2020/05/05
COVID-19関連報道を見る際に気をつけて!バイアスの話
COVID関連情報が毎日飛び交ってますね。従来は医学界、科学界で十分に議論をされてから世に出ていた情報も、緊急性、話題性、SNSなどの迅速性が相互に作用して、未処理のままでみなさんの目に触れる結果となっています。まさに「拡散」です。
4月上旬、トランプ米大統領が「ヒドロキシクロロキンとアジスロマイシンのコンボは画期的な治療方法だ。これで大丈夫だ。Game changerだ。」と発表しました。
NIAID所長のファウチ医師は記者会見で、「まだAnecdotal(逸話、寓話レベル)だから気をつけて」と釘を刺してましたが、米国内で皮膚科医も精神科医も途端に処方を開始し、処方量はなんと40倍に跳ね上がりました。そして残念ながら後発の臨床試験ではそれほど有効な成績を示すことはなく、臨床現場でもそれほど成果は感じませんでした。
むしろそれまでヒドロキシクロロキンを常用していたSLEという疾患を持つ患者さんが薬へのアクセスが悪くなったり、少しでも予防したくてクロロキンを含む市販薬を大量服用してしまったアリゾナでの健康被害の報道も続きました。挙げ句の果てには、査読前のものではありますが、退役軍人を対象にした臨床治験の中間報告からは「むしろ投与することで死亡率をあげるかもしれない」と警告すら出る事態になりました。
ここに一般市民の皆さんにお伝えしたい「科学的検証を経てない情報」の危うさがあります。
時間と労力をかけた科学的検証のプロセスを省いて、ある事象をそのまま行動判断に使用すると「バイアス」がたくさん混じっている可能性があり、むしろ害が発生する可能性があるという危険性です。バイアスを最小限にしてこそ、真理に極力近くなるのです。
注1)ここで「極力」と書いたのは、結局は「バイアス」は完全に除去できないという現実があるからです。
注2)バイアスは他にも「交絡因子」という用語と同義でも使われます。
英文で言うところの、
”The devil is in the details”(「悪魔(神)は細部に宿る」).
“Don’t compare apples to oranges”(「リンゴとオレンジを比べようがない」)
ではバイアスとは何でしょうか?
今回の記事では、以下の3つの場面を具体例にあげて簡単に説明したいと思います。
- 米大統領とヒドロキシクロロキン、BCGワクチンとアジア諸国の話題における「確証バイアス」の危険性
- COVID抗体(IgG/IgM)と無症候性キャリアの話題における「選択バイアス」と「思い出しバイアス」の危険性
- 小児と高齢者の死亡率を比較することにおける「情報バイアス」の危険性
1.米大統領とヒドロキシクロロキン、BCGワクチンとアジア諸国の話題における「確証バイアス」の危険性
冒頭で述べた米大統領とヒドロキシクロロキンの話は今でこそある程度決着が着いた(思ったほどの臨床効果がない)雰囲気でありますが、発表当時は他の治療薬の選択肢も乏しかったので、大注目されました。
元々のデータはフランスのある病院からの報告によるものでしたが、臨床試験のデザインとしては欠点もあり、科学論文を読み込んだ医療従事者が見たら、パッと飛びついて行動パターンを変えるほどのインパクトのあるものではありませんでした。
しかし、「他に選択肢がない」「(伝言ゲームの最後にいたであろう)米大統領という権威が報告している」という風潮の中で、まさにみんなが「パッと飛びついてしまった」のであります。
ここでの受け手の心理状態としては、「まぁ細かいことを言い出すとわからないけど、とりあえずこの情報を採用しよう」と言うことではないでしょうか?
