療に根源的に不適合であることは明らかです。
<その2:国民皆保険が諸悪の根源!>
ここは「どうだろう?」と思うところ満載です。
>国民保険があるせいで、日本の医療費用は異常に安く抑えられており、そのために様々な弊害がでていることが指摘されています。
国民(皆)保険がある→医療費用は異常に安く抑えられる、の流れがまず分かりません。米国を除くほぼ全ての先進国では国民皆保険が導入されていますが、これだとイギリス、ドイツ、カナダなど多くの欧米諸国の制度が全て国民皆保険のせいで様々な弊害が出ている、ということでしょうか?そして、そもそも医療の適正な価格ってどうやって決めるのでしょう?
>・フリーアクセスの下、過剰な医療が求められている(寝てれば直るのに病院に来る。近くの病院でいいのに大学病院にくる)
「国民皆保険=フリーアクセス」ではありません。イギリスは国民皆保険かつ非フリーアクセスです。「フリーアクセス→受診の増加」は認めますが、行きたい科に好きなときに行けるのは、患者さんから見れば高い価値を生み出していると言えるのでは?
>・同じ治療なら、全くスキルレベルの違う医者に診てもらっても同じ価格であり、市場構造を激しく歪めている(=淘汰されるべき人が淘汰されず、報われるべき人が報われていない。その“とばっちり”を患者が受けている)
典型的な「シジョウ2.0」です。医者のスキルってどう測るのでしょう?外科医なら手術成績?内科医なら誤診率?Chikirinさんのこの記事にあるように、沖中教授の誤診率の14.3%って高いのでしょうか?それとも低いのでしょうか?
仮にスキルを正確に表す指標があったとして(リスク調整された手術成績など)、それを公開することには反対ではありません。しかしそこに値段の差をつけても、患者さんは逆にその”とばっちり”を受けるだけです。すなわち、人気のある医師は「値段が高い」ので、お金持ちしか診てもらえなくなり、お金のない人は「スキルのない」医師にかかるしかなくなります。それを許容するのが社会の要請であり、誰もが”とばっちり”を受ける立場になることを厭わない、というのであれば、それはそれでよいと思います。しかし現実はそうではなさそうです。僕は値段に差をつける必要はないと思います。「良い先生」には自然と患者が集まります(患者さんの評価が医療従事者の評価と常に一致するとは限りませんが、それは今回の範囲外なので置いておきます)。
>・効果があるのに高い薬が(保険認定すると医療費が掛かりすぎるという理由で)認可されにくくなっている。(日本では、他の先進国では使える、効果のある薬が使えなくなりつつある)
これも国民皆保険との関連があまり分かりません。例えば国民皆保険を取らない米国では、「値段の高い」保険に入っている「裕福な人」は、とても高い新規の薬も保険が効くので使うことはできますが、「安い」保険しかない「普通の人」は、高い薬に保険が効かないので、使うことができません。いわんや「無保険の人」をやです。というか、「他の先進国」に国民皆保険があるので、この論点はすでに矛盾しています。
>何千万円、何億円とため込んでるお年寄りが病気になられた際には、「最高の医療」を受けてもらって、そのお金を社会に環流べきです。しかし、それを阻んでいるのが、“国民皆保険”なのです。
お金のあるお年寄りに「最高の医療」を提供して、お金を使ってもらうことは大賛成です。しかし、それを阻んでいるのは、”国民皆保険”ではありません。ここは「混合診療解禁」のことを言っているのかなと思います。国民皆保険があっても、お年寄りにお金のかかる「最高の医療」を提供することは可能です。
<その3:メディカルツーリズムではなく、医療制度の輸出>
この箇所に関しては、素晴らしいと思いました。そしてその信念に基づく行動力もすごいです。
>日本の医療制度は(いろいろ問題が指摘されている今でさえ)世界に誇れるすばらしい制度とレベルである。これを他国に移植(輸出)することで、世界中の人が高いレベルの医療をリーズナブルな価格で受けられるようになる。
でも、これって皆保険制度の部分と矛盾していませんか??それとも「諸悪の根源」である皆保険制度以外の部分を輸出しようということでしょうか?
