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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

久しぶりの投稿です。気付けばボストンは寒く、日照時間の短い冬の真っ只中です。この間、普段通りの研修に加えて、 Fellowship、つまり初期研修が終了後の専門研修のための就職活動がありました。

 

通常3年間の内科初期研修修了後の進路は多様ですが、大きく分けるとFellowshipといういわば『研修医』の立場を続けるか、Primary Care Physician(PCP、かかりつけ医)やHospitalist(病棟勤務医)として『一人立ち医師』として働くか、2択の選択肢があると思います。

 

アメリカに「学びに来た」という気持ちのある私としては前者のFellowshipを当然選び、国際保健への興味から感染症を学べるFellowshipに的を絞って応募を進めました。以前も投稿した通り、多くの方がイメージするかもしれない「国際保健=感染症」が現実ではないのはウガンダで身を持って痛感しているつもりですが、同時にもし自分が一つ専門性を持つとしたら感染症だろうというのも同様に現場での経験を通して下した判断です。

 

科ごとに違いはあると思いますが、初期研修と比較してFellowshipの面接旅行は比較的リラックスした内容のものでした。枠が限られたポジションに世界中から応募を受け付ける初期研修の競争原理もあり、初期研修医になるための就職活動中ほどアメリカ社会における外国人としてのアウェー感を感じたことはなかったですが、基本的に現在アメリカで初期研修をしている人を母数として、かつ、人気とは決して言えない感染症のFellowshipの枠を探す過程というのは、面接をする側も受ける側ももう少し人間として健全な関係性をもたらすのかもしれません。

 

そんななか印象的だったのは、上述した一人立ち医師のポジションをすでに持ちながら研修医であるFellowshipに応募する人を多くみかけた点です。手技/専門技術が重視される現在のアメリカの医師の給与体系のなかで、「手」に職という感じではない感染症のFellowshipを終えた後の感染症医の給与は決して高くなく、そもそも感染症医としてのポジションも最近はあまりないと言われています。そんなアメリカ医療の世界では地味な感染症のトレーニングを、給与が2倍、3倍と違う一人立ち医師の身分を一度捨てて研修医に戻ってまでして受けたいと考える理由は一体何なのか。

 

現在一人立ち医師の立場で面接に来ていた人から聞いた一つのキーワードは“Respect”でした。専門研修を通して、患者から、はたまた医師を始めとする医療現場スタッフから、Respectを得るのだと。

 

日本でもアメリカでも「専門は何ですか?」という質問は患者からよく聞かれます。現在の医療において専門性が求められるのは必然なのかもしれません。ただ、どこからが「専門」と言えるものなのでしょう。Respectという言葉は裏返せば患者が医療に期待している何かがあるということです。どこまで専門化したらRespectされるのでしょう。

 

名だたる病院が立ち並ぶボストンから目と鼻の先にある私の市中病院では、入院してからそれら有名病院に転院を望む患者や患者家族に会うことがあります。当然、自分達の病院では行えないケアが転院先では受けられうるので転院が望ましいケースもありますが、そうではないケースも多くあります。私の病院にもそんな有名病院で専門性の高いトレーニングを受けた一人立ち医師が多くいますが、彼らが患者に「転院しても同じだよ」と話す時、彼らはどんな思いで説明しているのだろうと考えます。専門医としてRespectされるには、専門性だけでなくそれが機能するための『ハコ物』が必要なようです。

 

最近有名医学雑誌に載っていた言葉を引用します。

“We have effective therapies but inadequate innovation for delivering them efficiently to the neediest people — the so-called know–do, or delivery, gap.”

アメリカの国際保健分野では彼のことは知らない人はいないであろうPaul Farmerは、こうして医療のDeliveryの問題をずっと以前から指摘しています。医学雑誌は専門性の高い“effective therapies”を競い合うかのように投稿し合う場ですが、このようなDeliveryの議論はあまり進みません。専門性とDeliveryの関係性は現代の医療においてどこでどう折り合いをつけるのでしょう。

 

医療に関わる人間なら誰でも考えたことがあるであろう『専門』にまつわる話し、今回のFellowshipの就職活動を機に改めて考えさせられたのでシェアしてみました。まだまだ所詮『研修医』の身分が続く私、Fellowshipが終わった時、果たしてどんな存在として自分自身を眺めているか、来年以降はまたひと味もふた味も違う日々が待っていそうです。上述の折り合いが不透明な現実を踏まえると、自分が目を向ける将来には「~~専門医です」と自己紹介すべき世界と、「医者です」(極論を言えば「人間です」)という自己紹介で十分な世界と両者が存在していて、どちらでも仕事のできる人間として準備をしておきたいものです。では、皆さま来年以降もどうぞよろしくお願い致します。

 

“If you have much, give of your wealth;

if you have little, give of your heart.”

Arabic Proverb

 

 

 

 

 

 

2件のコメント

  1. そうですね。私のところでもスタンフォードやUCSFに送ってくれという患者さんを見かけますが、私は逆らわないことにしています。正しい医療が行われているかどうかも大切ですが、患者さんが納得して医療を受けられているかどうかも非常に大切だと思うからです。でも、残念ながら、ブランド志向というのはどこにでもあるものですね。

    • 齋藤先生、コメントいただきありがとうございます。
      そうですね、患者が納得して医療を受ける、患者の満足度というのは患者側の立場に立った時に一番大事な要素だと思います。
      ただ、『ブランド志向』が長い視点で見るとアクセスの偏り、不平等を助長して、個人主義の強いアメリカではなおさら弱者が苦しむことになるのは医療の本質からますますずれてしまうように感じます。
      自分達で自分達の首を絞めているようで。医療に関わる我々も患者のそんな価値観の創出に寄与しないといけないのだろうと思っています。
      最近は医療費の高騰もありアメリカでもPrimaryへの関心も高まってきているようですが、医療界全体における価値観は今後どのように向かうのか、自分もそのコミュニティの一部として考えていきたいです。

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