これが「確証バイアス」です。人は自分の信じたい情報を採用して、自分に都合の悪い情報に目を背ける傾向があるのです。
これは私の好きな本「決定力!正解を導く4つのプロセス(早川書房)」でもハース兄弟が触れており、視野の狭窄を避ける、反証的な質問を自問してみる、外部の人から意見をもらうなどの対策を勧めています。
臨床試験などの専門的データに関しては、医療従事者は反証的な質問をして批判的に吟味する訓練を受けていますので、原著論文を読んで直接自身で批判的に吟味したプロに分かりやすく説明してもらうといいでしょう。
もう一つの例として、BCGワクチンを定期接種していない欧米諸国(イタリア、米国)と比較して、定期接種としているアジア圏の国(韓国、日本)でCOVID19に対する死亡率が少ないと言うデータを見て、「もしかしたらBCGワクチンを接種している国民は何かしらCOVID19に対して保護的に働いているのではないか?」という仮説を立てた研究グループがありました。ジョンズホプキンス大学のグループもその一つです。
仮説を立てて、検証していくのは構わないのです。現在進行形で8つの臨床研究が世界中で行われていますが、その過程で仮説が肯定なり否定されたりして、そこから得た情報を元に別の仮説を立てることもあります。そうして科学は発展してきたのです。
ただ、ここで「あー、BCGワクチンがいいんだ。よし、なんとかして入手して自分を守ろう」と行動を移すのには注意です。
4月にどこかのクリニックで非推奨の成人への投与(ハンコ注射でなく、皮下注射で投与してしまい)で副反応で救急搬送された報道がありましたね。本来必要な乳幼児への供給不足を懸念する声もありました。
この件では、「BCGワクチンを今も接種しているが死亡率が高い国々(ポルトガル、アイルランド、イラン)」や「BCG接種をすでに中止しているが死亡率が低い国々(スロヴェニア、オーストラリア、ニュージーランド)」,「国ごとに使用しているBCGワクチンの薬剤が微妙に違うこと」などの情報には目を背けているような気がします。
個人的には、BCG接種が今も推奨されている国=肺結核の有病率が高い=空気感染を起こす疾患に関する隔離や接触者トレーシングの保健所制度、国民のマスクへの意識が発達している、と言う論理もありだと思います。
正確にBCG接種以外の因子の影響が最小になるようにデータ調整してから検証しないといけないのですが、確証バイアスが先行してしまったもう一つの例です。
2. COVID抗体(IgG/IgM)における「選択バイアス」と「思い出しバイアス」の危険性
ニューヨーク州でCOVID-19抗体検査を買い物に出てきた3000名の一般市民にしたところ、14%で陽性であったとか、最近では神戸市立医療センター中央市民病院で外来患者1000名を調査したら4%近くが抗体陽性であったと言う報道がありましたね。その結果を持って、「市中には無症状だったけどCOVID-19に暴露していた人が実はものすごくいたのではないか」という結論をつけています。
まさに氷山の一角ですね。それはきっとそうなのでしょうが、ここで気をつけないといけないのは、「どのような集団を調査したのか」と言うことです。詳細を分析しないまま、結論だけが一人歩きしていないだろうか?(詳細は仙台医療センターの西村秀一氏の記事が参考になる)
たとえば東京のあるクリニックが希望者を募ってIgG抗体を測定した結果(202名のうち5.9%が陽性)をニュースに出していましたが、ここでは「クリニックの呼びかけを見て、わざわざ出かけて実費で採血をしてもらおうと思った」比較的元気な人たちがサンプリングされたのでしょう。元気な人ほど社会活動が盛んなので、コロナウィルスへの暴露の可能性も高いかもしれません。
慶応大学病院では手術を予定していた入院前の無症状患者(67名)に抗体検査をしたら6%が陽性であったというデータを報告していましたが、これも一般市民とは少し違う集団です。前述の神戸市立医療センター中央市民病院の調査では、この時期に外来受診をしなければならないほどの併存疾患を持つ患者や軽度であっても症状を持つ人たちがサンプリングされた可能性があります。
詳細報告を見てみないと正確なことは言えませんが、こうして「ある特定の傾向のある集団」で得たデータを持って、単純に人口にかけて「〇〇市内には実に●万人近い感染者がいたかもしれない」と結論づけるのは軽率です。専門用語で言うところの「外的妥当性」を慎重に検討しないといけない事案ですね。
これらが「選択バイアス」の一つの例で、調査対象を選択した時点で偏りが出てしまうことです。なので、臨床試験ではそれを防ぐために介入群と対照群を設定し、調査対象の人たちの年齢、性別、基礎疾患などを均等になるようにランダムに割り当てることで、両群の偏りを防ごうとします。
抗体検査の件でもう一つ気になるのが、「全ての抗体検査は同等の質と信頼度でないかもしれない」と言う懸念です。
通常新しい検査を世に出すときには、事前に信頼性と正確性を調査してからになります。
その際には、従来の「信頼できる」検査で確定できる症例を対象に調査します。いわゆるゴールドスタンダードと呼ばれるものです。
今回のCOVID19は新興感染症であるがゆえに、なかなかこのゴールドスタンダードが確立しにくいのが難点です。
PCR検査はわずかなウィルスの核酸を拾って、増幅して検出するので、その点では信頼性も高いとは思いますが、コロナウィルスの「物理的な存在」は示せても、「活動性や感染性」を示しているかどうかは別の問題です。
抗体検査の信頼性を調査するにあたり、PCR検査で陽性となった人でかつ症状があり、ウィルスの存在が病原性を示したと思われる患者の血清から採取したもので調査したことを確認するべきでしょう。ウィルスが鼻咽頭粘膜にいただけでは抗体が出ない可能性がありますので、免疫応答(症状)がないといけませんから。
そういった点で、「抗体検査が陽性」だった=「無症候性のキャリア」だったとは必ず言えないのでは? むしろ抗体検査が偽陽性だったのでは?と疑ってしまいます。陽性と出た同じ患者に時間をあけて何度か繰り返して調査してませんよね?
