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最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田 篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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2014/03/09

なぜ日本で公衆衛生学が流行らないのか

(この記事は、2013年8月23日に若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に掲載されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)

日本の医療において公衆衛生学がそれほど重視されない理由には、その言葉が与える印象、医師に提示されるキャリアパスの狭さ、重視される分野の違いがあるように思える。

Public Healthは公衆衛生と訳されるが、私はこの訳に違和感を覚えている。それは、恐らくHygieneの和訳が衛生であり、一般的にHealthの和訳は健康、健全であるためだと思う。その結果、公衆衛生学と聞くと、上下水道整備や公害問題などの環境衛生をイメージしてしまう。公衆衛生がもたらす語感によるものなのか、日本の公衆衛生分野の歴史的発展によるものなのか不明だが、そのイメージは必ずしも誤りではないように思える。私が医学生時代に学んだ公衆衛生学では、水俣病やイタイイタイ病など、環境衛生・保健は最重点分野の一つであった。

Hygieneの訳語として「衛生」という言葉を最初に用いたのは、明治時代の長与専斎である。Hygieneはギリシャ神話の健康の女神Hygieiaに由来し、Healthを維持する活動を指す。それに「生(生命、生活)」を「衛(守る)」という「衛生」という語を当てたのである。一方、Healthは元々「(肉体的、精神的に)完全な状態」を意味していた。したがって、Healthには健やかで完全な状態を指す「健全」という訳が当てはまる。

Public Healthは人々の「完全な状態」を目指し、出来る限りそれに近い状態を保持するための学問だと言えるだろう。Healthを追求する活動がHygieneだと考えれば、Public Healthに「公衆衛生」という訳語が付けられた理由が分かる気がする。公衆(Public)のHealthを目指す活動(Hygiene)を包括する学問が、Public Health=公衆衛生学と考えたのではないだろうか。語源を辿ると、なんとなく「公衆衛生」という言葉に対するイメージが変わってくる気がする。しかし、この訳語に対する違和感は、公衆衛生学にプラスに働いているとは思えない。

日本の医療界において公衆衛生学が米国ほど重視されないもう一つの理由は、医師に対するキャリアパスの提示の仕方にある。要するに、公衆衛生学を学ぶことで将来どのような可能性が開けるのか分かりづらいのだ。日本で公衆衛生学を学んだ医師が働く場所としてイメージされるのは、保健所や厚生労働省、大学の公衆衛生学教室と限定的である。それと比較して、米国では教育機関や臨床研究での指導的な地位、病院管理者、NIHやCDC、FDAといった政府系機関、WHOなど、MPHを取得することによるキャリアパスの広がりが大きい印象がある。また、米国では公衆衛生学を学んだからといってその専門家になるわけではなく、特にMPHでは他分野に広く応用可能な項目を重点的に学んでいく。

例えばMPHでは臨床疫学や生物統計学を学ぶが、それらは臨床医として臨床研究を計画、遂行し、論文を執筆するに必須の知識だ。具体例として7月に刊行されたJAMAに掲載された原著論文の著者内訳を見てみると、194人のうち77人が医師の資格を持ち、そのうち18人(23.4%)がMPHを取得している。

もちろん、MSc(Master of Science)やPhD保持者も多くいるが、MPHが臨床研究に携わる医師の能力を示す指標の一つとして確立していることが分かる。公衆衛生学の知識を効果的に生かす、公衆衛生医ではないキャリアパスが具体的に見えるようになってくれば、日本でも公衆衛生学の知識がより重視されるようになるのではないだろうか。

キャリアパスが行政官や研究者に限定されていることと関連しているが、日本の医学部で学ぶ公衆衛生学は環境衛生、保健行政、記述統計・疫学に偏っている。残念ながら、私が医学生のころは公衆衛生学に“暗記科目”という印象しか持たなかった。公衆衛生学が研究や行政に重点を置いていること自体が悪いわけではない。日本における公衆衛生学の役割は、米国のそれと違っても不思議ではないだろう。しかし、医師もしくは医学生にとって、公衆衛生学的アプローチから学べることは多く、それは公害の歴史や保健に関する法律の知識ではないと思う。

例えば、「どうやって人を巻き込んで地域の医療を改善していくか」、「行政と協力してどのように人々の健康を保持するか」といった命題は、医師の“患者を治す”という主題と親和性が高く、そのための方法論やそれに必要なスキルを教えることは理に適っている。例えばチームマネジメントやコミュニケーションスキルは、多職種で協力して課題に取り組む際に必須の能力だが、医学部で学ぶことは少ない。これらは、公衆衛生学がカバーできる領域として挙げられる。

患者ニーズが多様化していく中で、医師が“医学”以外を幅広く学ぶ必要性は今後も増していくだろう。そして、その多様化するニーズに対応できる医師を育てるために公衆衛生学が提供できる知識は多い。日本で公衆衛生学が“流行る”ためには、多少なりとも「Public Health」と「公衆衛生」の間にあるように見えるギャップを埋める必要があるだろう。

10件のコメント

  1. 鮫島 庸一 より:

    お元気ですか?
    公衆衛生に関心がありMPHの資格を取得すると、米国ではどのような専門分野に進んでいくのか、多少理解できました。

    MPHはそのキャリアに見合う年収の増加が保証され、若手医師が魅力を感じるのでしょうか?
    もしくは年収アップよりも、上医としての社会的責務を果たし、人々の健康レベルのアップに貢献することに、医師としての職業上の達成感・充実感が得られることを求めているのでしょうか?

