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青柳有紀

ブログについて

アメリカで得られないものが日本にあるように、日本では得られないものがアメリカにはある。感染症、予防医学、公衆衛生学について、ニューイングランドでの日常を織り交ぜつつ、考えたことを記していきたい。

青柳有紀

Clinical Assistant Professor of Medicine(ダートマス大学)。国際機関勤務などを経て、群馬大学医学部医学科卒(学士編入学)。現在、アフリカ中部に位置するルワンダにて、現地の医師および医学生の臨床医学教育に従事。日本国、米国ニューハンプシャー州、およびルワンダ共和国医師。米国内科専門医。米国感染症専門医。米国予防医学専門医。公衆衛生学修士(ダートマス大学)。

今日は、病院のオフィスでも大学院でも、あるニュースで話題がもちきりでした。

 

現学長のDr. Jim Yong Kimが、バラク・オバマ大統領によって、アメリカが推薦する次期世界銀行(以下世銀とする)の総裁候補に選出されたからです。

 

日本における報道や、それに対する一般の人々の反応から、Jim Yong Kimという人物に関する認識の低さが浮き彫りにされ、また今回の決定のインプリケーションについて主要各紙の報道が極めて表面的なものに終始していることから、ここで私にできる範囲で関連する情報を提供したいと思います。

 

「Jim Yong Kimとはいかなる人物か?」

現ダートマス大学学長であり、医師および人類学者である彼はソウル出身の韓国系米国人で、5歳の時に両親とともに米国に移住しました。父親は有能な歯科医で、母親は後に哲学で博士号を取得しています。アイオワ州の高校を優秀な成績で卒業し、ブラウン大学で学士号を取得後、ハーヴァード大学院でMDおよびPh.D(人類学)を修めています。ハーヴァードで彼はPaul Farmerと出会い、彼らはのちに最貧国における医療援助を専門とする世界的なNGOである、Partners in Healthを設立しています。内科医および感染症医としてのトレーニングを受けたのち、ハーヴァード大学医学部での教職を経て、2004年から2006年までWorld Health Organization(WHO)のHIV/AIDS局長を務めました。この間、彼は途上国における抗レトロウイルス薬の供給に成果を上げています。2009年、彼はダートマス大学の学長に就任しましたが、(東部エスタブリッシュメントの象徴である)アイビーリーグの学長にアジア系アメリカ人が就任するのは歴史上初のことでした。

ダートマス大学(アイビーリーグの中では最も小規模で、保守的な気風で知られる)における彼の業績の中で特に注目すべきは、Health Care Delivery Scienceという領域を開拓したことです。彼によれば、今日のアメリカにおける医療の問題の多くは、health care delivery 、つまり価値の高い医療をどのように人々に届けるかという視点から考えることができるといいます。そして、その過程を、科学的に、医療のみならず、医療政策、公衆衛生、経営学、エンジニアリング、といった様々な分野の知識や経験を結集して分析、理解し、改善する必要があると訴えます。この分野にある程度理解がある方ならもうお気づきでしょうが、彼のこのような理論は、ハーヴァード時代の同僚であるマイケル・ポーター(経営大学院教授)らに大きな影響を受けており、また抗レトロウイルス薬の供給に奔走したWHO時代の彼自身の経験に基づいていると考えられます。

彼は、就任から比較的短い期間で、この理念を体現するための Center for Health Care Delivery Scienceをダートマスに設立し、軌道に乗せました。現在、このセンターでは、世界中の多くの医療関係者に対して大学院レベルの教育(修士課程)を提供しています。重要なのは、彼が、このhealth care delivery scienceという概念を、アメリカの医療という枠組みを超えて、(彼の元来の専門である)グローバル・ヘルスに適用する意志を、かねてから表明していたことです。

 

「世銀総裁への就任が意味するもの」

Dr. Kimを交えた今日のオバマ大統領の会見の中で、彼は世銀を次のように定義していました。

”Despite its name, the World Bank is more than just a bank. It’s one of the most powerful tools we have to reduce poverty and raise standards of living in some of the poorest counties on the planet.”

