前回、写真の誤掲載はある一定の確率で必ず起こることを説明しました。それでは、どうしたらその確率を減らすことができるのでしょうか?(確率をゼロにするわけではない、というところにご注意ください。)いくつか思いつく方法を挙げてみたいと思います。
一つ目は、チェック回数を増やすことです。人が間違える確率が1/100なら、もう一人チェックをする人を増やせば、ミスが起こる確率は1/100に減ります。医療において、手術室でのガーゼカウントがこの方式を採用しています。手術中に使ったガーゼが体内に残ると一大事ですから、手術前後で必ずガーゼの枚数が一致しているかを確認します。一人の確認では間違える可能性が高いので、ガーゼカウントは必ず最低二人が独立して二回ずつ行うなど、チェックの回数を増やすことでミスにつながる確率を減らす努力をしています。写真掲載の正確さを最低二人以上で「独立して」確認するようにする、正確さをダブルチェックする行程を編集システムに組み込む、などが具体的に考えられます。この方法の欠点は、チェック回数を増やせば増やすほどコストがかかることです。一つのミスを減らすためにいくらコストをかけるべきなのか、という視点が必要になってきます。
二つ目は、プロトコールの作成です。写真の取得の仕方、確認の取り方、ダブルチェックの仕方、といった行程を標準化し、全ての写真が掲載まで同じ行程をたどるような仕組みを作り上げます。医療の世界において、この方式はよく採用されます。市中肺炎、通常分娩、大腿骨頭置換手術後など、頻度が高くかつ臨床的経過を予想しやすい疾患に関して、入院直後に何をして、二日目に何をして、何日目に退院、などと治療プロトコールを定めることがあります。また、注射薬の投与や輸血の実施においては、ほとんどの場合施設ごとにプロトコールが定められています。写真の掲載についても、例えば「親戚二人に正確性を確認し、その名前、本人との関係性、日付を記載する。もし確認が取れなかった場合はその旨を記載し、手順2に進む。」などと、手順を明確化することが考えられます。この方法の欠点は、手順を守ろうとすると時間がかかることです。それまで必要なときには現場のとっさの判断で決められていたことが、手順を遵守することで余計な時間がかかります。
三つ目は、写真掲載プロセスにおける価値観の変遷です。上二つの方法は、現状の写真掲載プロセスをどう安全にするかに主眼をおいています。しかし、どちらにもコストや時間といった欠点があり、メディアの現状を鑑みると現実的な回答ではないかもしれません。そういった場合、もう少し視点を引いて、「ではなぜ安全な仕組みを作り上げることができないのか?」「その背景にある構造的な問題は何か?」を考えることが必要になってきます。例えば、プロトコールの遵守は時間がかかるので現場のスピード感に合わない、としてみます。なぜ現場のスピード感に合わないのでしょうか?そもそもなぜ現場にスピード感が必要なのでしょうか?事実をできるだけ早く消費者に伝えるためでしょうか?消費者は本当にスピード感を求めているのでしょうか?安全性や正確性を多少犠牲にしても、数時間や数日早く記事を掲載することに、消費者は価値をおいているのでしょうか?
なぜ安全性を高めることができないのか?を突き詰めていくと、古くから存在するメディアの体質や価値観が背景にあるような気がします。これは医療の世界にも同様に当てはまることですが、メディアと医療には、時間の価値において根本的な違いがあるように思えます。医療では適切な介入のタイミングを逸すると、人の命が失われることがあります。待つという選択肢は、もちろん有益なこともありますが、緊急性が高い場合には有害であることが多いです。この構造は航空業界と医療業界の違いとも似ています。パイロットは天候が悪ければ離陸を取り止めることができますが、外科医は盲腸破裂の緊急手術において、手術室の空調の調子が悪くても手術を取り止めるわけにはいきません。同様に、写真の掲載が遅れること、さらには写真が掲載されないことにより、どれだけの価値が失われるのでしょうか?掲題の質問に対する答えは、どうやらその辺りにありそうです。