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ブログについて

アメリカに住み始めて既に20年以上が経ちました。気がついてみたら、アメリカで生まれた4人の子供たちはすっかりアメリカ人として成長し、今年の秋には3人目が大学に入学します。今は、「日本」のことが恋しくてたまりません。趣味:テニス、サッカー、ジム、音楽鑑賞、読書(歴史物、特に日本の近・現代史)。尊敬する人:坂本龍馬。

津田 武

信州大学卒業。フィラデルフィア小児病院にて小児科レジデント、循環器フェロー修了。その後基礎研究に従事。2004年よりAlfred I. duPont Hospital for ChildrenにてStaff Cardiologist とし、臨床と基礎研究に専念。米国財団野口医学研究所常務理事(医学教育担当)。

津田 武のブログ
2012/01/09

はじめに

「6年で研修は終わるから」と言って、新婚半年の妻を連れてフィラデルフィアにやって来たのが1989年の5月。最初の一年間は、野口医学研究所のサポートでフィラデルフィア小児病院(CHOP)の浅倉教授の研究室で研究をしながら、同財団の医学交流プログラムの立ち上げに携わりつつレジデントのポジションを探した。翌年、小児科のレジデントの1年目をペンシルバニア州中部のHersheyにあるPenn State Children’s Hospitalで始め、2年目以降は幸運にもCHOPに編入することができた。小児科研修終了後は、引き続き同病院でPediatric Cardiologyのフェロー研修を行った。CHOPのフェロー時代の3年間には、教科書に載っているような先天性心疾患の症例は殆ど経験したが、と同時に症例・経験の蓄積だけでは、何ら本質的な問題解決になっていないことを痛感した。何か大切なものが足りない、それが臨床におけるScienceであることに気づいた。ところが、自分はScienceに関しては、全くの初心者であった。

研修中は、勿論困難にはいくつも遭遇した。1996年フェローを修了しBoardに合格したものの、当時専門医のポジションは非常に少なかった。Managed Careの台頭により、専門医の数が極めて制限されていた時代だった。それでも、アメリカに残ろうと決意した最大の理由は、フェロー時代に始めた基礎研究への執着であった。今、基礎研究から離れると、もう一生ここに戻るとはないと直感した。日本にいた頃は、基礎研究には全く興味が無かったのに(むしろ避けていた)、憧れのアメリカでの臨床研修を終えた後にようやくその重要さに気づいたのだから、何とも不思議なものである。以降結局ボスドクをCHOPで2年間、トーマス・ジェファーソン大学で更に6年続けた後、2004年よりようやく現在の小児病院にて小さいながら自分の研究室を運営するに至った。まだまだこれからが大変だが、大切なことは、努力を継続することだと思う。自分の将来が明るいのか明るくないのかは分からないが、確実に言えることは自分が「今を生きること」を楽しんでいるということである。この間、アメリカで4人の子どもが生まれ、今年の秋には3人目が大学に入学する。22年という年月は、私たち家族にとっても非常に大きな意味を持っている。妻の理解と協力なしではここまでこれなかったと思う。

目指してきたその折々の「ゴール」は、到達した瞬間にまた新たな「スタートライン」になり、そして次のゴールが前方に立ちはだかってくる。万事この繰り返しである。「いったい自分はどこまで行けば良いのか?」、この「戸惑い」と「興奮」の混じりあった感覚こそ、20年以上も前からずっと持ち続けている基本的な心情なのである。なぜ自分がアメリカにいるのか?と聞かれれば、「今でも自分の成長が実感できるから」と答えるだろう。自己の成長を感じられる限り、その過程がどんなに苦しくても心は高揚する。そして自分がいつまでも「若々しい挑戦者」でることを知る。自分が現在どのポジションにいるのかは、あくまで払った努力のプロセスの結果に過ぎない。アメリカの医学界には、そういった努力の継続を尊重する文化があり、私も実に多くの人たちにサポートされてきた結果今の自分がある。だから、多少なりとも若いひとのサポートをしたいと思い、野口医学研究所の医学教育担当の常務理事として日本でのセミナー活動等を推進している。

