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川名正隆

ブログについて

私の受けたアメリカの医学教育の話、スタンフォードでの内科レジデント生活、 Physician Scientistを育成するシステム、シリコンバレーの学際的環境について、といった内容で情報発信できればと思っております。

川名正隆

東京に生まれ育つ。小学校卒業後1年半をテネシー州で過ごす。東京大学教養学部を卒業後再渡米し、ブラウン大学医学部を卒業。現在スタンフォード大学病院で内科レジデント、2012年より同大学循環器内科フェロー。心筋症・心不全などの心筋収縮異常の病態メカニズムに興味あり。基礎研究と臨床のバランスの取れたキャリアを模索中。

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「なんでアメリカで医学部に行こうと思ったのですか」 公私を問わずよく聞かれる質問であり、場に応じた答えを用意しています。それは「医師育成システム」や「研究環境」であったりするわけですが、それらについては今後のブログで詳しく取り上げたいと思います。今回は、この質問に対する「個人的な理由」を初投稿記事にします。

私は小学校を卒業直後に父の研究留学でアメリカ南部・テネシー州ナッシュビル市で1年4ヶ月ほどを過ごす機会がありました。英語はさっぱりわからないまま現地校に入り、毎日分厚い教科書を何ページも読む宿題が課され、一語一語辞書で片っ端から調べながら毎晩遅くまで課題に追われていました。始めのうちは、数学以外は他の子供達と授業についていくのはほぼ無理に等しかったのですが、幸いにも先生達は「Taka(私の呼び名)がどれだけ頑張ったか」ということを常に評価してくれ、いつも励ましてくれました。それもあって、私は腐らずに単語を辞書で調べ続けました。数ヶ月経ったある晩、いつも通り一語ずつ教科書を読んでいたら、不思議と一つ一つの単語がつながりだし、それが文になっていくことに気づきました。すると教科書や授業の内容が解り始め、友達も増え、次第に学校が楽しくなっていきました。最初にアメリカに来たころにはすぐにでも日本に帰りたかったのが、1年が終わるころにはもっと長く住んでいたいなと思うようになっていました。辛抱強く、温かく見守ってくれていた先生達に恵まれたおかげで、私は大きな自信をつけ、人間的に大きな成長した瞬間でした。

帰国して中学・高校と過ごしながら一番好きな科目は生物でした。これはナッシュビルのミドルスクールでのLife Scienceのクラスで扱った、細胞やDNAといった分子生物学のさわりの部分に興味を持ったのがきっかけです。大学に入ってからも分子生物学・細胞生物学を勉強し、将来は基礎研究者になりたいと思いながら過ごしていたのですが、ある医療ボランティアを通じて自分は医学に興味があることを確認しました。一方で、洋書の教科書を読む勉強会やアメリカ帰りの研究者の話を通じ、自分の中で「またアメリカに行きたい」という気持ちも大きくなっていました。自分を大きくしてくれたあの大地にもう一度行きたい、アメリカの教育機関で学び、研究がしたいと。

そんな時に赤津晴子先生の「アメリカの医学教育」という本に出会い、自分の進路は固まりました。私は日本で医学部の教育を受けていないため日本の医学教育との比較はできませんでしたが、赤津先生の書かれたブラウンでの医学教育は非常に明快で、様々な趣向がこらされている、とても魅力的なものでした。そして何よりも「日本人がアメリカで医学を学ぶ」という、まさに私が当時描いていた夢の両方を実現した方がいるというのは非常に心強かったのでした。自分もアメリカの医学部で学ぼう、と早速情報収集を開始し、私の進路にとても理解のある指導教官の元で卒業研究をしながら準備をしました。情報を収集するにつれ、実は赤津先生の他に同様の例が見当たらなかったり、アメリカのメディカルスクールの多くは外国籍の学生には門を閉ざしていたり、アメリカの大学で教育を受ける義務があったりと、道は遥かに険しいということを知ったのですが(そして実際険しかった・・・この辺りの話はまた後日。)、当時20歳の自分には「前例があるかぎり何とかなるだろう」「駄目でもまたやり直せばよい、自分はまだ若いのだし」といったoptimismを突き通したのでした。

(長くなったので二つに分けます。)

4件のコメント

  1. >「毎日分厚い教科書を何ページも読む宿題が課され、一語一語辞書で片っ端から調べながら毎晩遅くまで課題に追われていました。」
    すごいですね。僕が同じような環境に置かれたらそこまで頑張れたかどうか…それを認めてくれた環境もさることながら、川名さんの努力がすごいです。僕の最近の努力っぷりといったら…

    >「数ヶ月経ったある晩、いつも通り一語ずつ教科書を読んでいたら、不思議と一つ一つの単語がつながりだし、それが文になっていくことに気づきました。」
    この感覚って、きっと「身震いするくらいの気持ちよさ」なのではないでしょうか?一つの成功体験の形ですよね。こういう経験ってとても大事なのだろうと、子どもを持つ身になってますます実感します。

  2. 反田先生、コメントありがとうございます。
    今から考えると最悪の英語勉強法ですが、塵も積もればという感じですかね。年齢的にも言語習得に適したギリギリのタイミングだったと思います。あの頃の自分に比べたら、今の自分はどうでしょうねぇ…
    自分の体験をさらに伸ばしてくれたのがまさに学校の先生だったので、やはり教育環境ってとても大事だと感じた次第です。

  3. いい話ですね!

    これこそ、第2外国語を学ばせたいなら、英語を小さい頃から学ばせることより、厳しい環境でもコツコツと努力を続ける根性を学ばせることが大切だといういい例ですね。きっとそういう基礎体力を小学校の間に身につけた初期教育のたまものでしょうね!

    小さい頃に受動的に触れた英語は日本語環境で成人すれば忘れてしまいますが、小さい頃に身につけた根性と学習法は一生ものですからね。

  4. 浅井さん
    たしかに初期教育でコツコツ努力することを教え、それを適切に評価することは重要ですね。ちゃんとコツコツできる人は、それこそ大人になってから第2外国語やっても身に尽くでしょうし。
    大人になればなるほど根性を叩き直すのが難しいのは、生活習慣病の治療における問題に通ずる部分がありますね。

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