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ブログについて

大阪出身の妻と2児の子育て奮闘中。子育ては最高の小児科学の教科書です。モットーは“think globally, act locally, and love your family”。小児神経発達学・医学教育を世界で学び、グローバルな視野を持つ後進を育成することが夢です。

桑原 功光

北海道出身。2001年旭川医科大学卒業。1年間の放射線科勤務の後に岸和田徳洲会病院で初期研修。都立清瀬小児病院、長野県立こども病院新生児科、在沖縄米国海軍病院、都立小児総合医療センターER/PICUと国内各地で研鑽。岸和田徳洲会病院小児科を経て、2012年度からハワイ大学小児科レジデント。2015年7月よりテネシー州メンフィスで小児神経フェロー開始。

桑原 功光のブログ
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2014/07/25

小児科レジデント3年目を迎えて 前編

この7月にハワイ大学 小児科レジデントの3年目に無事に昇進した。繁忙な日々を過ごす中、異国の地でふと考えた。1995年春の医学部入学から早20年近く経とうとしているんだな、と。1年間の浪人時代は札幌で寮生活だった。その後に旭川でひとり暮らしを始めた私にとって、大学生活で経験したこと全てが新鮮であった。多感であった10代から20代への移り変わりを経て、いろんな人生経験を積んだ大学生活であった。あの時には将来の医師像なんて思いもつかなく、ただただ毎日に追われていた。あっという間の6年間だった。こうしてアメリカで医師をしているなんて、思いもしなかった。よく質問されることに「アメリカと日本の医学生の違い」がある。アメリカの医学生は本当によく勉強する。いろんな理由があるが、大きな因子として、評価がその後の進路に大きく影響するという点がある。日本では好きな科へ進むための競争が、事実上ないに等しい。2004年度の新臨床研修制度前までは、卒業後に自分のなりたい科ですぐ研修できた。私も放射線科医から医師生活をスタートした。アメリカでは放射線科は人気も給与も高く、ライフスタイルもよいため、大学時代にトップレベルの成績を残さないとまずなることができない。おかげで、沖縄海軍病院に勤務していた際に、とある指導医から「放射線科医を辞めて、小児科医になったって? レジデント中にどんなヘマをやったんだ?」と言われたことがある。アメリカでは人気の高い放射線科を辞めて、他に異動するなんて考えられないのだろう。日本では、臨床研修制度が開始した2004年後も、2年間の研修医生活後に志望科を自由に選択できる。これは日米での受診システムや保険制度、教育背景が根本的に異なるため、一概に優劣を比べることができない。ただ、日本では各専門科の必要数や保険点数が、政府もしくは学会で十分検討されていないことが、適切な医療を享受できない医療難民や救急制度の不備に寄与していることは否定できないことだろう。

私が医学生となった約20年前は、こうした国家間医療制度や教育の違いについて、情報はとても乏しかった。しかし、インターネットも広がり、世界がますます狭くなり、この「あめいろぐ」をご覧になってもわかるように、今や多くの日本人医師が臨床留学をしている。臨床留学した医師は未だ少数派とはいえ、もの珍しくはなくなって来た。その中で、いつか帰国した際にどのように自分と他者を差別化して、さらに自分にしかできないことを追求するか、その「アウトカム(成果)」を追求することが、今後の自分の大きな課題である。

昨年、ボルチモアにあるJohns Hopkins Universityに見学をしに行く機会があった。医学、国際関係分野で世界トップクラスの評価を受けている大学である。そこで、あるフェローシップのプログラムディレクターと会話した。「いつか日本に帰国して、医学教育とこどもたちの脳神経分野の医療に貢献したい」と述べると、『君は日本のどこに帰国するつもりなのかい? 大学もしくは研修病院? その地域のこどもたちの数は? 後進を育てるのに何年かかる? 君のチームでどれだけの人口規模をカバーできる?』と具体的な将来像を求められた。まったく臨床の質問はされなかった。この時点で、米国の一流のフェローシップは臨床教育やリサーチに加えて、具体的な展望をもった次世代のリーダーの育成を使命としていることを、恥ずかしいほど痛感した。まさに “think globally, act locally”である。夢や使命感を語るのは簡単だが、ちゃんちゃら甘ちゃんだったことを痛感させられた。夢を現実に変えるためには、具体的な展望が必要だ。「この地域で、これだけの患者を、この期間に、これだけの仲間と、どういう風に治療して、何年後に結果をこうしたデータで判断する」。臨床留学をして良かった点は、臨床経験そのものに加えて、さまざまな価値観をもつ人々と意見を交換する機会に恵まれたことと、長期的かつ全体的な視野のもとに駒を進めていく大局観をもった人々に出会ったことである。ハワイの2年間の生活で、成果を出すためには、非常に変化の激しい現代において、けっして揺るがない信念を持つことが大事ということも再認識した。

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