過去に何度聞かれただろうか。「どうして今さらアメリカを目指すのですか? もうすでに日本で小児科専門医も取っているのに」。結局は「好奇心」の一言に尽きるのではないか。多くの臨床留学経験者が、「留学はひとつの手段であって、目的ではない。そこを間違えないように」と、諭してはくれるが、結局は既留学者の話であり、あまり心に響かなかった。私にとっては、海外での研修はどんなものか、その興味が何よりも勝っていた。
私は2001年に医学部を卒業して、まずは自大学の放射線科医局に属した。しかし、当時の大学ストレート研修について疑問を感じるようになった。有無を言わさぬ縦社会の研修生活。たった10年ほど前にも関わらず、教育に関して改善すべき点が多かった時代がそこにあった。実力がないにも関わらず、生活費確保にバイト当直に行っていたある日、バイト先で患者が急変した。困って先輩に電話したところ、「お前は運が悪いな」と一言残され、電話を切られた。「もううんざりだ」。臨床トレーニングを受けたいという強い念で、1年次後半にIVR症例数が日本でも屈指であった旭川厚生病院に出向させていただいた。IVR分野で高名な齋藤博哉先生(現 札幌東徳洲会病院 放射線科)の下で画像診断のみならず、IVR、病棟管理を教授する機会に恵まれた。放射線科で病棟研修をしているうちに、他科も経験して、もっと幅広い病態・疾患に対応できるようになりたい、と考えるようになった。ただ、当時の北海道は医局の力が強く、さまざまな科を経験できる臨床病院はほぼ皆無であった。齋藤先生は「若いうちに他科で研修することは自分の将来性を広げる。北海道を飛び出して学んでこい。お前はどこに行っても俺らの仲間だ」と、温かく送り出してくれた。
2001年当時、出身大学に関係なく、さまざまな科を経験させてくれる臨床病院は日本にはまだ数が少なかった。研修希望者が集う梁山泊であった市立舞鶴市民病院に見学に行ったが、すでに定員は満員だった。沖縄県立中部病院は締め切りが過ぎていた。湘南鎌倉総合病院に行こうと考えたが、徳洲会病院の旭川説明会で、となりに座ったのが、岸和田徳洲会病院で当時救急部長だったM先生だった。「北海道の人間は結局、関東を越えて関西にくる気概のある人間がいない」という売り言葉に、若さ+酒の勢いもあり、「じゃあ、オレが行きますよ」と明言してしまい、岸和田に研修に行くことになった。当時は「だんじり」という言葉すら知らなかった。自分にまったく縁もなかった関西の土地。結局、そこで救急を中心としたローテート研修を3年間行った(現在、岸和田徳洲会病院は年間救急車 1万件(関西1位))。珠玉のリーダーシップを持つ廣岡大司院長(当時)をはじめ、多くの尊敬すべき指導医や同期に恵まれた研修時代であった。小児科部長 橋本卓先生、松元陽一先生をはじめ、武富浩也先生、杉本純一先生やNICUスタッフの薫陶もあり、未来を担うこどもたちの医療に携わることに決めた。また、岸和田は国際関西空港と近く、多くの海外出身者が来院されている。大学時代から海外へ興味があり、英語や韓国語を独学で学んでいたこともあり、主治医や(にわか)通訳として担当する機会にも恵まれた。海外ドラマ”ER”の影響もあり、漠然とだが、海外で医師として働くことにあこがれを持ち始めた。ただ、臨床留学の経験者が近くにおらず、思いは夢のままであった。
NICU部長であった小山博史先生に、小児科後期研修について相談したところ、東北大学が主催する全国小児科メーリングリストに、快く後期研修について尋ねてくれた。ちょうど後期研修を開始した東京都立清瀬小児病院からメールをいただいたことで、清瀬に見学しに行くことになった。最初に案内してくれた内分泌代謝科部長 長谷川行洋先生との初対面の会話は未だに忘れられない。「長谷川先生、僕はいつか海外に行って勉強をしたいです」「望めば行けるよ、どれだけ望むかだよ」。長谷川先生と出会い、清瀬で小児科後期研修をすることに決めた。生涯のメンターのひとりである。
この東北大メーリングリストでもうひとり、メールの返事をくれた方がいた。現在、都立小児総合医療センター救急部で活躍されている井上信明先生であった。当時、井上先生はハワイに臨床留学されていた。「海外も選択肢に考えてみないか?」。井上先生に会いにハワイに来て、カピオラニ小児病院を案内していただき、臨床留学への思いが募るようになった。今や井上先生は日本の小児救急医療を牽引する大きな存在となっている。まさか、井上先生と同じカピオラニ小児病院でこうして研修する機会に恵まれるとは、当時は夢にも思わなかった。
井上先生のように海外で活躍したい。その思いで、清瀬3年目に横須賀・沖縄海軍病院を受けたが、ハワイにエクスターンに行った初日に、両方から不合格通知を受けた。エクスターン初日で、ハワイにいながら、翌年の日本での就職先を探すことになった。すでに結婚していた家内には、心労だったと思う(その心労は未だに続いているのだが・・)。翌年に長野こどもNICUに採用され、長野勤務中に沖縄海軍病院に2回目の応募。結局、補欠リストで欠員待ちだった。正直、もう留学をあきらめたところ、たまたま運良く、欠員が出たために合格。補欠からチーフインターンという、過去にない例で、沖縄海軍病院の1年を過ごした。沖縄海軍病院では本当に英語に苦労したが、同期にも恵まれ、なんとか修了できた。帰国子女でもなく、英語が不得手な私が、現在、ハワイで研修しているのは、沖縄で出会った仲間たちのおかげである。私たちの代 6人はその後、みな渡米を果たしている。
