この7月、ハワイ大学小児科に待望の日本人が1人マッチした。これで私を含めて日本人は計2名となった。彼は英語が流暢であるのに加えて、優秀かつ勤勉で人柄もよく、彼がマッチして本当に嬉しい。私と同じように、家庭がある方なので、家族で交流できるのもありがたい。同じハワイ大学のプログラムでも、内科は日本人が毎年数人マッチしているのだが、小児科はもともと各学年が8人前後と少なく、その狭い枠に毎年日本人がマッチできる訳ではない。ハワイ自体は日本人には優しい土地だが、そのハワイのプログラムですら、年々、臨床留学が厳しくなっていることを肌で実感している。彼のおかげで私がラストサムライにならずに済み、ホッとしている。
ハワイに来た時は幼かった我が息子たちも、まもなく6歳と4歳になる。こどもたちの成長は本当に早く、勇気と活力を与えてくれる。こうしたこどもたちに日々触れあうことができる小児科医は、私にとって「人生をかける天職」である。長年の夢であった臨床留学も果たし、レジデント生活もあと1年を残すのみとなった。しかし、臨床留学そのものは手段であって目的ではない。次のステップとして、日本に帰る前に専門知識と臨床経験をさらに深めるため、レジデント修了後に3年間の小児神経フェローシップに行くことを決めた。ここハワイ大学小児科は、小児神経フェローシップがないため、レジデント修了後は家族ともにアメリカ本土に渡る必要がある。アメリカ人の候補者に競り勝ち、希望施設に入るためにはレジデントマッチ同様、入念な準備が必要となる。今、その応募準備に追われている。
自分がこどもだった頃には、外国で生活をするなんてとても考えたことがなかった。きっと私の親も自分の子が海外で仕事するなんて、思いもしなかっただろう。レジデント生活は精神的にも体力的にも金銭的にもたいへんであり(それにつきあう家内もたいへんであり)、今年マッチした日本人レジデントとそのご家族と、日々励まし合いながらあらたな年度を過ごしている。救いとしては、ハワイ小児科の現在のレジデントたちの関係がとても良好で、レジデント間のストレスがあまりないことだ。「同じ釜の飯を食う」という仲間意識は、米国においても一緒である。面白いことに、もともと会社や仲間を意味する”company”は、ラテン語で”cum(と共に) + panis(パン)”、つまり、パンを一緒に食べながら、いう意味に起因する。この仲間意識を表す言葉に同じ”食事”が使われているのが興味深い。
同様に、国籍や文化が違えど、患児と看病する親の不安な思いも一緒である。レジデントはあくまで研修医なので、日本同様に雑役もないわけではない。仕事でストレスを感じ、行き詰まったときにいつも自分に言い聞かせることは「患児にとって益になることを優先する」という基本原則である。真摯に患児とその家族に向き合うだけである。
「子の寝顔 そっと見つめる かつての子」
君たちの見ている夢は、かつて私たちも見た夢だ。その夢を守ってあげよう。祈りを誓いにかえて、あと1年間、カピオラニ小児病院に向かう。
桑原先生
はじめまして、ブログを以前より拝見しておりました。家族とのご苦労 お察しいたします。実を云いますと私は、佐藤雅文の父です。何時もお世話様です。
私は 現在 年金ぐらしの73歳です。1992年の海外視察きっかけで息子に(1995年から)米国医学部留学 過酷な試練突入させてしまいました。今だから販売されている(米国医学部留学書)は、ありませんでした。ので、GWU卒業しても全米の統一試験成績・GWUの成績受験動機の論文と面接があり(また外国人留学生受験できないetc・・)、合格しないと米国医学大学院に入学できない問題等々勉強をしました。
ところで、先生のお父上は、お幾つですか?お節介やきですか?楽しい人生をおくていますか? たまには電話を掛けてください喜びますよ
つい 頑張っていたころの息子を思い出し描きました。あしからづ
さとう こういちろう
*小児科の神経内科は大変ですね。頑張ってください。
佐藤紘一郎様
コメントありがとうございました。こちらこそいつも佐藤雅文先生にはお世話になっております。
あと8ヶ月ほどでレジデント生活も終わりです。家族とともに残りのレジデント生活がんばります。
桑原功光 拝