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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

 

『スーツなんて着なくてもいいよ。ここはカリフォルニアだし。』

東海岸のボストンから西海岸のカリフォルニアに移ってきて仕事開始2日目、病院オリエンテーションに当然のごとくネクタイ+スーツで参加していた私が同僚から言われた言葉です。彼はスーツなし、ネクタイなしでシャツの一番上のボタンを外し、新しい職場2日目にしてすでに(その当時の私からしたら)ラフな格好。東海岸と西海岸、根付いてるものが全然違うと引っ越す前からまわりから言われてはいましたが、2日目で早くも先制パンチをもらった気分でした。それから約1年経ちましたがそれ以降スーツはクローゼットの奥に眠ったままです。現在は長袖シャツにスラックス、ネクタイはしたりしなかったりで、白衣を上に着て仕事をしています。外科医はスクラブに白衣という格好をよく見かけますが、内科医としてはそれが現在の病院の一般的なスタイルなように思います。ボストンではスーツで仕事をする上級医もまれにいましたがカリフォルニアでは皆無でしょう。

 

そんなちょっと自由な(暑いだけ?!)カリフォルニアでローカルな勉強会に先日参加した時に、医療従事者の服装をテーマに研究している感染症医のプレゼンがありました。物の表面には常に様々な菌がいてコンタクトを通して広がる感染症がたくさんあるのは容易に想像がつくと思います。では、白衣からは?垂れ下がったネクタイからは?時計は?指輪は?聴診器は?疑問に思い出したら切りがないくらい理論上はいろいろな感染のリスクがあることに気づきます。もともとは清潔の象徴として手術室で使われ始めたという白衣、一体どれだけ清潔かというと・・・平均して洗濯される頻度は2週間に1回程度とも言われ、お世辞にも清潔とは言えなさそうです。では、なぜ医者は白衣をそれでも着るのでしょう。

 

人間はパターンを見出すのが好きです。自身の経験がベースになって知らず知らずのうちに『Aと言えばB』という構図を作り上げています。つまり、『白衣と言えば医者』の構図がかなり普遍的に通用するのではないでしょうか。ただし、それは医者側からの視点でしょうか、それとも患者側からの視点でしょうか。医者に白衣を着る理由を尋ねると「白衣を着ると医者っぽく見えるから」と答えたケースが3割近くあったというデータもあります。例えばあるスポーツを初めてする時にそのスポーツ用のウェアで全身バッチリきめたりすると「かたちから入りやがって」などとまわりから茶化されるケースが日常生活であるかもしれませんが、まさしく医者の服装にも同じことが言えそうです。

 

医学生の頃、「腕はとてもいいけど性格が最低な医者に診てもらいたいか、もしくは腕はひどいけど人間的に素晴らしい医者に診てもらいたいか」のような議論は飲み会においてよくあるトピックでしたが、「服装はひどいけど腕のいい医者 vs 服装はばっちりきめているけど腕の悪い医者」という二択で議論をした記憶はありません。ただ、どの医者もそれぞれが置かれてきた外的環境の違いも影響して、一人一人が自分なりの服装に関するポリシーをそのうち作り上げていくように思います。『カリフォルニアと言えばスーツなしでOK』のように。

 

医者は白衣を着るべきかという議論は、感染症のリスクが云々というような科学的根拠に加えて、そんな医者自身から来る内的な要素と患者含む外的な要素の絡み合った心理的な問題も含んでいるようです。そしてその医者自身の内的要素に関して、ネガティブな言い方をすれば医者は医者っぽさを強調したい、自己顕示欲から白衣を着ることがあるかもしれないというのも見逃せない視点です。

 