>「留学はひとつの手段であって、目的ではない。そこを間違えないように」と、諭してはくれるが、結局は既留学者の話であり、あまり心に響かなかった。
非常に共感を覚えます。既留学者として正しいアドバイスなのだとは思います。しかし僕は、留学は一つの目的であっても構わない、とさえ思っています。自らの価値観を芯に持っておきさえすれば、海外での経験がその先の道を広げ、新たな目的の創出につながることもあるのではないでしょうか。僕は自分の可能性を早い段階(これがどの段階を指すかには議論がありそうですが)で狭めてしまうべきだとは思いません。
桑原先生、がんばってください。「おっさん」だなんて、そんなことないですしよ。私がレジデンシーを始めたのは、43歳の時です。アメリカで研修して、いろいろなものを吸収して、日本に持ち帰ってください。お互い、何ができるかわからないですが、日本の医療の発展のためにお互いがんばりましょう。
>反田先生
さっそくのコメントありがとうございます。確かに、「人生万事塞翁が馬」という言葉もあるように、その時には意味がないように思えたことですら、後に重要な人生の分岐点につながっていく、ということは生きる上で往々にあると思うようになりました。「目的の創出」いい言葉ですね。「留学は目的ではない」という言葉は、最近は苦境に陥っている人への激励の言葉として使われているような気もします。
>金先生
励ましの言葉ありがとうございます。特にハワイ小児科は病棟ローテーションが激務で、「日本にさっさと帰ろう」と落胆してしまうこともありますが、こうして見守ってくださる方も多く、毎日一歩一歩進んでいる日々です。応援よろしくお願い致します。
桑原先生!ここでまたお会いできるとはうれしい限りです。
ERから病棟にアドミッションを送り込むたびに先生のお顔がちらほら。
頑張っておられるかなあと思いながらね。
難しい日本語はもう書けなくなりましたので、コメントこんなもんでええですか?
また遊びにいらして下さい!!
>もと子先生
メッセージありがとうございます。エルパソの空は本当に透き通る青さですよね。それが印象的でした。いつか家族でマーティンファミリーにお会いしに行こうと思います。ルーサーにもよろしくお伝え下さい。またお会いできる日を楽しみにしています。
たまたまFacebookで先生のこのサイトを今朝見ました.私は現在、板橋中央総合病院の腎臓内科に所属しているS51年卒のあらかんで腎臓ネットを2000年から主宰しています.1980年から4年間Baylor College of MedicineとNIHに留学していました.この過去8年間は、国際腎臓病ガイドライン機構KDIGOの役員をしたり、アジアにおけるCKD対策の交流組織Asian Forum of CKD Initiativeの議長をしたりして、留学時代に夢にみた「国際的な仕事」ができるようになりました.何よりも世界中に友人ができるのが最高の幸せです.自己紹介が長過ぎましたが、先生の行動力はとても素晴らしいです.私も、これから大好きなハワイに透析クリニックを作ってもらって(自分にお金はないので)そこで日本の水準の医療を提供する、という大義名分のもとにハワイにすむのが当面の(最後ではありません)夢です.今月末にもホノルルに遊びにいく予定です.ぜひハワイでの生活を奥様と一緒に(ここが大事だと反省を含め)楽しんでください.先生のこのブログは研修医を育てる立場でもある私にとても参考にもなりました.ちなみに、私のトロピカル好きのブログも開設していますので箸休めに見てください.http://jungle.hatenablog.com/entries/2013/02/04
>塚本雄介先生
コメントありがとうございます。ブログも拝見致しました。日本でヤシの木を育てる試み、読んでいて気持ちがとても明るくなりました。海外留学の魅力・利点は、塚本先生のおっしゃるように、人生観を広げるチャンスに出会えることですね。海外にいることで、日本、そして日本人の良さをあらためて再認識しています。今後ともよろしくお願い致します。
桑原先生こんにちは。
都立小児医療センターERでお世話になりました、看護師北村です。
たまたま、カピオラニ病院の検索をしていましたとところ、???もしや、あの桑原先生かしら・・・と。(すみません)
実は、私も15年ほど前に、たった1か月でしたが、カピオラニのPICUで研修をする機会がありました。そのときに指導をしてくださったJoan KANEMORIさんをはじめ、とてもみなさんがよくしてくれました。
ハワイの降り注ぐ太陽の元、研鑽されるのですね。素晴らしいです。
私は、今日も、明日も、ERでちまちま頑張ります。
また、お会いできる日を楽しみにしております。