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(この記事は2013年1月11日CBニュース http://www.cabrain.net/news/ に掲載されたものです。)

つい先日、身近で人事異動がありました。中堅クラスの指導医が抜てきに近い形で、イェール大学に異動していきました。彼女にはフェローシップ(専門課程)の一年目から、厳しく鍛えてもらっていたので寂しくなりますが、先輩の栄転は嬉しいものです。今回のケースを例にして、わたしの属する小児消化器専門科における医師の異動について紹介します。小児科の中の、さらに消化器専門科についてのケースですが、概ね大学関連の大きな病院における専門医師一般に適応できるストーリーだと思います。

■ある中堅医師の異動

今回のケースでは、フェローシップ卒業から7年経った指導医が、ノースウェスタン大学の小児病院から、イェール大学の小児病院へと異動しました。ノースウェスタン大学の小児肝臓科は年間に15-18件の移植を行う、シカゴとその近辺の州の代表的な移植センターです。彼女は肝臓移植センターの指導医として、4人いる肝臓専門医の中では、2番目の若手でした。週1日(半日×2)の外来と、年間8-10週間の入院患者担当するほか、基礎研究を臨床現場での活用につなげるための橋渡し的な研究も手がけていて、毎年、肝臓学会(AASLD)で発表していました。また、小児消化器学会(NASPGHAN)の肝臓病委員会で中心的役割を担い、多施設・共同臨床研究のメンバーとして活躍しています。 

精力的に活躍していた彼女ですが、ノースウェスタン大学ではアソシエイトプロフェッサー(准教授)に昇進できなくて、進路に行き詰まりを感じていたようです。そんななか、イェール大学の小児肝臓移植チームが小児移植プログラムのディレクターとして彼女を抜てきしました。もちろんアソシエイトプロフェッサーという、アカデミックポジションもついています。イェール大学の小児肝臓チームは年間8-10件の移植を行う、中規模なセンターでしたが、最近ではセンターを拡大して移植件数を増やしていこうという計画があるようです。移植プログラムのディレクターということは、長期的にその病院における肝臓移植を総括するポジションです。相当な重責の職務であり、イェール大学の病院にとっても、かなり覚悟を決めた人事でした。それだけに、今回の人事は我々の業界では話題になりました。一体何が作用して、人事異動が決められていくのか、以下にもう少し掘り下げて見てみます。

■アカデミックなポジションを持つ場合の昇進

一般的にフェローシップを卒業してアテンディング(指導医)として就職したらアシスタントプロフェッサー(助手-講師)になります。基礎研究と臨床のどちらがメインの昇進システム(“トラック”と呼ばれます)なのかという違いはありますが、概ね、6-8年間でアソシエイトプロフェッサーになることが次のステップです。

アソシエイトプロフェッサーになるには、研究業績、国立衛生研究所(National Institutes of Health=NIH)の研究費の獲得、論文発表件数、教科書の執筆歴、専門学会での活動(委員会活動など)が総合的に評価されます。直接の上司である部長だけでなく、大学内に昇進委員会とでも言うような評価委員会があって、できるだけ公平に審査されるようになっています。

基礎研究メインのトラックの場合、やはり研究業績に重きが置かれます。大きな大学病院では、NIHから複数回にわたって相応の研究支援(R01レベルのグラント)を受けた実績がないとアソシエイトにはなれないのが普通です。臨床メインのトラックの場合は、専門特化した特殊外来(例えば、消化器では消化管運動機能専門外来など)を確立し、病院の機能拡充に貢献していることなどが大きな評価となります。

さらには、内部の評価だけでは判断されず、外部からの評価が鍵となります。他大学の同じ分野の専門家から、お墨付き(推薦状)をもらうことがアソシエイト候補者のその専門分野における認知度・貢献度になります。共同研究で多施設臨床研究などの際に一緒に働いて成果を上げることが大切です。

もし8年-10年たってもアソシエイトになれなかったら-。その場合は、トラックを変えるか(基礎研究から臨床トラックへ)、より小さい規模の病院へ異動することが求められます。アカデミックではない、私立の開業医グループに入るひともいます。

■どうやってポジションを探すのか

そもそも、小児肝臓病を専門にしている米国の医師の数は一体どれぐらいなのでしょうか。おおよそでは150-200人と言われています。中には、移植を主に診る人と、移植には全くタッチしない人の2種類があり、さらには肝臓専門とはいえ仕事の半分は一般消化器病の患者を見る、というスタイルの専門医もいます。今回のケースのように100%肝臓病の患者しか見ないという小児科医は非常に少ないと思います。

小児肝臓病専門医同士は、ほとんどのメンバーが顔見知りであり、それこそ堅牢な同業者組合の様相を持っています。この恐ろしく狭い世界の中で、どうやって人事異動がなされるのでしょうか。それは、意外にも今も昔も変わらない、”ネットワーク”です。どこどこの病院がポジションを新設したとか、誰々がそろそろ引退だとか、そういったうわさが友人から友人へと伝えられ、コミュニティの顔の広い古株が適材を推薦する、といったことが繰り広げているようです。最近ではヘッドハンターが活躍することもあるそうですが、それはまれなケースと言わざるを得ません。そもそも、重要なポジションは公募すらされない事が多いのですから。

■研究プロジェクトチームの勃興と解体

この業界のフェローを3年してみて、少しずつ実感してきたことがあります。それは医学の専門分野は、実に限られた大学病院で集中的に研究が進められているということです。小児の肝臓病で代表的な胆道閉鎖症を例に見ても、全米で本格的に基礎研究に取り組んでいる研究室はたった3大学に限られています。つまり、Aという病気の研究なら、B大学とC大学がメッカだ、という図式です。

さらにいうと、個々のプロジェクトは強力なリーダーのもとにすすめられ、”人”が基礎になって築かれています。“Aという病気の研究なら、Dr.Bと Dr.Cのプロジェクトチームが担う”ということになります。ですから、たとえば、Dr.Bがそろそろ引退だ、という話になると、その研究分野の人達はそわそわし始めるわけです。Dr.Bが築き上げたプロジェクトチームの後継者がしっかりしている場合はそのままその後継者に引き継がれるわけですが、難しい場合も多いわけです。ライバルのDr.Cが、Dr.Bのチームからスタッフを引きぬくこともあるでしょうし、以前から虎視眈々と狙っていた別の大学が、Dr.BのチームのNo.2をプロフェッサーとして抜てきし、そのNo.2が全米から有力なスタッフを募集して新しいプロジェクトチームを作ることも十分ありえます。 こうやって、限られた人材の中でダイナミックに人の異動が行われていきます。

今回の私の上司の抜てきは一般に、日本より人の異動が激しいと言われる米国の、そのメカニズムを垣間見る出来事でした。NIHのグラントを持っていなかった彼女は、基礎研究成果が思うようにあがらず、ノースウェスタン大学での昇進に行き詰まりを感じていました。彼女の強みは豊富な臨床経験と、共同研究を遂行するネットワークでした。その長所が、イェール大学のプログラムの拡大ニーズにちょうどマッチし、今回のような抜てきとなりました。まさに適材適所といった観のある興味深いケースでした。

斎藤浩輝

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