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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

今回、休暇を利用して約2年半振りにウガンダに行く機会があったので報告してみようと思います。約2週間、たくさんの出会い/再会の連続でしたがその中でも特に2人、紹介してみようと思います。

ウガンダ滞在2日目、ウガンダの首都カンパラから西に数時間いった田舎町へ向かいました。会いたい人はHIV/AIDS孤児の少年です。最後に会ったのは約3年前、首都の国立病院にて。当時青年海外協力隊員だった私は、彼の地元が任地になった隊員から彼の体調が悪いからと相談を受け、彼の入院先に会いに行った時のことです。細かい話しは省略しますが、その後彼は悪性疾患から奇跡的に回復、次にウガンダに行く時は彼に会おうと前々から決めていました。ウガンダへ発つ直前にようやく義理の母とつながり会う約束をとりつけたのですが、何しろ電波も悪いうえに携帯の充電も困るような地域、さらに運悪く当日朝から土砂降りでどろどろになった砂利道。定員オーバーできつきつの乗り合いタクシーに揺られながら、果たして無事会えるのか心配でした。しかし幸いにも町に着く頃には雨もあがり、携帯で義母につなぐと「あなたの今立っている所の反対側よ」と言われ、道の向かい側には大きく手を振る彼女の姿。そして待望の彼と再会。電気もなく真っ暗な部屋に案内されて待っていると奥からちょこちょこと恥ずかしそうに彼が出てきました。恐らく私の事なんて覚えていないでしょう。前回会った時は彼は3歳くらいです。きょとんとしている彼の一方で、再会でテンションの上がっている私。彼も最初はだいぶ困惑したと思いますが、徐々にヤンチャっぷりを発揮します。妻のカメラを手に取るとあれこれ試しながらあっという間にカメラの撮り方をマスターしてしまったのでした。その後、彼の普段の生活の様子を知りたいからとお願いし、彼に手を引っ張られるように彼の学校へ。道中、白い肌の外国人を連れ、かつカメラを首にぶらさげた彼は町中の注目の的。校門を通りすぎると、窓もない校舎から(寮生もいる様子)たくさんの子ども達が体を乗り出しこちらを見ながらはしゃぎたてます。それでも全く動じない彼。彼の名前をあちこちから呼ばれ、まわりの生徒の相手をしている彼の様子を見ると、「あ、彼もちゃんとこの学校、町の一員なんだな」と当たり前ながら改めて実感します。

ウガンダで働いていた頃、地域やHIV活動団体の将来の目標として“HIV/AIDS free generation”のような言葉を時々聞く事がありましたが、少なくとも今の大人の世代からその次の小さい子ども達の世代へ感染が広がっているのを私は肌身をもって感じていました。 例えば、子どもが泣き出すと 「よしよし」という感じで母性本能たっぷりに私の目も気にせずおっぱいをあげ始める母親 – 本来なら(ウガンダでは)微笑ましいはずのこんな光景をHIVクリニックでも見かけると思いは複雑です。直前のカウンセリングで母乳に関しても指導したはずなのですが、行動変容に至らせるまでしっかり教育して母子ともに彼らを本当の意味でサポートしていく事は本当に難しい事です。私にとって、今回再会した彼は “HIV/AIDS free generation”には残念ながらなれなかった今の若い世代の子ども達を代表するように毎日を生き抜き、社会の中で居場所を見せてくれている唯一無二の少年です。

もう1人紹介します。滞在3日目、「雨が降っているから」を理由で待ち合わせに遅刻してきた私の友人かつ前院長、フランシス。ウガンダ人の土曜の朝のスタートの仕方としては納得な理由です。彼は以前も紹介したのですが、医師として「ジェネラリスト(幅広く診療する医師)になりたい」と言い、「ジェネラリスト」の言葉の定義を考えさせられるきっかけになった人です。私が仕事を始めて数ヶ月で院長を辞めてしまったのですが、現在は首都の国立病院で4年間の整形外科の専門医課程を修了しようというところでした。人工関節置換の勉強目的に韓国にも数ヶ月前まで留学していたとのことです。人工関節置換、脊椎以外は一人立ちできたかな、と語る彼の言葉はたくましく聞こえました。ウガンダの医療レベル、需要を考えたら十分なレベルと思います。彼は目下勉強中の専門医試験を終えたら首都を離れて東部の県病院に勤めることが決まっていました。 整形外科をやってきたということもありますが、彼の今の興味は障害まで広がっているようでした。死んでいく命を助けるのに必死なウガンダのようなところではなかなか目が行きにくい分野です。より視野の広がった彼とウガンダの将来の医療について話し合えたのは良いきっかけでした。

さて、今回の訪問に関してある人から「センチメンタル・ジャーニー」言われ、正直胸にぐさっときました。ちょうど4年前、任地で仕事をし始めたばかりの私は手帳にこんな事を書いていました –『この地域、この病院のために自分に何ができるか?ともあれ自分がいなくてもここはそれなりに回っている。(中略)皆が通る道、「国際協力って一体誰のため、何のため??」』。今はまたボストンに戻り以前のように研修医生活の日々。大学院行って恩返ししたいなんて言ったところで無責任に私個人としての経験ばかりで全然彼らに還元できていないような気になります。それでも、今のところの答えは、ある時久しぶりにフランシスに連絡したら彼に返されたこの言葉 “You need not keep that quiet coz this world is made by friends you keep.”。
今ボストンで医師の仕事をしていると、(他の人の)目に見えやすい成果を突き詰めがちな環境に身を置いている感じがします。言い方を変えれば、自身による自分自身への評価よりも他者による評価が先行しうる環境です。フランシスの言うように、どこでどんな事をしていても、どれだけ小さな事でも、どれだけ遠くからでも、社会や人とのつながりや連帯感を持って仕事をする事が最低限大事なのだと信じてやっていきたいです。医療に関わる人間にとって、彼の言葉は戒めのように聞こえます。

2件のコメント

  1. ウガンダ滞在お疲れ様です!斉藤先生を連れたウガンダの子の、内心ちょっと得意になって学校を歩いている姿を勝手に想像し、微笑ましくなりました。「自身による自分自身への評価よりも他者による評価が先行しうる環境」は正にその通りだと思いました。常に他人から評価される環境にあることには、良い面と悪い面があるように思えますね。

    • コメントありがとうございます。

      臨床に関わっている人間として、自分の視点ではなくて相手(彼)の視点に自然と導いてくれる、
      普段の自分が生きている世界とは違う世界を見せてくれる彼のような存在は本当に大事にしたいです。
      当然、彼の未来にも期待☆

      どこの世界でもまわりから評価されるのが当然とは思いますが、
      まわりに惑わされず、(厳し目の)自己評価を大切にしていきたいと思います。
      先生も新しい環境と思いますがどうぞ充実した毎日をお過ごしください。

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