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アシュリーちゃん(仮名)は、ようやく3才になった。かろうじて立つことはできるがまだ自分で歩くことは出来ない。また話す言葉は、 “No, no, no, no”、 “Good-bye”、と “Thank you”と片言しか話せない。経口摂取がまだ十分にできないため、殆どの栄養は胃ろうから補給される。アシュリーちゃんは、左心低形成症候群という重篤な心臓病を持って生まれ、生後まもなくNorwood手術という大きな手術を受けた。この病気は、全身に血液を送る左心室の形成不全を主体とする症候群で、新生児期の手術なくしては延命できない最重度の複雑先天性心疾患である。生後6ヶ月に第2期の手術を受けたが、その後の経過が不良で、進行する心不全のため呼吸器から離脱できず、ICU(集中治療室)で心臓移植をひたすら待ち続ける生活を余儀なくされた。その結果、最も母親との接触が必要な時期に、何ヶ月もたったひとりでICUで過ごすことになった。

彼女が生まれた時、両親は二人ともHigh Schoolの最終学年で、進学する大学も既に決まっており、本来なら彼らには明るい未来が待ち受けているはずだった。事情が事情のため、二人は止むなく大学進学を諦め、アシュリーちゃんの看病に専念することになった。アシュリーちゃんは、幸い1才の誕生日のすぐ後に心臓移植を受けることができ、術後約4ヶ月後に退院することができた。その後しばらく音信が途絶えていたので、きっと移植後の経過は順調なのだろうと想像していた。しかし今回、長期にわたる慢性の下痢と栄養失調で緊急入院となった。明らかに痩せ細り、その眼にいつもの輝きはなく、表情は全く生気を感じさせなかった。原因は臓器移植後に見られる小腸・大腸のリンパ増殖性疾患Post-Transplant Lymphoproliferative Disease (PTLD)であることが判明し、免疫抑制剤は今までと違うものに変更され、同時にPTLDのための化学療法が開始された。PTLDは、放置すればやがて悪性リンパ腫のような新生物に転換するもので、特に1才以下の心臓移植後の患者に発生頻度が高いと報告されている。新しい医学の進歩は、同時に新しい難題の産出でもある。

そんなアシュリーちゃんに、新しい弟ができた。健康な弟は現在生後7ヶ月、すくすくと育っている。乳児を持つ若い母親は、常に忙しい。泣く子をあやしたり、ミルクをあげたり、寝かしつけたり、おしめを交換したり。アシュリーちゃんにとっても若い母親にとっても、非常に厳しい現実である。闘病のための病棟の個室が、今はまさにアシュリーちゃんの「家庭」の舞台となっている。それでも、アシュリーちゃんは、お姉さんらしく、時にぐずる弟を一生懸命あやそうとする。私は、そのちょっとおませで健気な姿を見て、この世にこれ以上美しいものはないというくらいの「神々しさ」に眩惑され胸が打ち震えた。人間がもっとも美しく見えるその瞬間に立ち合わせてもらえるのが、医師として最大の「報酬」なのだろうと思う。

こどもが再入院をしてくる時、ある種の「懐かしさ」を感じる一方、同時にその病気の重さという厳しい現実を突きつけられる。小児病棟には、日本でもアメリカでも、そういった相反する感情が混在するが、それらがこどもの「笑顔」により見事に調和させてしまう不思議な空間なのである。幸い治療は奏功し、アシュリーちゃんはみるみる元気を回復してきた。小児科医として、こどもが病気から回復して「元気」と「笑顔」を取り戻していく過程を共有できることほど嬉しいものはない。元気になった彼女が病棟回診の時に診察後に彼女が使える数少ない言葉である ”Thank you” と言って微笑む時、彼女のまわりが本当に輝いて見え、私はスタッフと一緒にそのささやかな幸福感に浸る。崇高なるOptimism楽観主義の源をようやく探し得たような気がした。この感情は医学生時代の何かとても懐かしい思いを引き起こしてくれた。(つづく)

斎藤浩輝

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