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栄養士といっても興味は、低栄養や栄養サポート。日本でも臨床を経験した栄養士が感じるアメリカでの実践栄養について 紹介していきたいと思います。

松本 菜々

日本の病院で在宅栄養を確立し、Nutrition Support Team を立ち上げた後渡米。ミネソタ大学院終了後ハワイの病院に就職し、現在は、南カルフォルニアの小さな病院でメイン臨床栄養士として、情熱をもってICU,急性期病棟の患者栄養管理をしています。

松本 菜々のブログ
2022/04/20

米国の心不全ガイドライン(更新)で思い出した患者さん

久しぶりに投稿します。

米国の AHA/ACC/AHFAガイドラインが
9年ぶりに更新されたそうですね!
ちらっとみると、
EF(Ejection Fraction Rate:左心室駆出率)が、
あちらこちらに目についた。
アメリカにいたころは、EFが記載してある患者さんが
ほんとに多かった。
だから、心疾患のある患者さんは、
塩分より水分みてたな~、なんて回想していた。
そこで心に残る患者さん。80過ぎの豪華なかっぷくのいいおばあ様で、お友達2人が交代で看病しにきてたな。
私は、そのお友達と患者さんからは絶大な信頼を得ていたのに、
担当医の女医さんには嫌われていたことを思い出した。
心不全が悪化して、ご本人もお友達も
最期の時が近いとわかっていた。
それでも厳しい水分塩分制限は、続行。
仕方ない、病院だから心臓を守るのが
医師の仕事なのだろうな。
ご本人は水も飲めず、
水分浸したスポンジで口腔内を湿らすことだけが許されていた。
好きな物を食べたい食べたいといっていたのに、持ち込み食は厳禁。
厳しい塩分制限を死ぬまで続けて心臓を守って、
ふくよかで気持ちの大きなおばあ様だったのに、
最期は水を全部ひかれて脂肪も筋肉もおちて、
心臓だけを守るために病院で戦って亡くなっていった。
水分制限をして心臓を守って、食欲がおちて低栄養になって、
エネルギー消費も異化も亢進して、摂取蛋白質はほぼゼロに近く、
蛋白合成なんてできないから、
筋肉でできている心臓は弱っていった
(ように栄養師の目からは見えた)。
栄養の専門家である栄養士は栄養状態を管理するのが仕事なので、
栄養の立場からの進言ができる。
「必要栄養量の<50%の摂取量により、
筋肉・体脂肪量の顕著な減少による
高度低栄養状態。」
そして、私の栄養改善プランは、持ち込み食禁止なので
病院から出せるものを工夫を凝らして
何か運んでいたかな~。
塩分制限3gで摂取量30%くらいだったから、
塩分1g食べれられていない、
塩分2g分を3食の食事以外で持って行ってもなんの問題もない。
まして全部たべられるわけでもなく、低栄養。
アメリカでは、胸をはってカルテに評価をかけたけれど、
栄養士として患者さんにすることは、
日本にいる時と同じことしてたな~と思う。
でも担当の女医さんは、そんな私のアプローチはいやだったのかな。
病院食を「どれだけ食べているか」よりも、
塩分制限3gの「病院食を出している」こと
が大切だったみたいだな。
もう少し上手に私が説明できてたら、
女医さんに嫌われなかったかな~、と思う。
そして、医師との関係とは裏腹に、
患者さんのケアギバーの方からは、患者さんが亡くなった後、
思いがけないプレゼント(物ではありません)が用意されていて
びっくりしたことも思い出した。
 「壊れてもまた、作り上げなさい」
というフレーズのマザーテレサの詩。
もう一度お会いしたいな。
 その時の医師とも話してみたいな。
臨床にいた頃は、こんな綱渡りばかりしてたな~。
いつ首になるだろうってびくびくしてた気がする。
真剣に心の底から患者さんと向き合うこと。
患者さんが亡くなった後、その時の思い出をお友達、家族の人は
ずっと背負っていきていくのだから。
そして、患者さんの栄養状態や栄養療法について、
葛藤した時いつも私の後ろにいて支えてくれたのは、
アメリカの栄養士さんだった。
”Nana, You should do it. It’s a patient’s sake.”
うったえられない患者さんの為に
栄養士が医師に進言することも、
栄養師の仕事。
でも日本に帰ってきてアメリカ帰りの「はく」がついたからか、
日本でも数少ないそんな栄養士さんに会えるようになった。
私は、アメリカに行かなくても会える
「頼もしい栄養士さん」でいたいな、
その為にもっと強く大きくなって今の毎日を頑張ろうっと。

Thank you for all my patients and their family. You taught me a lot.

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