世銀の現総裁であるゼーリック氏は、ブッシュ大統領の時の国務省顧問で、経済担当次官でした。その前の総裁はあのウォルフォウィッツ氏です。その前はウォルフェンソン氏でした(彼はソロモンブラザース出身で、FRBのボルカー氏とのちに投資銀行を設立しています)。こうした人々と比較すると、一部で報道されているように、一貫してnot-for-profitの領域に身を置いてきたDr. Kimをめぐる今回の人事は極めて異質なようにも思われます。しかし、彼のダートマスにおける活動と、世銀の機能およびその活動を考慮すれば、決して「異質」な人事とは言い切れないのです。以前から世銀は途上国における医療の問題に深くコミットしていますし、実際にhealth care delivery scienceという概念で彼と世銀の思惑は、見事に一致します。

 

かつて私がナミビアで国連職員として勤務していた時、世銀と間接的に同じプログラムで仕事をしたことが何度かありました(UNESCOもWorld BankもUNAIDSのcosponsorです)。当時の私の周囲のアフリカ人の間では世銀の評判は最悪で、「あいつら札束をちらつかせて自分たちのいいように制度改革やら新しい政策を俺たちに押し付けて、やっていることは俺たちのためではなく、あいつら自身のためなんだ」というのが、不思議なくらい共通した人々の見解でした(彼らが批判していたのは、世銀のStructural Adjustment Programのことです)。あれから15年近く経って、Dr. Kimのような、途上国の医療に心血を注いできた人物が、世銀の最も有力な総裁候補に出てくるという大きな変化に、とても驚いています。同時に、グローバル・ヘルスの観点から、これは非常に歓迎すべき変化です。

 

Dr. Kimが、Partners in Healthの中心的なスタッフとして、ハイチやレソトやルワンダといった国の、医療から見放されてきた人々に与えた恩恵は計り知れないものがあります。彼らは、ハイチのような最貧国の、最も医療が行き渡りにくい僻地に病院を建設し、先進国で受けられるのと同様の高度な医療を提供してきました。彼らを突き動かしてきたのは「社会正義としてのグローバル・ヘルス」であり、それはDr. KimやDr. Farmerの著書や過去の発言から誰でも容易に理解できます。彼らは、命の平等という社会正義を実現するためには困難を厭わない人々です。

 

確実に総裁に就任するであろう彼の世銀における評価は、時が経てば自ずと明らかになるでしょうが、彼を心から尊敬する一人の医師として、また彼の大学の一員として働き、学ぶ者として、今後を活躍を願わずにはいられません。

 

 

 

 

2件のコメント

  1. Wikipedia の英語判でJim Yong Kim 氏の経歴を理解した直後に読ませていただきましたので、青柳氏の述べられる中身がよく理解できました。世界を底辺から、根本的に改革しょうとする熱い情熱と献身、豊かな創造性に感服しました。情熱と献身・創造性が豊かな知性と結合して大胆な実行力と相まってすばらしい成果を上げてきました。
     世銀総裁としてのご活躍を心から期待しています。
     また、青柳氏のすばらしい文章に感激しています。ありがとうございました。
     2013.03.01 石川県金沢市

  2. 藤井様:
    ブログを読んで下さりどうもありがとうございました。何かのお役に立てたのでしたら幸いです。昨年10月、Dr. キムは世銀総裁として日本を訪れ、東京で開催されたIMF/World Bank合同の年次総会で素晴らしいスピーチを行いました(以下のリンクから視聴できます)。

    https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=HPczdc0AtiI

    ダートマスの学長に就任した当時、こちらでは彼を形容する言葉として、”inspiring”という表現がしばしば使われたのですが、その理由が容易にご理解いただけると思います。彼は世界が誇るリーダーの一人だと思います。

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