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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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(この記事は、2013年10月27日にCBnewsマネジメント http://www.cabrain.net/management/ に掲載されたものです。)

メイヨークリニックでは、患者はいつでも自由に自分の電子カルテにアクセスできます。患者専用のポータルサイトからログインすれば、血液や画像検査結果だけでなく、医師が書いたカルテの内容も自由に参照できます。最近スマートフォンやタブレットからもアプリをダウンロードできるようになり、手軽さが増しました。

患者からすると、このシステムは画期的です。米国ではカルテは患者に属するものと考えられており、精神療法など一部の例外を除き、カルテを閲覧できるほか、さらに修正を要求する権利も持っていることが法律で定められています。ただ実際には、カルテは医療機関に属し、患者はカルテを閲覧する、もしくはカルテのコピーをもらうために申請をするのが今でも一般的です。コピーをもらう場合は、枚数や情報量に応じて料金を払うことが多く、患者自身が医療情報をコントロールできる状況にあるとは言えません。病院によっては、カルテを申請してからコピーが手に入るまで数週間を要することもあります。

患者も医師もカルテ開示に積極的になれないのには、いくつか理由があります。その最たるものは、カルテが医療訴訟に使われるのではないかという懸念です。医療訴訟がけた違いに多い米国では、医師はカルテを請求する患者に防衛的な反応をしてしまいがちです。

患者も、カルテを閲覧したら医師に訴訟を起こそうと思われるのではないか、要注意患者との印象を与えるのではないか、今後の診療に影響を与えるのではないか…、などと考えてしまい、純粋に自分の医療情報を知りたくても、カルテ開示請求をためらってしまいます。そのほか、電子カルテをオープンアクセスにする場合、テクノロジーの問題や、患者プライバシーに関する懸念が生じます。

一方、論理的に考えると、カルテ開示に消極的になることが医療訴訟を防いだり、医療訴訟で負けることを減らしたりするとも思えません。何らかの原因で不幸な結果になり、患者本人や家族が訴訟を起こそうとした場合、直接もしくは弁護士を通じてカルテ開示請求が来るでしょう。そして当然ながら、医療機関側にはそれを拒否する権利はありません。訴訟ではカルテに記載された事項と事実関係に基づき、過失の有無などが判断されます。カルテ開示に消極的であれば、「何か悪いことを隠しているのでは」と思われ、裁判官や陪審員などに悪い心証を与える可能性さえあります。したがって、訴訟を起こそうとしている相手に対しては、カルテ開示に消極的であることの利益はありません。

もともと訴訟を起こすつもりがなかった人が、カルテを見ることで訴訟を起こそうと思うかもしれない、という議論には一理あります。医療行為による結果が思わしくなかった場合、後方視的に何らかの原因を医療行為に求めてしまうことは十分あり得ます。しかしながら、純粋に何が起こったか知りたくてカルテの開示請求をしたとしても、病院が消極的な対応を取れば取るほど、患者側の不信感が増す可能性が高まります。逆に、カルテを見ることで、医師や医療従事者がどのように考え、判断を下したのかについて理解が深まり、結果を受け入れることにつながる可能性も十分にあります。また、カルテ開示によって訴訟が起こる率が高まったとしても、もともと病院に落ち度がなければ、カルテを開示すること自体が敗訴にはつながりません。その上、医師の過失が認められる割合が20-30%と低い医療訴訟では、弁護士としても十分な勝算がなくては訴訟を起こしません。すなわち、もともと過失があるか、カルテ記載が不十分で過失がないことを証明できないときのみ、カルテ開示が病院側の不利益になる可能性があると考えられます。

■患者がカルテにアクセスできるメリットとは

それでは、医療訴訟の観点から見たときに、患者がカルテに常にアクセスできるメリットは何でしょうか。まず、医療提供者が患者の目を意識することで、カルテを適切に記載するようになります。これは必ずしも“医療訴訟を防ぐために”徹底してカルテ記載をするということではなく、“誰に見られても恥ずかしくない”カルテを書こうという意識が働くということです。具体的には、患者に対する中傷の言葉や倫理的に不適切な記載は限りなくゼロに近くなるでしょう。訴訟に至った際にこれらに相当する内容が万が一、カルテに書いてあったりすれば、医療機関側には大きな不利益になります。

次に、カルテに不正確な記載があったとき、患者が指摘することで早期に訂正できることです。わたしも外来で、患者の話を聞き間違え、事実に反するカルテ記載をしたことがあります。その患者は自分のカルテを閲覧して間違いに気付き、次の外来でそのことを指摘してくれました。わたしは指摘に感謝し、即座にカルテを修正しました。記憶違いや聞き間違いなどささいなことであっても、事実に反することが記載されていた場合、カルテの信頼性が下がります。患者自身が納得のいく、公正かつ客観的なカルテ記載は、実際に訴訟が起こった際にも医療機関側にプラスに働きます。

さらに、医療過誤があった際、カルテを最初から開示しておくことで、医療訴訟を予防できる可能性があります。何が起こったか正確な記載を要するカルテが患者に公開されているため、ともすると医療者側が隠したくなってしまうような事柄も、その場で迅速かつ詳細に患者側に説明するよう強く動機付けられます。患者や患者家族は多くの場合、真摯(しんし)な説明と対応を欲し、それを患者のために実行する医師に高い信頼を寄せます。実際に、医療訴訟の最も有効な予防策は十分なコミュニケーションであり、ミスが起こった際に即座に、真摯な姿勢で説明を尽くすことは、逆に訴訟リスクを低くすると考えられています。したがって、カルテが常に公開されていることで、医療従事者は訴訟予防のための正しい行動を取れる可能性が高まります。ミスによって患者に明らかな不利益が生じた際には、医療費を肩代わりするなど、訴訟につながる前に予防的に事態を解決することもできます。いずれにせよ、後になってミスが発覚するより、事前に情報を開示し、積極的に事態に介入する方が時間的にも金銭的にもメリットが大きい可能性は十分にあります。

わたしはカルテが常に開示されている環境下で働いていますが、それによってデメリットを実感したことはありません。むしろ、カルテ記載にはより正確さを期すようになりましたし、患者とのコミュニケーションによい影響を与えていると感じることもしばしばあります。患者はわたしのカルテを読めるので、わたしが何をどう考え、どういう治療計画を立てているのか分かってくれます。患者の治療計画に対する理解が深まると、同じ説明に繰り返し時間をかける必要がなくなり、治療へのコンプライアンスも向上するように感じます。カルテへのオープンアクセスが実際に医療訴訟を減らすかどうかは分かっていませんが、少なくとも医療者は、医療訴訟を恐れてカルテ開示に慎重である必要はなさそうです。

 

※本記事中の意見は、筆者個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

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