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ラプレツィオーサ伸子

ブログについて

超高齢化に少子化。看取りはこれからの日本にとって大きな課題です。アメリカでの訪問看護、在宅ホスピスナースとしての経験を少しでも役に立たせたいと思い、一人で“ホスピス啓蒙活動”(略してスピ活)をしています。あめいろぐを通じてより多くの人にホスピスや緩和ケアについて興味を持って頂き、スピ活を広げていきたいです。

ラプレツィオーサ伸子

千葉県出身。東京大学医学部付属看護学校、北海道立衛生学院保健婦科卒業。神奈川県の大学病院で整形外科、神経内科病棟勤務後、米国留学、癌専門看護において看護修士取得。RN。1998年より現ジェファーソンヘルス・ホームケア・ホスピスにて在宅ホスピス及び緩和ケアに従事。CHPN(Certified Hospice and Palliative Nurse:ホスピス緩和ケア認定看護師)、CHPPN(Certified Hospice and Palliative Pediatric Nurse:小児ホスピス緩和ケア認定看護師)。2019年に「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」を出版。

ラプレツィオーサ伸子のブログ

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2019年6月2日にNHKで『彼女は安楽死を選んだ』というドキュメンタリーが放映されました。賛否両論はあったものの、どちらかと言うと肯定的に受け取った人が多かったそうです。ドキュメンタリーを観て、また、様々な感想や意見を読んで、日本におけるエンドオブライフケアの普及と、安楽死、尊厳死、平穏死、自然死などの言葉の正確な理解が、なかなか浸透していないのだな、と実感しました。実際、”彼女”が選んだのは安楽死と言っても、「医師による自殺ほう助」でした。

このドキュメンタリーは、治癒の可能性のない重度の進行性神経難病と診断された50代の日本人女性が、自殺未遂を繰り返した後、自分らしさを保ったまま死にたい、と、外国人も受け入れているスイスの安楽死団体に登録し、家族に見守られて自ら致死薬の点滴のクランプを開けて亡くなるまでの、本人と家族の葛藤、そして決断を追ったものです。ドキュメンタリーは同時に、その女性と同じ疾患でほぼ同世代でありながら、対照的な選択をした、つまり、全身の機能を失いながらも、与えられた命が尽きるまで生きようとする別の女性も紹介していました。

インターネットで「安楽死」の定義を調べると、一般的な広義として「助かる見込みのない病人を本人の希望に従って苦痛のない方法で人為的に死に至らすこと」と書かれているものが多いです。そして、その下に「積極的安楽死」「消極的安楽死」が出てきて、「消極的安楽死」を表現する別の言葉として「尊厳死」が出てくる一方、「尊厳死」は「自然死」であり「消極的安楽死」と同様ではない、と説明しているものもあります。かと思うと、「積極的安楽死」であるはずの「医師による自殺ほう助」を、本人の意思と尊厳を尊重した「尊厳死」であると書いているものもあります。こうなるともう、ネット情報依存の現代人は、安楽死も尊厳死も一緒くたになってしまい、さらに追い打ちをかけるように、著名人がメディアで安楽死と尊厳死を混同した意見を発信したりすると、あっという間にSNSなどを通して誤解に基づいた情報が広まってしまうのです。

「積極的安楽死」が、”何かをすること”によって「安楽死」の定義を満たすことに対し、「消極的安楽死」は、”何かをしないこと”によって「安楽死」の定義を満たします。この”何かをしない”と言う事には、予防、救命、回復、維持のための治療を開始しない、あるいは中止する、などが含まれます。そして、私たちが日々行っている”ホスピスケア”は、この「消極的安楽死」のカテゴリーに入れられてしまうのです。となると、私たちホスピスケアを行っている医療者は、消極的安楽死の手助けをしていることになるのでしょうか?

しかし、ホスピスケアは”人為的に死に至らす”行為ではありません。ホスピスケアは、身体的、精神的、社会的、そしてスピリチュアルな面において、その人が苦痛なく自然な死を迎えられるよう、症状緩和のための積極的な治療とケアを行います。効果を期待できない、また、副作用などにより不必要な苦痛が予想される積極的治療を行わないこと、あるいは本人が積極的治療を行わないことによる結果を正確に理解したうえで、治療を受けない事は、”人為的に死に至らす”行為ではないのです。過剰な治療を続行することによって命を縮めている患者さんはたくさんいます。実際、ホスピスケアを早めに受けた人の方が、余命が長くなっているという報告もあります。また、亡くなるまでの最後の数週間のQOL(Quality Of Life:生活の質)を、ホスピスケアを受けた人とそうでない人で比較したところ、当然ではありますが、ホスピスケアを受けた人の方が高いという報告もあります。

「安楽死」は、”人為的な死”です。医療が発達し、予防、救命、回復、維持のために何かができるとしたら、その何かを死ぬまでしないと、それは「消極的安楽死」と言われるのでしょうか?私たちは、「消極的安楽死」ではなく、自分が生まれ持った寿命が自然に尽きる時に苦しまないで死ぬ、と言う事は出来ないのでしょうか?

『彼女は安楽死を選んだ』や、最近の血液透析に関する報道とそれに触発されたガイドラインの見直しは、日本人にエンドオブライフケアについて考えさせるきっかけになったのではないかと思います。しかし残念なのは、そこに”ホスピスケア”(日本における癌とAIDSの患者さんのみを対象にした、いわゆる「ホスピス」ではなく)の本来の目的と意味が話題として浮上することなく、「安楽死」や「尊厳死」の合法化賛成、反対、といった流れに世間の関心が偏ってしまったことです。そして、さらに残念なのは、多くの日本人が、「安楽死」と「尊厳死」の意味を正確に理解していないために、的外れな懐疑の念や不安に駆られてしまっていることです。

超高齢化少子多死社会の代表格である日本が、果たしてどのような人生のしまい方、看取り方を目指すのか、世界はひそかに注目しているはずです。日本の政府は在宅での看取りを推進しています。しかし、まずは人生の最終段階、つまり、エンドオブライフにおけるケアの選択肢に関する正しい教育と啓蒙が必要なのではないかと思います。日本人は長生きしたうえ、幸せな死に方ができて羨ましい、と思われるような、看取り先進国を目指してほしいと、切に願います。

 

 

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