念のため断っておきますが、上に書いたことは北原茂実先生への批判ではありません。北原先生のことを書いているChikirinさんのエントリへのツッコミです。恥ずかしながら北原先生の著書を読んだことがありませんでしたので、今回のエントリから読んでみようと思いました。なにはともあれ主張を正確に理解したいですから。いつもキレキレのChikirinさんなのに、今回はあまりキレがなかったことを嘆く一ファンのつぶやきと理解してください。
これからの医療産業は「シジョウ2.0」ではなく、それより一次元先の「シジョウ3.0」で捉える必要があると個人的には思います。その定義と解釈については、今後のエントリを待たれよ。
それでは!(パクリではありません)
ちきりんさんのエッセイはいつも楽しく読ませてもらっています。しかし、自分のいる業界の話になった途端に、違和感を感じるのは不思議ですね。もしかしたら、僕が楽しく読んでいる他業界の話も、その業界人から見たら違和感を覚える類の話なのかもしれませんね。じゃあ、その違和感が何なのか、ということをちゃんと説明できるようにすることが大切ですね。
その可能性はあるなと僕も思いました。でも、他の医療系エントリではあまり違和感を感じなかったんですよね。僕の今回の違和感に関する答えは、議論の内容そのものというより、論旨の明快さだと思います。
北原茂「実」先生ですね・・・従業員でも間違う者がいる/いたようですが・・・
著書を読んだ後の反田 篤志先生のエントリを楽しみにしています。
ご指摘ありがとうございます!失礼しました(汗)修正させていただきました。今後のエントリにご期待ください!
はじめまして。
ちきりん女史が「国民皆保険制度」の制約がどちらかというと規制緩和との絡みでクローズアップしていると思います。
英国やカナダのように国民皆保険制度が完備していても、結局、待機時間が長すぎて、民間保険を併用したり、「死にかけた」なんて話はごろごろしています。そういう中で、フリーアクセスバンザイ、低廉な医療費で「お安く」済ませている日本は素晴らしい国なのかもしれませんが、病床数が多すぎて医師や看護師が本来業務に専念できない構造は皮肉ですね。
北原先生の主張も、国の規制によって国内での成長が抑えられている中で、外国に打って出るのも含めて仲間を増やしたいのだと思います。経済人にとって外国への医療技術の輸出を通して、日本の医薬品・医療機器の成長(オリンパスやテルモなど)が促されるのはいいことだと感じていると思います。
読み方も様々じゃないでしょうかね。
コメントありがとうございます!確かにおっしゃる通りですね。「国の規制によって国内での成長が抑えられている中で、外国に打って出る」のは、日本の医療産業にとっては必要不可欠なことなのではないかと感じました。
はじめまして。ブログをいつも興味深く拝見させていただいています。
私自身はベトナムのプライベートクリニックで臨床を行っていますのでアジアの医療は多少わかるつもりです。
私も医療を産業としてとらえよ、とか医療はビジネスである。という発想は先生のおっしゃるように非常に違和感があります。医療を産業ととらえた結果がアメリカの医療の状態なのでは?ということですよね。本来患者を治療することが目的のところが、お金を稼ぐことが目的になるのは間違ってると医療者なら思ってしまいます。ちなみに先生は医療の適正な価格はどう決めるか?と書かれていらっしゃいますが、アメリカの医療費は適正な価格だと思われていらっしゃいますか?他国と比較して圧倒的に高い。病気になると破産する医療費というのは適正ではないと個人的には思います。(もちろんどこまでが適正かの判断は難しいですが。)
ただ医療を産業として発展させている国は実際にあります。タイやシンガポールなどがその例です。タイなどは5つ星ホテルなみのサービスと米国などで研修した医者の高い医療クオリティで世界中から患者が集まっており、その結果としてタイ全体の医療の水準が押し上げられているように思われます。もともとは産業目的でも結果的には全体の波及効果があるという意味では一概に全否定はできないと思います。しかもこうした医療ビジネスをやっている病院はお金が集まればなんでもできるので、最先端の医療が患者の同意さえ得られれば好きなだけできます。保険診療でしばられた日本ではできない治療がどんどんできてしまう。そうなると日本の医療水準は海外より遅れていくことになりかねないという危惧もあります。そして日本のお金持ちが将来海外で診療を受けるようになってくることも想像に難くありません。
この国民皆保険というか混合診療を認めない状況は日本国内だけの問題ではなく、海外(地理的にも近いアジア諸国)の医療事情からの影響も受けるものと思います。
北原先生のいうような、日本のブランドをもって海外にうってでて外貨を稼ぐ。さらには日本でできないことを海外でやってさらにそれを日本に持って帰るということは一つの戦略となるかもしれません。
ただ北原先生の隣国カンボジアでのプロジェクトは簡単にはすすんでいないような話が聞こえてきます。
寺川先生