実際に新型コロナウィルスに対する抗体検査と開発しても、他のコロナウィルス(229E, NL63, OC43, HKU1など)による風邪を呈した人の抗体を検出してしまう不良キットの可能性もあります。
そして抗体検査の最大のアキレス腱は、「すでに免疫を獲得して、もう次にはCOVID-19にかからない」と言う効果的な抗体レベルがいまいちよく分かっていない点でしょう。自分が「抗体陽性だったから大丈夫、普通に予防策もなく活動しても良い」と言う「間違った安心感」を与えかねません。
各種検査の弱点を理解し、開発販売した会社の信頼性も考慮して、選ばなければなりません。
一般市民にはそんな細かい情報は得られないし、なかなか難しいと思います。
なので、米国ではFDAと言う機関がチェックした検査キットのみを採用し、かつそれを新たに始める検査ラボはValidation studyと呼ばれる工程でまずは自分のところでも他の検査キットと比較して信頼性をチェックします。
そういった点で、私はホームキットと言う家庭で検体採取して調査できる類の検査には慎重になってしまいます。
検体採取のテクニックの信頼性、検査キットそのものの信頼性、検査キットの質を担保するシステムの信頼性などが心配です。
無症候性のキャリアという概念も気をつけないといけません。英語ではasymptomatic (無症候)とpresymptomatic (症状発症前)と区分しますが、
検査時点で症状がなかった人たちも、その後1−2週間以内に何らかの症状を発症した可能性があります。
しかし、なかなか検査後の人を徹底的に追跡するのも難しいですし、逆に数週間前の症状を思い出してみても正確に言えない人も多いと思います。
これが、症状を一つの指標とする調査にはつきものの「思い出しバイアス」と言う一種の情報バイアスです。
3. 小児と高齢者の死亡率を比較することにおける「情報バイアス」の危険性
最後に、COVID-19を罹患した小児の死亡率と高齢者の死亡率の違いをあげて、「この病気で死ぬ確率が高い高齢者を隔離して、子供らは社会活動をしてもいいのではないか?」と言う意見を見たことがあります。
これは大きな誤解で、そもそも平常時においても「小児の死亡率」と「高齢者の死亡率」は大きく違います。高齢者の方が概して死亡率が高いのはそうなのですが、
高齢者には他の併存疾患もあり、一つの疾患が増えたからといって、それが直接の死因となったとはなかなか言いにくいのです。
米国では2019-2020の季節性インフルエンザで死亡する人が24,000-62,000いたとCDCは報告していますが、この数値の幅が広いのはなぜか考えないといけませんし、
実際に私の周りで「インフルエンザによって死んだ」と言う患者を受け持った同僚はあまりいません。どのように死因統計を取っているのか気になります。
どのように診療録に記載されるか、最終的に死亡診断書に何と書かれるかで左右されるので、細かい死因統計は昔から困難でした。
中国では途中からPCR検査で確定せずともCOVID-19の死亡例として計上してましたし、逆にアメリカやイタリアの高齢者施設では肺炎で亡くなる人は毎年いるため「なんか今年は例年より多いな」程度に思われ、COVID-19として計上されずにカウントされている可能性もあります。
死に至るほどの重篤状態になったらCOVID-19の検査をせずに治療にあたる可能性は低いとは思いますが、死因統計が混乱を示している途上国はたくさんあります。
なのでインフルエンザの死亡率とCOVID-19の死亡率を単純に比較してもいけません。
そしてCOVID-19によって起こっているとされている「高齢者の死亡数」は「他の疾患の増悪」「従来の治療体制の不備」などの交絡因子を考慮しなければなりません。
そんなCOVID-19が社会全体に与えた直接的と間接的被害を漠然と把握するのに有用なのは、「超過死亡(excess death)」と言う概念です。
これは、季節性インフルエンザの調査ではよく用いられますが、「今年度のある地域のある年齢層の死亡数を前年度と比較した差」とも言えます。
これならば、小児と小児、高齢者と高齢者を比較することになります。
このような指標を用いて初めて、「今回のCOVID-19は小児においては影響が少ない」と言えるかもしれません。
どのような情報を用いて比較するのか、それが「情報バイアス」の一例です。
まとめ
私は疫学統計の専門家ではありませんが、臨床医として気をつけている「バイアス」の概念を少しでも知ってもらおうと思い、最近の時事ニュースを元に解説しました。
報道はセンセーショナルな見出しをつけますし、明るいニュースには飛びつきたい気持ちはよくわかりますし、「何でそんなに時間をかけて調査しているのだ」と苛立つ気持ちもわかりますが、昔から医学界はバイアスを最小限になる作業を徹底的にして、正確な情報提供をしてきた歴史があるのです。
情報過多で疲弊する毎日ですが、情報過多は今に始まったことではありません。ただみんなの興味関心が一つの分野に集中しているのでより強く感じるのでしょう。
情報フィルタリングを上手にする訓練と思って日々報道を見ています。