最初にアメリカを目指したきっかけは医学生時代の春休みに訪れた日本の病院でアメリカ人医師による回診に参加したことでした。とても刺激的な回診でこんな教育環境で学べたらと漠然と憧れました。気持ちが薄れる前にとFirst Aid(アメリカで医師をするための試験用の本)を勢いで買ったのを覚えています。その後在学中に継続的にその本が読まれることはなかったのですが。。。
初期研修が始まると自分自身が臨床を本格的に勉強し始めたということもあり医学教育というものに再び自然と興味が湧いてきました。当時は初期研修が義務化されて2年目だったということ、また研修場所が臨床研修の議論が活発だった沖縄だったというのも大きく影響していたと思います。研修中、沖縄を訪問されたアメリカ人医師の教育回診に参加したり、「アメリカの医学教育」の著者、赤津晴子先生が当時おられたピッツバーグ大を訪れる機会等もあり、本当に恵まれた環境で研修させていただいたと思っています。群星沖縄センター長、宮城征四郎先生の日本に本当の意味で貢献できるいい臨床家/いい医療人を目指してほしい、という熱い言葉が心に残っています。
そんな自由な雰囲気の研修環境も手伝って(?)、初期研修を終える頃大きく二つの進路で迷っていました – アメリカ vs アフリカ – 。右手にECFMGの証書(アメリカで臨床研修するための証明書)、左手にJICAからの青年海外協力隊の合格通知。「メ」と「フ」の違いは響き以上に大きく1つ選ぶのは簡単ではないですが、欲張りに両方行くと決めたらあっさり答えは出ました。まずはアフリカ、その後アメリカで医師として勉強し直そうと。もし先にアメリカで医師としての専門性を高めたとしたら左手にあった選択肢はその後選ぶことはないだろうと考えました。そもそもアフリカを考えた理由に関しては今後改めて書こうと思います。
ということで、自分自身で決めた約束通り、幸い今年度からアメリカで臨床を始めることができました。ただ、日本の医学部卒後7年目でこちらでの臨床研修を始めた今は、アメリカの医学教育/教育環境への興味が主だった医学生や初期研修医の頃とは思いがだいぶ違うように感じます。国際保健(つかみどころのない言葉で申し訳ないですが)に興味があるなか、アメリカの多様性のなかで、いろいろな患者を診ること、またいろんな背景(特に外国人は本当にいろいろな歩みで研修医になった人ばかりでキャラも強いです(苦笑))を持つ人々と一緒に仕事をすることは自分自身の引き出しを増やしてくれる、将来どんな仕事をするにしろプラスになると信じています。
一方で、お世話になった人々にいつかきちんと恩返ししたい、という意味では今アメリカにいるという事実は複雑です。特に震災時、遠く離れたアメリカ東海岸からニュースを追うしかなかった経験は自分自身の日本との関係性をより考えるきっかけになりました。お恥ずかしい話しですが、「国際」保健をその頃勉強しておきながら、いろいろなレベルで(私個人として)海外から日本のお手伝いをすることの難しさを今更ながら痛感しました。臨床に限って言えば、臨床医というものが目の前の患者を相手にする仕事である以上、アメリカで臨床に関わることはどこまで日本に貢献していることになるのか。アメリカを自分が勉強する場だけとしてとらえていいのか。少なくとも自分自身の興味を追っていったあげく行き着いたアメリカで家族含めいろいろな方に迷惑をかけながらその機会をもらっている以上、中途半端にここにいてはいけないなとは思います。