はじめまして。KUROFUNetの記事、こちらこそ楽しく読ませていただいています。とっても示唆的なコメントありがとうございます。
僕自身は、医療を「産業」や「ビジネス」と捉えることにそれほど違和感はありません。実際に「産業」ですし「ビジネス」ですから、そこを否定することはできないと考えています。ただし医療は、一般的な自由市場で代表されるビジネスとは異なると思います。その根源的な理由は、医療が究極的に扱うものは「命」であり、それは基本的人権によって社会的に保障されるものだからです。したがって、医療ビジネスの定義の仕方を間違えると、「命もお金で買える」という言説がまかり通りかねません。しかもその考え方は、最終的には全体の費用対効果を押し下げる結果になる可能性が高いと思うのです。
米国では医療の値段が適正に設定されているかどうか、なんとも答えるのが難しいですね。保険が効く前の「言い値」はぼったくりのような値段ですが、保険が効いた後の値段は保険会社との交渉によりかなり値引きされますので、それが適正といえないほど高いかどうかは分かりません。それでも日本と比べると高いですが。(値段の決まる仕組みについて、詳しくは http://ameilog.com/atsushisorita/2011/12/01/100439 を参照してください。)破産するほどの医療費というのは、値段の設定の問題より、保険システムの問題だと思います。総体としてGDP比で高い医療費も、非効率なシステムと歪んだインセンティブ、それに加えて高いAdministrative feeがかなり影響していると考えています。
先生もおっしゃるように、医療をビジネスとして捉えること自体が悪いとは思えません。むしろ良い影響を及ぼす部分も多いと思います。重要なのは、アウトカムの設定と、その適用の仕方だと思います。
反田先生
Kuroufnet最近滞っていますが、読んでいただけてうれしいです。
アメリカの保険システムは難しそうですね。たとえ保険があっても時間がかかったり、セーフティーネットがあってもいいソーシャルワーカーに会えないと使えなかったり。やさしくはなさそうですよね。映画『Rainmaker』を最初に見た時はそんなのあり?と思いましたが実際そうなのでしょうね。
私の勤務する病院はプライベートですし(日本人の金銭感覚からしても)決して安い診察費用ではないのですが、アメリカ人の患者さんは、安い、安いって言われていきます。『この値段で検査と治療ができるなんて、僕はこの病院のbig fanだよ』と言われたこともあります。アメリカ人以外で安いと言われたことはありません。高くはない、というコメントはありますが。救急車でホテルへ患者を迎えに行って『ホテルとの契約ですから無料ですよ』と言っても、俺はタクシーで行くと拒絶するのもアメリカ人でした。個人的な経験談ではありますが、そういう患者さんたちを見ていると、アメリカ大丈夫?と思ってしまいます。
Kurofunetの記事にできたらしてみたいと思います。
ちきりんさんのブログはいつもおもしろくよませてもらっています。ブログはいろいろなところをはしょっているので、違和感を感じますが、実際の講演を動画で見た感じは論理に筋はとおっていました。
ところで反田先生はどういうビジョンをもっていますかね?
ぼくは混合診療には大賛成です。そして手術に関していうならばある程度の症例数によるIncentiveがあってもいいとは思います。(実際でてきてますけど)いまの日本の医療制度は、貧乏人と大金持ちにはやさしいけど、小金持ちで小忙しいひとにはまったくフィットしていないと思います。医療にお金をかけようとするとお金がかかりすぎて、ちょうどそこのニーズをみたしてあげるような仕組みはないように思えます。新しい治療を受けたいひとはそれをサポートするシステムが必要だとおもいますね。
またある程度の淘汰は必要だと思います。それは料金をかえる必要はありませんが、扱う疾患の症例と専門医資格の開示などによる、患者の適正な分配はあってもいいかなと思います。実際自分が知っている分野じゃなければどういうところにどういう先生がいるのかっていうのはまったくわかりませんもんね。
コメントありがとうございます!ビジョンとは、混合診療に関してということでしょうか?僕も混合診療には賛成の立場です。医療の進歩の速度と社会の要請を考えると、必要な医療(この定義が極めて曖昧かつ論者の立場で変わるため、反論の対象になることが多いですが)は皆保険でカバーされつつ、それ以外(またはそれ以上)のサービスを自費で選べる仕組みは妥当に見えます。また専門医資格の情報開示には賛成ですし、例えば外科学会などによる執刀症例数を登録して報告できる信頼性のあるシステムの構築も妥当に思えます。しかし、それらの開示はVoluntaryで十分で、Mandatoryにする必要があるとは思えません。Incentiveに関しては、ポーター先生の言われるように、「Benefit/Costを最大化する」ためのIncentiveの構築には賛成です。その適用段階ではさらにコミュニティや文化の違いを考慮しなければいけないため、各論でなければ議論はできないと考えます。