    Cadettoに投稿した時の、日本の若手医師・医学生の反応はどうだったでしょうか?

    オバマケアも始まりました。今までMPHは、無保険などの医療弱者の存在に対しどのような行動をとってきたのでしょうか?

    昨日、東京と千葉の5年生と話をしました。残念ながら、大学のこの領域の講義は貧弱で、学生には将来を託すに足る魅力的分野とは映っていないようです。我々が学んだ頃と本質的な変化はないようです。
    ただ今のままでは、近い将来に日本の医療は崩壊するのではないかというおぼろげな不安は、何となく抱いてはいました。これは大きく異なっています。

    日本ほどこの分野の専門家の活躍が緊急に必要な国はないのに、academiaの危機感が乏しく、それが学生の志向に反映されているのではないでしょうか。

    • 反田 篤志 より:

      コメントありがとうございます。アメリカで医師がMPHを取得するのは、キャリアアップ(年収)のためと、上医として活躍するための両方が影響していると思います。どちらもMPHを取ることで保証されるわけではありませんが、少なくともMPHの取得はそれらに必要な知識を獲得していることを示すので、役に立ちます。MPHに進む人の中では、もともと公衆衛生的な思想を持つ人(社会的弱者への医療アクセスに問題意識を持っている人)が多いので、皆保険制度を支持する人がほとんどのように思えます。日本でも若手の医師内でMPHへの興味を持つ人は少なくないと思いますが、まだまだ社会全体としてその価値を認められていないような気がします。

  2. 古賀智子 より:

    はじめまして。米国のMPH留学に関しての情報をネットで検索していたら先生のブログに辿り着き、突然失礼ながらコメントをさせて頂きました。
    私は母校の公衆衛生学教室に6年生時に入局しましたが、同学年はもちろん、前5年も入局者は1人もいない状態でした。
    私の母校が惨憺たる状況なのか全国的にこのような状況なのかはわかりませんが、公衆衛生が医学部の学生が公衆衛生学に魅力を感じていないことは事実なのではないか、と考えております。
    理由は3つありまして
    ①公衆衛生とはなんぞや?が明らかにならない=魅力がわからない
    医学生の大半は臨床医を志し、医学部に入学してきます。おそらく公衆衛生医になりたい!と思い、医学部入学してくる人はそうそういないのではないかと思います。そのような医学生に対して4年生あたりで突然「公衆衛生」という謎の講義が始まり、いわゆる「医者」らしくない法律や政策、統計方法を延々と挙げられ、暗記し、テストが行われる、というあまり楽しくない思い出が「公衆衛生」の代名詞となっていると思います。ゆえに医学生の公衆衛生のゴールは法律・政策・公式を「覚える」になってしまっているのではないかと思います。
    その法律ができた背景、政策が打ち出された背景などを提示し、「君たちならこのような社会的問題が浮き上がってきたときにどのような分析をし、どのような対策を練るか」などをOJT風にさせてくれればより楽しいでしょうし、公衆衛生の魅力もそこそこ伝わるのではないかと思います。
    ②医学部教育が疾患の治療に重きを置いている
    前述のように医学生の多くは臨床医を目指して医学部に入学してきます。そこに6年かけて臨床医学を重点的に教えられれば(臨床医学はポリクリなど実習もあり、かなり学生参加型であるのに対し、我が母校では公衆衛生は1年の座学のみであった。しかも①で述べたようにつまらない)公衆衛生を志す人はかなり稀有になってしまうと思います。また、多くの人(医療者・非医療者ともに)臨床が花形である、という感覚はなかなか拭うのが難しいのではないかと思っています。
    ③活用法、キャリアパスが不明
    ①、②の問題点を乗り越え、公衆衛生学教室に入局したところで、今度は「さあキャリアパスをどうしよう」という問題にぶつかります。私は今ここです。行政や産業医が多くのキャリアパスなのかと思いますが、もっと臨床とも繋げられるはずだし、活用できるのではないかなぁ、と漠然と感じています。

    臨床vs公衆衛生という構図が必ずしも存在しているとは思いませんが、日本の医療の改善のためには臨床医学の知識や現場感覚、公衆衛生学的なマクロの視点、どちらも必要であると思います。ですから、もっと柔軟に、必要なところで必要な知識を活かしていけるような社会になればいいな、と思います。
    長々とすみませんでした。