もうひとつ皆様に知ってもらいたいことは、このアメリカの医学界で私はあくまで「日本人の医師」として生きているということである。このアメリカで、自分が「日本人」であること、即ち日本人としての「美徳」と「規範」を大切にしていることを「誇り」としている。変な話だが、日本人として誇り・Identityを感じることができるからこそアメリカにいるのである。これに関しては、自分を今まで育ててくれた両親、指導して戴いた諸先生方にいくら感謝してもし足りないくらいである。だから日本のことが堪らなく好きである。こども達も同じように思ってくれるのは、更に嬉しいことである。

そんな感じで、このプログでは、アメリカに生きる一日本人医師として、日本とアメリカの医学界、社会一般、生活、文化の違いと共通点などを取りとめもなく気ままに述べていきたいと思う。

16件のコメント

  1. 藤林 保 より:

    すごく頑張られてのですね。すごいです。「日本人の誇り」もいいですね。日本人としてアメリカを見つめて教えてください。私たちの生き方の指針にしたいです。

    • 津田 武 より:

      コメントありがとう。100年以上前に、新渡戸稲造先生が、”武士道”という著作を出していますが、自分も同じような気持ちを共有したのじゃないか、と勝手に考えています。時間があったら一度読んでみて下さい、

  2. tomo より:

    先生がアメリカで医師をする意義・意味がわかった気がします。日本にいないからこそ日本人の心、誇りが一層大事になるんですね。これからも先生のエッセイ楽しみにしています!

    • 津田 武 より:

      フィードバックありがとうございます。数ある民族の中で、自分が何故日本人として生まれてきたのか、また何故戦争中ではなく今の時代に生まれてきたのかを考えると、感謝で一杯になります。それぞれの民族がそれぞれの誇りとidentityを持っており、それらを尊重しそこからお互い学びあうことが大切だと思います。

  3. 佐々木 潤 より:

    大先輩のお話、心に響くものがあります。これから10年、20年先もアメリカで働くことが目標ですが、日本人である自負を忘れずにいきたいです。

    • 津田 武 より:

      佐々木先生、ご連絡ありがとうございます。「大先輩」と言われると恐縮しますが、実際自分はそんな年なんですね。アメリカで生活しているのは、もしかして「龍宮城」生活しているようなものであり、いつかどっと年を取ってしまうのではないかと多少心配になります。まあ、若い人たちの仲間に入って、せめて若々しくしていますので、宜しくお願い申し上げます。

  4. 張成浩 より:

    津田先生のブログは、非常に勉強になります。今は、日本の職場も、急にグローバル化が進むようになりました。今までのmindでは、通用しなくなりつつあると思っています。

    • 津田 武 より:

      張先生、コメントありがとうございます。私は、卒業してから医局に5年間所属して、その「排他性」「閉塞感」がたまらず、アメリカに出ました(今から考えば、懐かしく思うことも随分あります)。当時その事を父に話したら、日本の大学の講座制は、医学部以外でも戦前から大なり小なりそういう体質だったということでした。医学部に関して言えば、主任教授に地域医療の医師の任免権が全て集中していたことに問題があったのでしょう。今後日本の医学界がより魅力のある環境に変わることを祈っています。今は、大切な「変革」の時期なのかも知れません。ただ、日本の医局制度の全てが悪かったわけではありません。私が、新米の研修医として医師としの基本、規範を学んだところですので、それなりに評価しています。

      • 張 成浩 より:

        「今から思うと、懐かしく思うことがある」のコメントに少し驚きました。日本にいると日本のいい部分が、わからなくなってくることがあります。津田先生からのお話は、自分の気づかなかったことを、改めて認識させてくれます。返信ありがとうございました。

  5. 下村徳雄 より:

    なんだか時の経過は早いなと感じます。日野原先生のところへご一緒したのがつい昨日のことのように思い出されます。

    • 津田 武 より:

      下村さん、コメントありがとうございます。ジャミックジャーナル時代から、いろいろ記事を取り扱って戴きありがとうございます。あれは、私がレジデントを始めたときですから、1990年頃だと思います。あの頃はアメリカ臨床留学する人の数も少なく、まさに隔世の感があります。私がアメリカに行っている間に時代が動き始めたのでしょうね。アメリカの医学界でも、Managed Careの台頭とその盛衰など、いろいろありました。結局、アメリカ人は健康に関しても、他人に管理されるのは嫌だ、ということで、今も国民皆保険制度導入云々に関して議論されていますが、結局は変わらないような気がします。あんなに苦労したのに、なぜ時間が早く感じられるのでしょうかね?

  6. 浅井 章博 より:

    2003年にフィラデルフィアでお会いしてからもうすぐ9年になろうとしています。まだ学生だった自分に、”海外に出る前に日本人としての魂の拠り所を固めてこい”とおっしゃったのを、今でも鮮明に憶えています。われわれ21世紀渡米の世代は、津田先生たちのようなロールモデルを持てたことが最大の幸福だと思っています。時代が勝手に動いたのではなく、津田先生達が道しるべをたてたルートに次の世代が続いているのだと思います。

    • 津田 武 より:

      浅井先生 
      コメントありがとうございます。9年前にはそんなことを言っていたんでしょうか?少し照れくさいですね。最近偶然、1998年の週間医学界新聞書に投稿した記事「米国臨床留学のすすめ」をインターネットで見つけました(http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2273dir/n2273_15.htm)。自分が40前には、こんなことを言っていたのですね。最近若い人たちが積極的に果敢に海外研修に挑んでいるのを見るのをとても心強く思います。なんとか、日本に医療、医学界に新しい風が吹き込めれば、と願っています。

  7. 松本 菜々 より:

    なんだかお医者さんの世界はたくさんハイレベルのサポートがあっていつも(いい意味で)羨ましく思います。職業が違っても閉鎖的、排他的、栄養士でも日本にいた頃思ったことは同じです。それでもラッキーな私はいつも分岐点ですばらしいドクター達との巡り合いがありました。戸田先生もその中の一人です。覚えていらっしゃらないかもしれませんがもう15年くらい前になります。フィラデルフィラで野口、亀田を通して1か月お世話になりました。土曜日だけ野口で日本人の方に栄養指導もさせて頂きました。人生の中で初めて Refeeding Syndrome を教えて頂きました。ホントにひどかった私の英語にも「思ったより語思ったよりできるね」と言って頂いてちょっと安心したのも覚えています。次回からののブログも楽しみにしています!

    • 津田 武 より:

      あの菜々さんでしたか!良く覚えています。あの頃はまだ卒業したてでしたよね。あれからもうそんなになるんですね(本当の感嘆符!)あの頃は、フィラデルフィアにあった野口の人間ドックを手伝っていました。面白いもので、大人の患者を診ることで、子どもの健康とは何か、人間の一生における小児期(思春期も含めて)とは何かという視点で考えさせられ、良い勉強をしたと思っています。松本さん、是非ともこれから頑張って、アメリカの病院食の改革(改善)をお願いします。うちの病院のカフェテリアで月に一度くらい、怪しげな巻き寿司が出されますが、いつも行列ができるほど人気があります。もしかして、「食」を持ってアメリカ征服ができるかも。アメリカの栄養士に、日本食の作り方を取り入れた栄養学のテキストを作ってあげれば、大変喜ばれると思います。

      • 松本 菜々 より:

        覚えて頂いていて光栄です!何度も書き直していたりして誤字があってすみません。よくあの研修のシーンを思います。あの頃は自分がこうしてアメリカの栄養士として働くなんて夢の夢でしたが現実になりました。
        ーー 日本食はほんとに繊細ですよね。ハワイにはたくさんの日本人がいて日本食があるのに同僚の栄養士さんに「日本食はなにも味がないわね。」といわれてしまいました。たぶん味らいが違うのか少ないのか、香辛料を使わない日本食の味の深さを味わえる人が外国にはすくないですよね。返信ありがとうございました!

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