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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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沖縄で研修医二年目の時、呼吸器内科で担当していた一人の患者さんが亡くなりました。呼吸器内科は重症の患者さんが多く、二カ月のローテーションで他にも何人かの担当患者さんが亡くなりました。医師になって二年目の私には、担当患者さんの死は心に重く残り、忙殺されるほどの毎日の業務が逆に助けになっていました。その中でも、この患者さんの死は私にとって特別なものでした。

その方は90歳に近い男性で、妻に先立たれ、一人暮らし。近くに親戚が住んでいましたが、身の回りのことは全て自分でやる、親戚の皆から愛される沖縄の元気な「おじい」でした。高血圧以外に特にこれと言った病気はなく、頭もしっかりしている。2日前からの熱、咳、呼吸困難で病院に来院し、肺炎の診断で入院しました。レントゲンや臨床経過から見て、重症の肺炎でした。入院時の診察では、酸素マスクを随時必要としていたものの、言葉もはっきりしており、私は一通りの問診と診察を終え、検査や抗生剤などの指示を出し、その日は帰宅しました。

翌日朝の時点で、容態は既に悪化していました。より多くの酸素を必要し、呼吸も荒く、既にALI(Acute Lung Injury)からARDS(Acute Respiratory Distress Syndrome)になりかけていました。しかしながら、意識ははっきりしています。高齢であり、急激な経過から、予後は良くないものと考えられました。急きょ家族を集め、これ以上容態が悪化した場合にどうするか話し合いました。意識がはっきりしていますので、本人にも意思を確認しながら、何度も話し合いを重ねました。家族でも意見が分かれ、「そのまま自然の経過に任せて欲しい」という意見と、「なんとかもう少し頑張ってほしい」という意見がありました。本人は最初「もう十分生きたから、このまま行かせてほしい」と言っていましたが、家族に励まされると、「もう少し頑張ってみてもいいかもしれない」と言いました。

その翌日には、すでに100%のマスク酸素投与でなんとか酸素飽和度が保たれている状況になりました。挿管や心肺蘇生の有無に関して、行ったり来たりしていた議論でしたが、本人が「もう十分生きた。その時が来たらその時に、妻の待っている場所に行く」と言うと、全ての家族が納得し、DNR(挿管、心肺蘇生なし)の判断になりました。

呼吸困難を軽減するため、モルフィンを使いましたが、その後すぐに意識が混濁し、夕方には息を引き取られました。入院時してから二日間のあまりの急激な悪化に、私はショックを受け、「なにか別のことができなかったのだろうか?どうにかして助けることはできなかったのだろうか?」と自問自答しました。

その時ちょうど、ティアニー先生が病院に講師として招かれていました。翌日の病棟カンファで症例をプレゼンする機会をもらえた私は、この患者さんのことを話しました。ティアニー先生は診断学の神様と呼ばれ、この有名な本 The Patient History: Evidence-Based Approach でも知られているように、病歴と診察を元に幅広い鑑別診断から、正確なアプローチで診断を絞り込んでいきます。私は、肺炎を中心に鑑別診断を挙げ、診断と治療の経過で判断は正しかったか、他に何を考えるべきだったかを述べました。

彼は私のプレゼンをしっかりと聞いてくれ、私の詳しい病歴聴取と考え方の正確さを褒めてくれたあと、「この症例ではそれ以上のことはできなかっただろうね。できることはやったと思うよ」と言いました。そしてこう続けました。「そういえば、この患者さんに戦争の経験のことを聞いた?僕だったら必ず聞くと思うな。90歳で頭がこれだけはっきりしていたのだから、貴重な話を聞けたはずだよ。 もし聞かなかったとしたら、もったいないことをしたね。そこが内科の一番面白いところなのに」。

全く虚を突かれた私は、しばらく言葉を失いました。しかし徐々に、彼の言葉が胸にしみてきました。私は患者さんを「患者」としか見ていませんでした。患者さんに「人」としての興味を持って接することが、医師としての自分を豊かにするばかりではなく、その人の人生の一部に関与できる医師の特権でもあったのです。またそれは患者さんにも資することであると、ティアニー先生は教えてくれたわけです。

米国で研修を始めた後も、ことあるごとにティアニー先生のこの言葉を思い出します。それは初心に帰るための戒めであると共に、医師として働く日々に充実感を与えてくれる激励でもあります。とある外来で、患者さんにこう聞きました。「そういえば、お母さんは元気にしてる?この前、入院したって言ってたよね?」。その患者さんは嬉しそうに、お母さんが元気にしていることを教えてくれました。

医師になりたての時期に学んだことは、その後どのような医師になるかにおいて大きな影響を及ぼすと言われます。私がそのような時期にティアニー先生に学ぶ機会を得たことは、本当に幸運だったと実感します。

6件のコメント

  1. 私は医療にはたずさわったことのない者ですが、人を助けるという職業に以前から関心があり、このサイトにいきつきました。医師という職業は命をあずかるお仕事で想像もつかない御苦労はたくさんあるだろうけれど、なんとも人生を豊かにしてくれる仕事だなあと、反田先生の記事を読んでそう思いました。生まれ変わったら医者になりたいです。

    • コメントありがとうございます。色々と大変なこともありますが、医師は本当に恵まれている職業だと思います。それをどういう形で社会に還元していくか、いつも考えています。

  2. 反田先生のブログをたまたま見つけ、拝読させて戴いておりました。
    見るだけ・・・のつもりが今回の内容に身に染みる思いを感じました。
    沖縄出身者であり、教育機関に働く者として「人」として・・・をとても
    大事にしたいと思っています。
    また、ロチェスターのメイヨークリニックに知人が働いており、数年前に
    訪問したことがあり、とても興味がある機関です。
    多忙な毎日をお過ごしのこととご察し致しますが、どうぞお身体ご自愛のうえ
    可能な限りブロクの更新を楽しみにしております。

    • ありがとうございます。恐縮です。メイヨーでの出来事も含め、これからも情報発信していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

  3. 最近、医療に関わる仕事で悶々とすることが多くふとのぞいてみた先生のブログに感動しました。アメリカの医療に触れることでのメリットは、こんなことかもしれませんね、いい教育者に巡りあうこと。人の人生や命にかかわる仕事をする中で、いい教育者に巡りあうことって私たちのキャリアにとても重要だと思います。先生のようにまわりの人に医師としてのメリットを還元していきたいと思うのはすばらしいことですよね。そんなお医者さんがいてくれることにとても感謝します。

    • 松本さん

      ありがとうございます!どう転んでもティアニー先生のようにはなれるとは思えませんが、僕は僕なりのやり方で社会に還元していければと思っています。

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