その勉強会のプレゼンの中で医者の“Humanism & Professionalism”について議論した論文が紹介されていました。ここでのProfessionalismはネガティブな意味合いが込められていますが、Humanismは医者と患者を結びつける方向に働き、Professionalismは医者を患者から切り離す方向に働くという議論でした。私はそれを聞いて妙に納得してしまいました。ウガンダにいた頃、白衣を着ているのはまさに医者だけ、そして看護師もランクに応じて制服の色が違ったりベルトの色が違ったり、差異が一目瞭然でした。一方で埃まみれ、穴だらけの服を着た患者たち。あくまで私の主観ですが、ウガンダの田舎では医療従事者は別格な存在に映りました。そして医療従事者の中でも階級による差別化が厳しくはかられているようでした。果たして、アメリカで、日本で、白衣はHumanismを助長するのでしょうか、それともここで言うProfessionalismを助長するのでしょうか。白衣を着ることが『医者っぽさ』の一助となるとして、患者はそれに安心感や親しみを覚えるのか、それとも何だかとても権威的で近寄りがたい存在に思うのか、一体どちらでしょうか。翻って普段そんな事も大して気にせず白衣を着ていた私自身、普段接する患者さんからはどう映っているのか、改めて考えるきっかけとなったのでした。「病は気から」- 果たして皆さんにとって白衣はどう作用しているでしょうか。

 

そして白衣がここでのProfessionalismを助長するのだとしたら、理論上の感染のリスクも踏まえてもしかしたら白衣を着ない医者を患者が今後求めるようになるかもしれません。それとも医者側はそれでもProfessionalismを振りかざすべく白衣の存在を主張し続けるのでしょうか。もしくは患者にとってはHumanismを助長する存在として白衣が捉えられるにも関わらず白衣による感染症の重要性が科学的にいよいよ明白になったとして、どのような服装を医者はすることになるのでしょうか。たかが外見の話しかもしれませんが、HumanismとProfessionalismという観点で考えると実はもっと医者-患者関係の根源的な部分にもつながっていそうです。今後も医者-患者の両者が文字通り見た目を含む医者像の移り変わりに関わっていくことになりそうです。

 

“Be thankful for what you have; you’ll end up having more. If you concentrate on what you don’t have, you will never, ever have enough.”

—Oprah Winfrey

 

 

4件のコメント

  1. あまり考えたことのないテーマでしたが、大変参考になりました。私は白衣派です。アテンディングになった当初、白衣なしで仕事をしてみましたが、数週間でやめました。というのも、ペン、キャリパー、聴診器、名刺などといった仕事道具を家に置き忘れることが多くなったからです。現在、これらの道具は常に白衣のポケットに入っていて、白衣を肩に引っ掛けて仕事に出かければ全てオッケーという具合です。私にとって白衣は、医師の作業着という感じです。でも、忘れ物の癖がなければ着ないかもしれませんね。

    • 齋藤先生、

      コメントありがとうございます。
      白衣の大きなポケットの機能性を理由に白衣派という医師も確かに多いようです。
      私も日本で初期研修をはじめた頃は『〜〜マニュアル』のような本をポケットに入れていました。
      ボストンにいた時に白衣のポケットが一杯だった時に患者にその点を突っ込まれて、『This is my brain』とポケットを差しながら冗談で(?)応えたこともあります。

      現在は皆スマートフォンを持っているのでポケットの必要性は先生がおっしゃったような本以外のものの場合が多いのかなと想像しています。
      もしくはiPad miniを持ち歩く人はまだ白衣のポケットが必要かもしれません。
      それでも最近はスクラブのポケットが大きいからとスクラブだけ来て白衣は着ない人もいます。
      一方で先日フロリダのメイヨーにいる友人に会いましたが、彼の知る限り外来は上下スーツで仕事とのこと。
      ミネソタだけでなく暑いフロリダでもスーツと聞いてびっくりしました。
      いろいろな文化がありますね。

      斎藤 浩輝

  2. 久しぶりに、白衣のことを考えるきっかけになりました。 われわれ小児科医は、普段あまり白衣を着ません。というのも、白衣を着ると子供が怖がるからです。白衣がまず見慣れないことと、彼らの過去の経験から「白衣=注射=痛い」という連想が起こるから、白衣を着ている人に近づかないと言われています。
    でもたしかに、小物を持ち歩くことができないので不便ですね。何か、洒落た小物入れが携帯できればいいのですが。

    • 浅井先生、

      コメントありがとうございます。確かに小児科医は白衣を着ない場合が多そうですね。
      仰るように、子どもにとっては親近感を抱いてもらうことがとても大事な要素なのかなと思います。
      話しは白衣ではなくなりますが、ウガンダで顔が白い、つまり彼らと肌の色が違うだけで子どもに大泣きされたことがあります。
      いつから人間は医者に風格=患者と差別化するもの、を求めるようになるのでしょうか。

      斎藤

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