    • 反田 篤志 より:

      コメントありがとうございます。非常に的確な視点だと思いました。
      古賀さんのような問題意識を持った方が、今後の公衆衛生のあり方を変えていく原動力になるのだと思います。公衆衛生学の定義、医学教育のあり方、キャリアパスの提示の仕方、少しずつですが、内部から変革していく必要があるのだと思います。医学生の中には”世の中に向けて大きなことがしたい”と考えている人はたくさんいます。今は、公衆衛生が”大きいこと”をするための下地を(イメージも含めて)うまく提供できていないのだと思います。小さいことからでも変えられることはあると思いますので、ぜひ前向きに挑戦し続けてください。

  3. noriko deno より:

    はじめまして。現在、まちづくりの仕事についていて、地域に暮らす人の課題を共に解決していく手伝いをしています。まちのことを考えることは人の健康を追求することに近いことを実感し、公衆衛生を学びたいと考えています。先日、UCバークレーで公衆衛生を教えるデザイナーの方にお会いしました。ちなみに私自身もデザイナーで、医療や保健のバックグラウンドはないのですが、その点についても、多様性が求められるのでデザイナーが公衆衛生を学ぶことは非常に重要と仰っていただきました。非常にピッタリくると実感しましたが、アメリカでオンラインだとしても進学するのが難しいと思っています。そこで日本で大学院に通うことを考えていますが、おっしゃるようにカリキュラムの内容がしっくり来ないため、悩んでいます。アメリカにいらっしゃるので日本のことはあまりご存知ではないかもしれませんが、アメリカで捉えられる公衆衛生を学んでいると感じる大学院、あるいは先生をご存知でしたら教えていただけませんか?突然のコメント投稿でお願いしてしまい申し訳ありません。

    • 反田 篤志 より:

      コメントありがとうございます。おっしゃる通り、日本の公衆衛生大学院についてあまり知識がなく、有益なアドバイスをできそうにありません。京都、九州、筑波あたりが有名だと思いますが、それらはすでに調べていらっしゃいますでしょうか。
      また、聖路加国際大学(聖路加病院の運営母体)が2017年4月に公衆衛生大学院を開設予定であり、先進的なビジョンを持って取り組まれていると伺っていますので、調べてみられるといいかと思います。

  4. minami より:

    はじめまして。
    現在高校3年で医学部を志望しています。将来は公衆衛生を専門として「世界レベルでの保健医療のボトムアップ」をビジョンとして働きたいと考えています。
    ここでご質問なのですが、公衆衛生の専門家(DrPH/MPH)になることは医師として臨床分野でのキャリアパスから外れるということになるなのでしょうか?例えば小児科医と公衆衛生の専門家という二つのわらじを履きながら、世界の現場で働くということは可能なのでしょうか。
    MPHやDrPHといった学位について私は「医学の知識の上に重ねられる、より実学・実践的な内容である」といった認識をしているのですが、これは正しいのでしょうか。

    • 反田 篤志 より:

      はじめまして。その認識は正しいです。公衆衛生と臨床医学は互いに補強関係にあります。
      臨床を実践する上で公衆衛生学の知識は大いに役に立ちます。公衆衛生を実践する上で、核となる臨床の知識を持っていることは、施策立案と現場レベルでの適用において強い力を発揮します。
      ぜひ高い志を持ち続け、ビジョンを実現させてください。実際にキャリアパスを形作る上で、どこかの時点でトレードオフの選択を迫られる場面に遭遇することもあるかと思いますが、自分の信念に沿って行動すれば必ず道は開けると信じています。

  5. asami より:

    はじめまして、青年海外協力隊で看護師として発展途上国に派遣されております。9か月後には任期満了に伴い帰国予定で、今後MPH、その後は大多数の人の健康に関与できるような環境で働きたいと考えています。(国内外問わず)

    MPH取得を国内か国外(英語圏)か検討しているのですが、アメリカでのMPH取得の費用はどれくらい準備すれば勉学に集中できる環境が作れますか?

    大学院にはキャリアカウンセリング担当者はいるのでしょうか

    基本的な質問で申し訳ございません。

    • 反田 篤志 より:

      コメントありがとうございます。私自身、自分でMPHの学費を払っていない(予防医学研修プログラムの一環として取得したため、学費もプログラムから支払われていました)ため、正確なアドバイスはしづらいですが、アメリカのMPHは一般的に一年のプログラムで、学費は400-500万円程度かかります。それに渡航費と一年分の生活費(これはご家族がいるかどうか、どこのMPHを受けるかどうかによって大きく変わります)を足した額が必要になると思われます。単身渡米し、かつ中程度の生活費がかかる都市に住む場合は、やはり学費も合わせて1千万近い出費を覚悟するべきではないでしょうか。大学院にはキャリアカウンセリングは必ずいるはずですよ。

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