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コルビン麻衣

ブログについて

医師としての一歩を踏み出したばかりの私の視点から、色々な患者さんと接する中で日々自分が感じたこと、考えたことを素直に綴ります。沢山の人に出会い、多くの刺激を受け、何でも経験し、医師としてだけではなく一人の人間としてもっともっと成長したい。そんな私の成長記をシェアさせていただきます。

コルビン麻衣

岐阜出身。16歳で単身渡米。1年のつもりが早12年。大学ではテニスに没頭しつつも化学と国際関係を専攻し学士と修士を取得。小児病院でボランティア中に医師の道に進むことを決心。2012年5月南フロリダ大学医学部を卒業し7月からNYブロンクスのMontefioreで内科研修開始。スポーツと旅が好きです。

“Where are you from?” 
アメリカで初対面の人に必ずといっていいほど聞かれるこの質問。

答えが”I’m from Boston”や“I’m from Pittsburgh”の場合「ボストンいいですよねー」「私ピッツバーグの大学行ってました」といった感じで会話がスタートしますが、私の場合、答えは”I’m from Japan”なので、相手もこのJapanにくいつきます。”Where in Japan are you from?” “When did you move to the U.S.?” “Does your family still live in Japan?” など次にされる質問は様々ですが、早かれ遅かれ、私が16歳の時一人で日本からアメリカにやってきた、ということは説明することになります。すると大抵 ”You moved to the U.S. all by yourself when you were 16!?”とビックリされ、更にそこから今にいたった経緯を順を追って説明することになるわけですが、今日は自己紹介もかねてまずは私が最初にアメリカに渡った理由を初投稿記事にしたいと思います。

そもそも私が海外に興味をもったのは13歳の頃に読んだ黒柳哲子さんの「トットちゃんとトットちゃん達」という本がきっかけでした。黒柳さんがユニセフの親善大使として発展途上国に住む子供達をリポートした本で、子供ながらに(というよりむしろ子供だったからこそなのかもしれませんが) 強い衝撃をうけたことを覚えています。 

自分を愛してくれる家族がいること。一緒に遊ぶ友達がいること。毎日食べ物に困ることもなく、学校にも行けること。お気に入りの服や靴もある。そして病気になったら病院にいってみてもらえる。

そんな当たり前に感じてたことが、実は当たり前ではなかったと気づいた瞬間でした。(自分はすごいラッキーなんだ。)この本を読み進めるうちに、自分の中で何かが芽生えました。ただその時は医師になりたい、とかそんなはっきりしたものは何も見えおらず、ただ漠然と、将来自分も世界にでてみたい、そして人のために何かがしたいとぼんやりと感じるようになったのです。

将来国際機関で働くとなると英語力はもちろんのこと、自分の目で世界をもっとよく見る必要性を感じました。 親に「日本で高校受験せずアメリカの高校に行きたい」と相談してみましたが、「アメリカの生活が合わなかったらどうするの?」「途中であきらめて日本に帰ってきても、帰ってきた段階で高校受験から始めることになる」など、私も思わず「まぁ確かに」と言ってしまいそうな理由で却下されそうになりました。がしかし、私が頑固で引き下がらないもので、最終的には「日本で高校受験をして自分の志望校に合格したら 高2の夏から1年休学して留学してもよい」ということで親とは合意しました。

私は小学6年生の時に私立中学の受験を失敗してとても悔しい思いをしていたので、今度こそは失敗できない!と必死で勉強し、岐阜では進学校といわれる岐阜高校に入学しました。友達にも恵まれ、日本での高校生活は楽しかったけれど、1年休学してでも留学したいという思いは高校入学後も変わりませんでした。自分の高校に交換留学生のプログラムがあったわけではないので、留学するとなってもまずは入れてもらえる高校を探すところから。母と東京の留学センターに足を運んだり、海外教育コンサルタント(私はEDICMさんにお世話になりました)に相談したり、たくさんの学校からスクールカタログをとりよせ、何百校とあるアメリカの寮制高校の中からニューイングランド地方にあり、私の英語力でも入れてもらえそうな寮制の高校に願書をだしました。いくつ願書をだしたか詳しくは覚えていませんが、最終的に電話面接までたどりつけたのはたったの2校だったと思います。ほとんど英語が話せなかった私がどうやって電話面接を乗り越えたのかは今でも謎ですが、最終的にはニューハンプシャーの山奥にあるKimball Union Academy(KUA)という全校生徒300人ちょっとの高校に受け入れてもらえることになり、2000年8月人生の新たな1ページを開くことになったのです。(つづく)

6件のコメント

  1. まあ〜〜何と素晴しいのでしょう〜〜〜。是非日本の若者へのメッセージ本にして下さい。益々のご活躍をお祈り致します
    Mariko Dozono

  2. Dozono様

    ありがとうございます。お褒めに預かり恐縮です。 日本の若者に伝えたいことはたくさんありますが、本というのは考えた事がありませんでした。私の経験をシェアすることで、読者の方に何かを感じとっていただけたら幸いです。私自身まだまだ未熟者ですが、これからも色々なことに挑戦し、成長していきたいと思います。宜しくお願いいたします。

  3. ダートマス感染症科の青柳です。MeridenにあるKimball Unionに通っていらしたのですね。Meridenは確かに「山の中」ですが、自然が本当に美しいところですね。実は今日、Kimball Unionのすぐ近くにあるNoda Farmにブルーベリー摘みに行ってきました。ちなみに、ファームのオーナーの野田先生は、かつてダートマスの生化学学部のChairを務められた日系人(現在は名誉教授)の方ですが、ニューハンプシャーの田舎にも、麻衣さんのように立派な足跡を残されている方が何人もいらっしゃいます。

  4. 青柳先生

    はじめまして。コメントありがとうございます。 私も高校時代KUAの近くでブルーベリー摘みに行ったことを覚えていますが、日系人の先生がファームのオーナーをされているとは全然知りませんでした!
    先生はダートマスにいらっしゃるんですね。ダートマスといえば、大学サッカーの試合を観にいったり、town tripでHanoverにあるBen& Jerry’sまでアイスクリームを食べにいったこと(今はクローズしてしまったようですが)をよく覚えています。 MeridenといいHanoverといい、本当に自然が美しいところですよね。懐かしいです。KUAを離れて9年になりますが、まだお世話になった先生方も大勢みえるので近い将来ぜひKUAに顔をだしてみたいと思っています。

  5. コルビン 麻衣先生、
    私の母は岐阜出身で、娘の名前は麻衣子です。またMontefioreでは、知人のDr.Mario Garciaが働いていますがご存知ですか? よろしければMotefioreのメルアド教えていただけますか?

    • 塩田様 はじめまして。Chief of cardiologyのDr. Garciaですよね? Coronary care unitのローテーションの際のアテンディングがDr. Garciaでした。ただ一緒にラウンドできたのは2週間だけでしたので覚えていらっしゃるかはわかりませんが。とてもいい先生で色々と親切に教えて下さいました。

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