(この記事は2012年1月13日 CBニュース http://www.cabrain.net/news/ に掲載されたものです。)
「米国で働く日本人医療従事者の視点で、日本からはなかなか見えてこない米国医療の姿を情報発信しよう」―。そんな思いに共感した医師をはじめとする医療従事者が中心となって、昨年10月にブログポータルサイト「あめいろぐ」を設立しました。米国で研修医として働くわたしが、こうした情報発信をしようと考えた経緯をお話しします。
■「いい」?「悪い」? 二極論で語られがちな米国医療
「米国の病院では平均入院日数が日本の3分の1以下で、急性期治療に特化した質の高い医療が行われている。日本では入院が長過ぎて非効率的なので、短くすべき」「米国ではドクターフィーが導入されている。医師の仕事への対価を正当に評価できるので、医師のモチベーションが上がる。日本でも導入すべき」
これらはわたしが日本にいた時によく耳にした意見です。学生の時に参加した医療フォーラムや、働いていた研修病院で、このような主張は「当たり前に正しいもの」とみなされていたように思います。逆に、「それって本当なの?」という視点から物事を教えてくれる人には残念ながら巡り合えませんでした。インターネットで調べると、日米で入院日数を比べること自体、ナンセンスだったり、ドクターフィーには是非があったりすることも分かります。しかし、当時のわたしはそのもっともらしい主張をそのまま受け入れ、まるで自分の意見のように、「日本の入院期間は世界的に見ても異様に長いんだよ」とか、「ドクターフィーが日本にもあればいいよね」とか述べていました。
一方でマイケル・ムーア監督の「SiCKO」で見られるように、米国医療に対する負の側面が強調されることもあります。平均寿命と対GDP(国内総生産)比の医療費を比較して、「日本では非常に効率の良い医療が提供されているが、米国の医療は莫大なお金を掛けている割に人々の健康につながっていない。日本の医療は素晴らしい。米国に学んではいけない」。これもまたよく耳にする議論です。
なぜこのような議論の二極化が起きるのか。それは恐らく「的確な情報の不足」にあると思います。それに加え、米国に対するゆがんだあこがれや嫉妬が「偏った情報の取捨選択」を生み、議論の先鋭化に拍車を掛けているのではないかと思います。この種の感情は存在を認めること自体、苦々しいものですが、少なくともわたし自身の中にそれは存在していました。それが物事を客観視する姿勢を鈍らせ、受け売りの主張をする結果になったのだと思います。
米国に来た理由の一つに、実際の医療現場がどうなっているのかを知りたい、という強い気持ちがありました。そして働いてみると、いかに今まで自分が限られた、偏った情報に左右されてきたかを痛感しました。日本にいる時「厚生労働省は実際の医療現場を分かっていない」という批判にわたしも同調していましたが、米国の医療現場に対して、自分も「机上の空論」をしていたわけです。
■現地から、生の声を届けたい
この経験から「米国の医療現場で働くさまざまな人から、生の声を集められないか?」と思い始めました。そのために多くの人が気軽に参加し、情報発信できるプラットフォームをつくる。常に最新の情報が提供され、活発で建設的な議論がそこから生まれる。臨床留学を目指している人に役立つ情報も発信しよう。一般の人にも読んでもらえるように、あまり専門的でない内容も発信したい。米国医療の実際の姿を伝えるとともに、それが日本の医療のこれからの姿を考えるための一つの材料になるのではないか。
米国で活躍する日本人医療従事者によるブログポータルサイト「あめいろぐ」はそのようにして生まれました。医師に限らず、看護師やソーシャルワーカーなど、さまざまな職種の医療従事者が参加することで、幅の広い内容をさまざまな角度から取り上げることができます。いったん始めてみると、米国では驚くほど多くの日本人医療従事者が活躍していて、同じような気持ちを共有していたことが分かりました。「あめいろぐ」開設までの道のりは平たんではありませんでしたが、共同設立者である浅井章博氏をはじめ、多くの方の協力でこのプロジェクトは実現しました。
これからの日本の医療を考える上で、ほかの国の医療事情を知り、日本を相対的に眺めることは必要だと思います。日本にいると、自助努力でその作業をするには限界があります。もちろん米国で働いているからといって、正しい視点が持てるわけでも、バイアスのかからない意見が持てるわけでもありません。しかし、少なくとも実際の米国の医療事情と、その中で経験したことをお伝えすることはできます。わたしたちが提供するささやかな材料が、日本で活躍される皆様が何かを考える際の足しになれば幸いです。
反田先生こんにちは、下町Brooklynで働いている牧野です。先生が書かれているように、日本にいたときはアメリカ医療の実態を知らないにも関わらず、それを理想化していたように感じます。実際こちらへ来てみると、その長所と短所のギャップが大きく逆に戸惑うことは間々あります。医学教育やレジデントの質でいえばやはりアメリカはすごいなと思う反面、医療保険制度や医療技術に関して言えば日本の方が格段に優れています。そういえば、つい最近の新聞でNY市内の病院の質が悪いのは外国医学部卒業者が多いからだという記事が掲載され、それに対し活発な議論が交わされていました。それはアメリカ市民の正直な感想だと思うのですが、逆に外国医学部出身者がいなければとてもやりくりできないのもアメリカの現状です。アメリカは自由で移民の国と謳っている手前、世界から様々な人々が集まってきます。もし、自分がアメリカ市民でこうした移民者(その多くが貧困層)に対し、医療保険費をサポートしなくてはいけないといわれたらどのような感情を抱くでしょうか?結果として、現在のアメリカはその自由という発想が足かせとなり国民皆保険を導入できず、またさまざまな価値観が混在するがゆえに医療訴訟が絶えず、アップアップしているように感じるこの頃です。
牧野先生こんにちは。鋭いご指摘ですね。確かに、多様性が大きいゆえに、全ての人に同様の権利を保障する皆保険制度の導入が困難になっていると実感します。「自分が納めた税金」が同胞でない移民者に使われることに、違和感を覚える(ずるい、と感じる)感覚も理解できなくはありません。ニューヨークの中でも、階層化したコミュニティが互いにあまり交わることなく共存している状態を「アメリカ」という一つの国として括ることに、やや矛盾を感じることもあります。