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米川能弘

ブログについて

眼科は世界中で人気がありますが、日本では今ひとつです。眼科がどれほど魅力的か、その格好良さをドンドン語りたいと思います。アメリカの医療や教育制度のホットなトピックもご紹介致します。

米川能弘

NY生まれ、NY育ち。2010年にコーネル大学医学部を卒業、現在はハーバード大学の眼科レジデント。網膜外科医を目指しています。趣味は剣道!

去年ハーバード大学医学部の眼科レジデンシーを始め、最初のころに会った患者は中近東のクウェートから治療のために来米した70代の元気な女性で、黒い民族衣装を着ていた。同伴の娘は英語が使えた。娘の説明では、母親は 5年前から両目が何も見えない状態で生活に困っていたらしい 。娘によると、右目は「網膜の真ん中の動脈が塞がれてしまった」という。おそらく網膜中心動脈閉塞症 [central retinal artery occlusion]であろう。左目の病歴は複雑なもので、感染症のために角膜が傷付き、角膜移植を何度も繰り返したが、毎回 拒絶反応が起こってまたすぐ見えなくなってしまったという。

網膜中心動脈閉塞症で失くした右目の視力は残念ながら現在の医学では回復させる事ができない。さらに、すでに何回も移植を拒絶している左目は、普通の移植を行っても確実にまた失敗する。多くの場合、もう諦めるしかない。普通選択肢として考えられるのは眼科医からリハビリへ紹介すること位しかない。両目が完全に盲目になってしまうことは、特に発展途上国では、決して稀ではないのである。

しかし、このような患者にも希望を与えられるように、ハーバード大学医学部 のドールマン教授によって人工角膜が開発された。名付けて Boston Keratoprosthesis 。1992年にFDA(米国食品医薬品局)が認可し、現在までおよそ5千人の患者に対して使用された。人口角膜の構造は単純で、最新のモデルは円型のチタンの中心に透明なプラスチック(PMMA)を入れ、ドナーの角膜と融合し、患者に移植する。(写真参照

クウェート女性に対する施術は問題なく円滑におこなわれた。(ビデオ参照)手術の翌日、彼女は娘に手を引かれて眼帯を付けて予定通りの時間に外来にやってきた。二人とも心配そうな表情をしていた。椅子に座ってもらい、眼帯を外した。術後のためにまぶたが腫れているので私が彼女の目を開けて、顔の前で手を振り、

「私の手、見えますか」と聞いた。娘の通訳を通して、彼女は

「見えるね」と普通に答えた。術前は光が見えるか見えない程度の状態だった。次に指を一本挙げて、

「指何本ですか?」

「一本だね」と少し半信半疑の表情で答えた。部屋の電気を消して、コンピューターの視力検査表をつけ、

「この一番大きい文字見えますか?」

少し躊躇した後、「見える•••。」

「その下は?」

「見える。」

「もっと小さいこれは?」

「見える!」

どんどん小さい文字を読んでいくとともに彼女は興奮する。隣に座っていた娘も立ち上がって喜び、手を叩き始めた。検査後、部屋の電気をつけると、彼女は教授と私の目をはっきりと見て、手を差し伸べた。教授が握手をしようとすると、なんと抱きついて来た。初めは何も見えなかったのに、1週間後の診断ではさらに視力がよくなり、1ヶ月後にはほぼ普通の視力に回復して、彼女は無事クウェートに戻った。

暗闇の世界から人を救うとはなんと素晴らしいことかと思った。しかし、現状ではまだ限られた眼科センターでしか人工角膜は使われていない。また、世界中で角膜疾患を持つ患者の殆どは発展途上国にいる。そこで、より多くの患者に人工角膜が行き渡るよう、現在ハーバード医学部では低コストのモデルの開発を行っている。

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